発行人 向江強/編集 和田義久
目 次 第111回例会報告 はじめに (27)河内屋新次郎ノ書 (挿図) 『浪華名所独案内』より 五座の図 (28)神与御位牌 (29〉二月二十一日大坂ヨリノ書 (30)「上晁氏ノ書脱文」 (31)大塩後素写 補・国会図書館版、(肖像画) ○一瀬さんの報告 田井中村 ○大塩の乱の報告に下城の遅れた老中の話 ○歴史セミナー・大塩平八郎を学ぶ 第5回 案内 ○刊行情報 『洗心洞箚記 大塩平八郎の読書ノート 』、『浪華の翔風(かぜ)』
はじめに
第111回例会(『塩逆述』からは第44回)は9月28日に開催し、初めての方1人を含め18人が参加し、45丁から53丁の最後まで進んだ。巻之五は1997年11月から読み始め、丸9カ月かかって読了した。
(27)河内屋新次郎ノ書
河内屋新次郎は大塩が施行するため蔵書の処分を依頼した書肆の一人で、そのため「出入方町人同様差控えを仰せ付けられ、只今も慎中」であるという。「慎中」は家内に屏居して昼間の外出を許されなかった。この資料は、そういう状況下で、河内屋新次郎が自分の体験談を交えた風説書を「小林様」へ書き送った書簡である。長文なので、要約はせず、2、3の問題になったところだけ記録しておく。
「此度類焼之儀図摺出し」とある図を大阪府立中之島図書館で確認すると「大塩乱大火図」(請求記号 甲和−198)とあり、「天保八酉二月十九日大塩乱妨、同廿日夜四ツ時過焼失之図」と記載されていた。
道頓堀の五座とは、西から筑後座・中之座・角之座・若太夫座・竹田座をいう。筑後は西のはしにあって大西ともいわれ、竹本筑後掾のあやつり座であった。「西の芝居」は「大西」の写し間違いの脱字で、筑後座のことだろう。大塩焼けで被災した人々ヘの施し場所がこの資料では四芝居になっていて、竹田座が抜けている。実際にそうだったのか、記録間違いなのが、判然としない。
大塩平八郎父子が大坂市中から大和へ向かったのは、田井中村での渡辺良左衛門の自殺と恩地村での瀬田済之助の縊死によって想像される。森鴎外は、その順路を十三峠は北に亀瀬峠は南に偏しているとして、小説では恩地と相隣している服部川の志貴越えとしたと後記で書いている。正しくは信貴と表記するのだが、妥当な判断と思われる。なお、田井中村の畑中について一瀬さんから報告があった。
(28)神与御位牌
「与」の旧字は「與」で、「輿」の写し間違い。「神輿」のことだろう。城から北北西にあたる川崎東照宮の神輿を生玉神社内の北向(城方向)八幡社ヘ移した。宮は焼失した。また、専念寺に安置していた位牌は天満西寺町の大蓮寺に移した。専念寺には承応2年将軍秀忠の23回にあたり、大坂城代からの申出でにより霊屋が建立され、以来先代将軍の年忌法要が営まれるなど徳川幕府と深い因縁を結ぶことになった。なお、大塩焼けで焼失した。また、天満西寺町には大蓮寺はなく、大林寺の間違いか。徳川将軍家に関係する寺社なので、両町奉行が大坂城代か老中へ届けたのであろう。
(29〉二月二十一日大坂ヨリノ書
巻五の中で2月21日付のある資料は(15)在番御番衆ノ書と(19)大坂両町奉行届である。内容が大坂城の警護についてなので、(15)の「御番衆の書」の続きかもしれない。
町奉行が負傷したとの噂があったが、昨夕「上にも」両町奉行に逢って、全く間違いであることがわかった。堀伊賀守の乗っていた馬に鉄鉋の玉があたり落馬したので、そんな噂が流れたとのこと。例会では「昨夕上にも」を「迄」の間違いと理解したが、「上」とは番衆から見れば殿様にあたる「城代」を意味したのではないのだろうか。
(30)「上晁氏ノ書脱文」
「上」はひとつという意味の「一」の誤りで、「晁氏ノ書」ということであれば、(23)晃氏書略文と関係ある資料かもしれない。
奉行所はくやしいからか、毎日「胡乱らしい」者を200人から5、600人捕まえてくるが、吟味に値する人が1人か2人しかおらず、また牢屋も焼けて、さっさと帰しているらしい。大塩方の残党に対する厳しい探索の結果、夥しい数の容疑者が捕まえられ、その処理に大わらわの奉行所の様子が手に取るようだ。
大塩事件の裁判は評定所一座で実施されたが、吟味取調べの実務担当者のうち、山本新十郎と同名重太夫(「同名」は「白石」の間違い)が、天保8年冬から9年2月まで大坂に派遣された。
(31)大塩後素写
配布されたテキストには53丁の肖像が欠落していたので、国会図書館版と共に図を掲載する。
一瀬さんの報告 |
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森鴎外の『大塩平八郎』では、渡辺良左衛門が自殺したところを田井中村の「産土神社」としている。 『志紀村誌』(昭和30年刊)では「五條の宮址」としている。また『田井中郷土史』(平成8年刊)では、筆者の石井光一氏は「当時の五条宮址には祠があったがすでに祭神はなく産土杜とはいえない」として、「当時、村の北東にあった午頭天王社、今の神釼神社を比定するのが妥当ではないか。すると、渡辺良左衛門終焉の地は田井中午頭天王社ということになる」と、結論づけている。どちらの説がただしいか、「畠中」の地名とともに、もう少し調査して会報に報告してもらうことになった。
