Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.3.25

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大塩の乱関係論文集目次


『大 塩 平 八 郎』 (抄)

国府犀東

(偉人史叢第8巻)裳華房 1896 より


◇禁転載◇


 第九 焚死の人、大辟 *1 の人 (抄)

奉行は平八父子の屍を挙げて、之を網輿に載せて、町奉行所に送る。台庁は刑名を宣告して、叛逆罪を以つて之に擬し、

との令状下り来れり。然らば平八父子は、其の死後に於いて塩漬のまま康衢 *2 を引き廻され、十字架にかかつて叛逆罪を以て処刑せられたる者なり。而してその連累の者は悉く誅戮を受く。

平八はその死後に於いて叛逆の罪名を以て大辟の刑に処せらる。焚死の平八は大辟の平八となれり。平八地下にて此の罪に服するや否や、法理の原則として刑は一身に止まり、罪は死と共に亡ぶもの、しかも封建の世、法理未だ明ならずと雖も、焚死せる平八を首服せしめん様もあらざるに、之に科するに叛逆の罪名を以てするは、豈に正鵠を得るものとせんや、果然として平八の罪名は、当時台庁に於ける一大問題となれり。矢部駿河守定謙は、当時勘定奉行として台庁に列席せり。その際定謙は平八に関して尤も公平の論を持せり。為めに寃を被むり、禍、立ちどころに来る。正論討議は群矇の常に怪しみ憚かるところ、定謙の意見は竟(つい)に衆議のために遮られたり。この際定謙が庁庭に争いたる擬案一班を以て、後之を藤田東湖に語りたるに聞け、定謙の論之を現今進歩せる法理の原則に服すも、条理炳然 *3 たるものあるを見る。

刑は一身に止まる。死と共に亡ぶべき罪を以て、死後の人に刑するは更に非なり。もし尚一歩を譲るとするも、之に叛逆の罪名を付するは剴切の処刑にあらず、もし夫れ矢部定謙の擬案の如く大不敬罪を以て之を問はば平八は必らず地下にて公平の処決に感泣して心を安んじて暝するなるべし。しかも焚死の平八は叛逆を以て刑せられたる大辟の人となれり。平八地下或は眦 *4 を裂き髪を衝き、爛々たる電目未だ暝せざるものあらん。しかも平八は区々たる虚名に拘わるの徒にあらず、自ら仁に殉じ仁に死したるもの仁を求めて仁を獲たり。また何をか怨まん。当年の血性男子猛士群の王たる平八郎は今や浪華城外秋越鬼火飛ぶの辺に永えに眠る。

徳川時代に於ける社会的暗潮流に勃起せる激龍騰活噴火の原動者たる大塩平八郎は今や即ち亡び、しかも暗潮流は依然として社会の下層を通じて流灑するなり。平八が捕捉し来れる共産主義的観念と王覇衝突の観念とは愈々激烈となり、強大となり、之を鼓し之を盪するに対外的観念を以てし、対外的観念は海外との交渉によりて愈々其の強度を高くし、共産事主義的観念は未だ発裂するに至らずして対外的観念之に代り、対外的観念と勤王的観念とは、ついに封建的政治を倒して、大命維新の雍輯時代を現示し、尭日熈々として明治の清世を開く。門閥の箝制も、格式の検束も、今や即ち靡し、天下は異才の自由競争場となれり。而して天驥(駿馬)の往々にして桟豆に伏し、槽櫪(板囲いの厩)に老ゆるものあるは何ぞや、昇平時代の現象として慶すべきか、将た弔すべきか、吾人言う所を知らず、語る所を知らず。地下の平八もし霊あらば将た何とか言い何とか語らんとかする。


 第十 社会主義と平八郎 (抄)

  〔陽明の理想的国家〕

知行合一を説ける平八は、学術と事功と、聖賢と豪傑との、二種の観念を合一にすること、其の畢生の目的としたるが如し。故に其の信ずる所は直に之を実行して勇往邁進また顧慮する所あるなし。平八は一つの実行者たりしなり。

平八が学術に於いて、太虚を理想とするが如く、事功に於いてもまた、国家社会の組織に於いて一つの理想を有したるが如し。其の現実の社会を以て、円満なる社会と見なさず、原始淳朴時代に於ける社会を以て尤も学術上の理想なる太虚に近きものとなし、平八の脳中には、つとに一つのユートピアは描かれたるなり。

平八が祖述せる王陽明其の人も、つとに抜本塞源論において、其のユートピアをば構成し、現実の社会を改造して此の理想的国家に格(いた)らしめんことを以て、其の志望とはなせり。而して陽明は進んで此の理想国家に現実社会を一歩たりとも近接せしめんと試み、彼の如く尽瘁して、此の志望の為に逆境に死せり。平八また箇の志望を有す。故に平八もまた現実社会を改造して彼のユートピアを現実に構成せんとは願へり。今其の抜本塞源論に於ける陽明の理想的国家の如何なるものなるやをここに示さん。社会主義的の観念、特に躍々として紙表に溢るるを覚ゆ。


