Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.11.5修正

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


「大塩平八郎の魅力」

松原 誠

『大塩の乱関係資料を読む会会報 第16号』1998.8.14より転載


◇禁転載◇


 「読む会」の会員の皆さん、こんにちは。私は「天命を奉じ天討致し候」(第二十二回歴史文学賞佳作)の著者松原誠であります。タイトルのとおりいわゆる大塩の乱をテーマにした小説を書きましたことからこの度皆さまとご縁ができましたことを心から嬉しく思っております。そこでこのような拙文を寄稿した次第であります。以後よろしくお願い申し上げます。

(一)

 幕政末期の商都大坂を激震させ、ひいては全国津々浦々の郷村社会を覚醒させた大塩事件には、今日もまだ解明しつくされない広さと深まりが横たわっています。だからこそ研究会や読む会の皆さまも事件の研究にやりがいを見出されておられるのでありましょう。この私も大塩事件の歴史的意義と特異性とに虜になっている者のひとりであります。
 ことの順序として、東京は神田で生まれ育った私が、何故大塩平八郎という人物とその事件を取り上げて小説として発表したのか。その説明から入りたいと思います。
 NHK(記者・報道ディレクター)を定年退職したのを機会に小説の勉強をはじめ、多少文章に自信が出て来たところで何か文学賞をねらおうと決心したとき、「これだ」と思いついたのが「大塩事件」でありました。
 どうしてかと言いますと、高校三年生の時(昭和二十七年)国語の教科書で森鴎外の「大塩平八郎」を識り、すぐに岩波文庫を購入して全文を一読しました。当時の私は思想的にかなり“左傾”しておりまして革命家という人間に神にも近いつよい憧憬を抱いていたからです。にもかかわらず、否それ故にと言ったほうがよろしいでしょうが、私には鴎外大先生が描く所の大塩(と養嗣格之助)の死にざまが納得できませんでした。

(二)

 と申しますのは、私の生家は本屋街として有名な神田神保町の商店街にあって洋服小売商の店舗を張っており、住み込みの店員と女中さんが常時七、八人おりました。つまり大塩父子が逃げ込み潜伏した美吉屋五郎兵衛の店とよく似た状況にあったのです。

 革命家への憧憬の念は何処かに吹き飛び、少年のか細い神経に戦慄がはしったのです。ご存知のとおり鴎外は美吉屋一家の悲劇については一行もふれてはおらず、少年の心は大鴎外に反発を覚えたのです。(むろん今では明治末期に“摘発”された大逆事件の暗黒裁判に強く抗議をしようと、鴎外が“首魁”の幸徳秋水を大塩に仮託して書いたことを識り、その勇気に敬服していますが ─)
 歴史小説の傑作の一つ(大岡昇平)と評価されながら私が抱いたわだかまりは、その後四十余年経っても胸の片隅にうずくまったままでした。そのわだかまりをあらためて発掘し小説としたものが今度の作品であります。ですからこの作品でははじめから挙兵の動機や経過の描写は最小限にとどめて(応募規定は四百字詰め原稿用紙百枚まで。当作品は九十八枚)美吉屋の離れに潜伏した大塩父子と美吉屋一家との緊張関係を重点に書いたのです。

(三)

 筆力はともかくとして私の作品が入賞したのはこのような視点の目新しさにあったと推察されます。が、選考委員の一人である尾崎秀樹氏の選後評にあるとおり、「大塩という人物の品格と志操が不十分にしかえがかれていない」のはたしかだと、反省しております。 そこで私としましては大塩事件と大塩という希有の人材の人となりをもう一度勉強かつ考究し直して書きあらためようと準備をすすめている次第です。タイトルも仮題ではありますが、「もはや堪忍成り難し」とし、単行本になるほどの長編小説に仕立てるつもり。皆さんのお仲間に加えていただき、あらためて大塩中斎という巨人の解剖にいどみたいと念じています。
 大塩とその乱をめぐる未解明のなぞは数多くありますね。

(四)

 以上の諸点(その他もろもろも含め)を今私なりに再検討し、大塩本人になったつもりで長編の構想を練っているところです。
 前述しましたように私は、革命家という人間のタイプに興味を抱いており、ありていに言えば彼らの人間放れした「正義の狂気」あるいは「狂熱の正義」にうちふるえるほどの関心があるのです。大塩平八郎中斎はとても一筋縄ではいかない陰翳の深い人物であり、周辺の関係者にぶ厚い印象をのこしています。が、たった半日で鎮圧されたとはいえ事件の歴史的意義は日本史の光景を串刺しにするがごとき光芒を放っているわけです。ならば、革命家とはどんな価値観で生き、「乱」をひき起こすのであろうか。常人にはとても乗り越えられない高くて厚い壁を透明人間のようにすっとすり抜けるのであろうか。

 右の言葉は、中国北宋時代の反骨の政治家・文人である蘇軾(蘇東坡)のものであります。
 仁は過ごすもよいが、義は過ごすべきではない、という意味でありましよう。
 この世に完璧な人格者など存在するわけはありませんが、大塩平八郎中斎の行動はこの蘇軾の言葉にてらした場合、どうなのでしょう。
 私の心の中は、いまだに「大塩」との悪戦苦闘の硝煙が、灰褐色に渦巻いているのです。それだけ大塩は私の中で大きいのであります。 (了)



Copyright by 松原 誠 Makoto Matsubara reserved


松原 誠「天命を奉じ 天討致し候


大塩の乱関係論文集目次

『会報』第16号〜第20号 目次

玄関へ