参考『大塩平八郎一件書留』
大塩の乱の報告に下城の遅れた老中の話 |
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『会報2』で触れていた巻4の2つ目の史料「大坂騒動・・・」に出てくるくる「七ツ半時弐寸五分前退出」という老中の退出時間の疑問についての補足考察です。
大塩の乱の知らせに、老中が日頃の習慣を変えて、退出時間が遅れたことがわかりますが、その後次の資料を見つけました。『幕府制度史の研究』(児玉幸多先生古希記念会編 吉川弘文館(1983)の中の松平秀治論文「江戸幕府老中の勤務実態について−真田幸貫の史料を中心に−」です。
松代瀋の真田幸貫は天保12年6日13日に老中になっていますが、かなり詳細に記録を残しています。勤務の様子がわかるおもしろいものです。松平氏は天保12年7月の史料から「勤務時間」の項で詳細な表を作っています。橋本万平氏の資料を参考に現在時刻の併記があります。
出宅は通常四つ時、特別な時は五⊃時または5つ半時、料軍か紅葉山に参詣するときは六つ時のようです。退出は通常八つから八つ半。
一部ご紹介しますと次のようです。
日 登城時刻 (現在時刻) 退城時刻 (現在時間) 1 5つ半l寸前 7:55 9つ3寸前 11:23 4 4つ半5分前 10:28 8つ3寸前 13:53 5 4つ半5分前 10:28 8つ3寸 14:38 6 4つ半5分前 l0:28 7つ3寸5分前 16:19 9 4つ半5分前 10:27 8つ半3寸 l5:42 10 4つ半 10:31 8つ半l寸 17:01 11 4つ半5分 10:34 7つ4寸 17:01 12 4つ半5分前 10:27 8つ4寸 14:37 18 4つ半5分前 10:27 8つ半4寸前 14:51順番に並べると次のようになります。
日 退城時間 現在時刻 間隔 1 9つ3寸前 1123 28 9つ半 12:48 1:25 4 8つ3寸前 13:53 1:05 16 8つ2寸5分前 13:50 21 8つl寸前 14:00 0:10 24 8つ 13:58 26 8つ 5分 14:01 0:03 22 8つ1寸 14:15 0:14 23 8つl寸5分 14:08 25 8つ2寸 14:11 0:03 4 8つ3寸 14:37 0:25 15 8つ3寸 14:29 0:18 3 8つ4寸 14:46 0:17 8 8つ4寸 14:37 0:08 12 8つ4寸 14:38 0:09 18 8つ半4寸前 14:51 0:13 16 8つ半2寸5分前 15:02 0:11 17 8つ半 15:21 0:19 10 8つ半l寸 15:28 0:07 9 8つ半3寸 15:42 0:14 6 7つ3寸5分前 16:19 0:37 2 7つ3寸前 16:11 11 7つ4寸 17:01 0:50現在の時刻と併記している部分は日時により違ってくるのでややこしいのですが、おおよそで考えてみました。不定時法によるからです。
同じ4つ半でもl0日は10:31、24日は10:29です。
1寸がおおよそ6〜7分くらいですから、これから類推すると、1時が2尺と思われます。この史料は天保時代の江戸城での勤務記録ですから、こういう書き方があり、『塩逆述』に出てくる記述も特別のものではなかったと推察します。従って、問題の時刻は、天保8年2月後半ですから、時間的には上の7月とは違いますがおおよそ4時20分くらいが7つ、5時半ごろが7つ半になるかと思います。
「七ツ半時弐寸五分前」というのは、7つ半より、15分くらい前、つまり5時15分前後に退出した、というのに結論を訂正します。つまり、いつもは3時ごろ退出していたのが大坂の乱妨の知らせのため、閣議が遅くまで開かれ下城が5時過ぎになってしまったということです。
2/4 2/15 3/6 3/21 4/5(現在の日) 昼八 1:52 1:56 2:01 2:03 2:03 半 2:50 2:57 3:05 3:09 3:13 夕七 3:49 3:57 4:09 4:16 4:22 半 4:48 4:57 5:13 5:23 5:32 暮六 5:47 5:58 6:16 6:29 6:41
○歴史セミナー・大塩平八郎を学ぶ 第5回 案内
日 時 l1月 7日(土) テーマ 決起の日 天保8年2月19日 井形正寿氏 会 場 大阪市天王寺区東高津町7ー11大阪府教育会館 電話 06−768−3911 (近鉄上本町駅北徒歩3分、又は地下鉄谷町九丁目駅東北徒歩7分〉 開催時間 牛後2時〜4時 受講料 1回につき1,000円 その他 受講希望者は当日直接会場においで下さい(事前申込は不要です) 主 催 大塩事件研究会 530-0053 大阪市北区末広町1−7 成正寺内 問合せ 副会長・井形正寿 06−451−7909
◎『浪華の翔風(かぜ)』築山桂著 鳥影社 星雲社発売 1800円
1998
天保時代を舞台にした時代小説で、大塩平八郎もでてきます。(N)