道と学とは崖際なし。他と自との別も物と我との差もなきなり。聖と凡と賢と愚と、及び善と悪と、固より差別あるべき理なし。平八は明らかに平等の観念を基礎とすること陽明と其の揆を一にするものなり。彼また一つの社会主義を抱くもの、此の平等の観念を抱ける平八、既に陽明を祖述すとせば、其の理想的国家もまた陽明と其の帰を同うしたるに相違なし。平八もまた平等なる天分を有せる、平等なる社会のユートピアを構成して、現実の社会をして此のユートピアに近接せしめんと、其の全幅の力、其の畢生の精を尽くしたり。平八は確かに陽明と同一の期図、同一の志望を有したるものなり。平八は勇往邁前自らも此の方向に突進せんとし、又人を率い社会を導いて此の彼岸に達せしめんとなせり。彼は此の為には身命をも惜まざるなり。況んや禍福利害、栄枯得喪に於いてをや。平八の真面目ここに在り。

然り而して天保の凶歉は、社会を駆つて平八が平等的眼孔の前に、物質的に社会の不平等を現出せり。既に現実社会の不平等に嫌焉たらざる平八は、現実社会の破綻に際会して、益々不平等の悪むべく慊うべき現象を目撃せり。彼れ知行合一、信ずれば直ちに之を行い、水火も避けず雷霆も縮せざる猛進邁前の平八は、此の危急の際に当り一生を賭し、一身を抛つて此の自己理想、一大衝突、一大矛盾をなせる不平等の社会を破壊し、打摧せんとせり。不平等の社会、富は貧の窮を拯(すく)はず、強は弱の急を救はず、貴は賎の逼を顧みず、尊は卑の迫を憂とせず、人の窮、人の急、人の逼、人の迫を以て直ちに己の窮、己の急、己の道、己の過となせる平八は、豈黙々として此の不平等の自己理想に大に衝突し、大に矛盾せる現実社会の状態を目撃するものならんや。居然此の平等なる社会主義的観念を有せる平八は、憤慂激昂、破壊的運動に向つて其の満腔の熱血を注ぎ来れり。


 〔破壊的手段〕

平八は今や、生を顧みず死を顧みず、此の不平等の社会を暴力を以て破壊せんと企てたり。貧富の懸隔、強弱の不等、貴賎の雍塞、尊卑の途絶、之等物質的の不平等は、目前における危急の際には、確かに一つの大蠹害たりしに相違なきなり。平八は熱し狂し、以て此の貧富と強弱と貴賎と尊卑との間に横たわる一大重関を一鉄拳摧破し呉れんと試みたり。而して其の破壊的社会主義的運動は、一大烈火を鼓して浪華の城市を焼き払いたり。浪華は経済の中点、人ただ物質的の利名快楽を知つて、また精神的の理義名分を知らず、ただ黄白を是れ崇拝し、また其の他を知らず、富は益々富、貧は益々貧、尊は益々尊、卑は益々卑、貴は益々貴、賎は益々賎、平時に於いて既に現実に物質的に万般の現象悉く平八の理想と衝突し抵触す。平時に於いても平八は常に不平鬱勃に堪えざりしなり。特に当時社会に於ける門閥の箝制と格式の検束とは、有形的に平等の観念と衝突し、抵触するもの、平八又之を睹(み)る。固より憤懣に耐えざりしに相違なし。平時に於いて、つとに斯くの如き物質的有形的不平等の現象を現実に目前の社会に目撃して、鬱勃禁ぜざるものありし平八が、かの危急非常の際に当り、特に大坂に於いて彼の破壊的大飛躍に出でしもの固より怪むに足るものなし。

其の富者、強者、貴者、尊者の私有財産を以て自己の私有財産の如くに之を破壊し、之を散乱したるに於ては、かの私有財産を認めざる共産党一派と其の形跡を同うすと雖も、平八は未だ平生より斯くの如き特種の感想を有したるにもあらず、ただ憤懣激昂の余迹、相似たるを致せるものなり。故に平八を目して社会主義実行者となすは不可なしとするも、其の破壊手段を指して直ちに平八を以て一種の共産党となすは未だ以て平八其の人の正鵠を得たるものとなすべからず。

平八は社会主義実行者として破壊的手段を取れり。其の浪華を一火焔の中に巻き去らんとせる大企画、壮快又痛快。惜むらくは、未だ浪華の数十万戸を挙げて一炬に斥し去り、一掬灰となし畢わるを得ざりしことを。もし夫れ方今欧米に於ける無政府党の如く、豚油と硝薬とを以て爆裂弾を製することを知らしめたらんには、十仙の一包克く空に聳ゆる穹窿大厦鉅屋を一瞬に数十甍連ねて微塵に粉砕し得べしとせば、大坂の如き一城市を煙となし焔となし燼となし灰となすは掌を飜へすが如くなりしに相違なし。啻(ただ)に大坂一城市のみならず、天下の不平等なる凡ての社会的現象に於ける、物質的有形的悪魔の団塊を一僂指の下に爆裂し破壊し粉砕し、微塵にする、未だ必ずしもなし得べからざりしと云うべからず。惜むべし、当時未だ此の破壊的一大用具のあらざりしことを。

平八今や社会の一狂人として黄泉の下に永眠す。平八もし地下に起たしむるを得ば、此の豚油と硝薬とを調和したる爆裂弾を贈つて、其の満腔の大烈焔を余蘊なく吐き去らしめんに。彼既に幽明域を異にしてより幾十載、また之を如何ともするなし。

請う。野花や冷水を其の墳前に手向けんより、寧しろ此の一大狂薬品の一包を清酌庶羞の奠に換え、以て其の未だ死せざる英魂毅魄を弔し祭らんかな。(終)


管理人註
*1 大辟は重罰、死刑の意。
*2 市中の大通り。
*3 明らか。
*4 目尻。



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