Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.7.20修正

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『大塩の乱関係資料を読む会会報 第19号』


1998.10.26

発行人 向江強/編集 和田義久

◇禁転載◇

目 次

112回 例会報告 
はじめに
巻之六
(1)榊原順蔵三依書
         註「棒火矢」、「小具足」

○『浮世の有様』より「焼失地域」
○参考資料 大塩の乱当時の幕府閣僚
○「大正時代の洗心洞文庫」 

第112回 例会報告 

 はじめに

 第112回例会(『塩逆述』からは第45回)は10月26日に開催し、初めての方2人を含め21人が参加した。今回から『塩逆述』も巻之六に入り、目次と1丁から4丁まで読んだ。釈文は今回から読む会のメンバーの作成に係るもので、読み間違いやワープロ入力ミスなど少なからずあるが、例会の中で修正していくことで協力を願う次第である。

(1) 榊原順蔵三依書

 この資料の筆者榊原順蔵は初見で、城方の与力クラスの人物ではないかと想像するが、確証するものはなにもない。ただ、最後の一文に、御弓町の鈴木栄助方が類焼したので、奥方が方に同居したとの報告があるが、この「太郎右衛門」というのは、大坂御定番支配下の御破損奉行の榊原太郎右衛門と親戚関係のある人ではないだろうか。「はりぬき」は、「張抜きで円く長くつくった筒」と『広辞苑』にあるが、棒火矢を撃つときに使用したのではないか。「みち火消候而」とある「みち火」が導火線との指摘があった。

 「七十人斗一度ニ鉄炮を打懸候」とあるが、本当に七十人が鉄炮を打つことができたのだろうか、疑問がでた。当時町方・城方の与力・同心がどのくらいいて、そのうち何十人が城を防禦し、何十人が鎮圧に出撃したか、正確な数字はわかっていない。今後の課題である。

 大番方では、甲を持つものは鎧がなく、小手だけ持っているものがいて、三人で一揃いなどという有様、太平に馴染んだ武士の動転振りが想像できる。

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○参考資料 大塩の乱当時の幕府閣僚

以前にお配りしたものですが、再録します。

(「大塩の乱事典」の「幕府閣僚一覧(天保八年)」 「大坂町奉行一覧(大塩平八郎関係)」に掲載)

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○「大正時代の洗心洞文庫

先日、最後に書いた新聞記事を見付ました。

ルビを振っているのですがそれは省略して、字も現在のものに改めて書いてみます。 文章の長いのがこの時代の特徴かもしれません。書き方からすれば、大阪からの電話取材でしょうか。理事の井崎啓忠は「江崎政忠」氏が正しいようです。 大阪財界の名のある方が理事なので、東京でも話題性があったのでしょう。

『大塩研究 36』1995.11の「石崎東国先生−わが若年の思い出」の横地祥原氏が大正10年洗心洞文庫で学習した思い出を書いておられますが、この内紛については少年時代でもあったのでしょう、触れられていません。

『洗心洞中等予備学堂規則』によれば、中等学校入学志願者などのための今でいう予備校的なものを設置していたようですから、横地氏はそこで学ばれたことになります。この主幹が石崎東国でした。入学金1円。

大阪の洗心洞文庫がいくつもあったということは知りませんでした。

今回、少し調べてみて年代順にすると次のようなものでしょうか。

 明治40年6月  洗心洞学会 設立
     ?          洗心洞文庫と陽明学会に分離

      講演200回、雑誌90号、会員3000人

 大正7年9月  財団法人洗心洞文庫設立許可
         10月  登録   資産は大阪陽明学会の寄付金と
                      有志の寄付金を基本財産とする。
                      事務所は北区中ノ島公園内 財団
                      法人公会堂建設事務所に置く。
                      
 大正9年1月  月刊雑誌『陽明主義』発刊。
               事務所、東区東高津北ノ町に移転決定。
         9月  事務所は東高津北ノ町に移転。

 大正10年10月  雑誌刊行中止。 

      大正10年9月時点では、理事長・本山彦一氏。
  
 大正11年6月  洗心洞文庫保存会創立を5理事の名で決定

 大正11年10月  財団法人洗心洞文庫 解散

 大正12年7月  洗心洞文庫保存会 解散。洗心洞文庫設立。
他の参考資料・『財団法人洗心洞文庫趣旨』(1918)など

『大塩平八郎伝』(石崎東国 大鐙閣 1920) はこの時期のものです。(N)


「国民新聞」大正11年6月19日夕刊(?)

「陽明学唯一の道場 洗心洞の内訌高瀬博士等に対して新人派から排斥起る」


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