桜 斎 随 筆 巻二 上 (抄) | ||
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鹿島神宮 |
(釈 文) 一二 天保八年二月大阪町奉行附寄騎大塩格之助養父隠居 元寄騎平八郎一揆を起し騒動す 騒動の初日は二月十六日也 *1
目 録 (抄)第1冊 桜斎随筆 桜斎随筆 巻壱 目録 月雪花之部 上 第2冊 桜斎随筆 桜斎随筆 巻壱 目録 月雪花之部 下 第3冊 桜斎随筆 桜斎随筆 巻二上 目 録 壱 則孝略履歴 附 さち子改名 則文元服 父子三人参宮 弐 則峯君鼠を愛せらる 附 下僕の幻術 則瓊君御性質 同御筆記 則孝武術流名 参 白蘭和尚 四 幕府の流鏑馬 五 野鷹屋に入る 六 鹿島大雪 七 江戸城中妖怪 八 江戸市中大火 九 大猿の造り物 十 江戸城焼亡 十一 筑紫家霊社号 十二 大塩騒動 十三 白気出現 十四 江戸市中大火 十五 日輪二出る 附 関東洪水 十六 妖星出現 附 強風 地震 信州大地震 諸国風災 十七 安政元年大地震 附 豆州紀州洪波 同二月大地震 同三年暴風雨 十八 水戸浪士井伊直弼を殺害 附 浪士鹿島神宮狼藉 (後略)
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花を愛した則孝は、明治18年4月、月瀬の梅、大阪の桜など花見の旅に出て、天王寺・生国魂杜・天満天神・桜宮をめぐっています。(このあと7月、淀川の大洪水で「なにわ三大橋」は破壊され、則孝の見たであろう周辺の風景は失われました。)
旗本・筑紫家に生まれた鹿島則孝は、天保8年に鹿島神宮第65代大宮司・鹿島則瓊の養子となっています。同年に起きた「大塩の乱」は、記憶に残るものだったようです。
また、則孝を継いで第67代鹿島神宮大宮司になった鹿島則文は、大塩平八郎と交流のあった近藤重蔵の子・富蔵と八丈島で流人生活を共にした人で、富蔵の『八丈実記』に序文を寄せています。伊勢神宮大宮司の職にあるときは、大塩が著作を奉納し、講義を行なったとされる「林崎文庫」にも関わりました。
幕末・明治の神道家・蔵書家。鹿島神宮宮司家の67代。明治34年没,63歳。吉川天浦・安井息軒に学ぶ。勤皇の志士と交わり,八丈遠島。赦免後,鹿島神宮大宮司。46歳の時,伊勢神宮大宮司拝命。以後,神宮皇学館の開学,林崎文庫の整備充実,『古事類苑』の編纂刊行に尽力。明治31年,内宮炎上の責を負い,職を辞して鹿島へ帰った。則文の蔵書・桜山文庫は珍籍奇冊3万冊と言われたが,現在,国文関係は昭和女子大学に所蔵されている。(深沢秋男)
『日本古典籍書誌学辞典』(岩波書店 1999)より
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