Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.5.10

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「堀鉄蔵と其の記録文書について」

−大塩の乱に触発された幕政批判の胎動と其の実証−

その1

村 上 義 光 (1916−1992)

『大塩研究 第23号』1987.12 より転載

◇禁転載◇

(一) はじめに

 江戸幕府二百余年一貫した武士支配の行政機構・強固不変の身分制・絶対的なタブーである幕政批判等々の矛盾が漸く顕然化した天保期に、飢饉を直接の契機としてこれを、晴天霹靂驚天動地の行動とその趣意書(檄文)によって幕政改革と救民を求めた大塩平八郎の義挙、この幕政を根本的にゆるがすような大事変も、表面的には従前通りの幕藩体制の権威と維持にいささかの瑕瑾も、 支障も感じぬ如き態度に終止している為政者側に対し、一般民衆は隠密にではあるがこの義挙を幕政改革の起爆剤と感じ、その檄文をバイブルとして現権力機構への反発・批判・新治世への希求が充満(やがて幕末維新への爆発につながる)して行った事は疑うべくもない。

 しかしこの大塩の乱後において、大塩が身命を賭しての幕政改革・救民思想を直ちに受けついだものと明確に実証・指摘しうる人物とその記録文書は「堀鉄蔵とその記録文書」以外には殆ど見当らないといってよい。

 乱後の伝聞書 *1(江戸期)は数多いが内容はいずれも、幕府を恐れ当然ではあるが幕政批判の如きは無に等しく、ただ乱の経過と幕府の御触書等を詳細あるいは簡単に記録されるに止まり、かつその伝聞書の筆者名すら明確にしていない。(明治以後は別として)。しかしこの堀鉄蔵筆の記録文書は右のような伝聞書類とは異り、彼は全く予想もし得なかった大塩事件に遭遇、その強烈な衝撃と同時に卒然と現世相及びその支配体制に疑惑を深め、

と嘆じながら事変直後から異常と思われる程の熱意で、為政者側の強力な弾圧下、一方的な事件内容通達・御触書・おっかなびっくりの一般人の聞書類・無貴任な噂話しの氾濫等の中から、後世の吾々さえ納得させうるような正確なもの、より価値の高いものを短時間に収集、的確に抽出記録したその判断力批判力の確さ又、大塩の挙に対する共感と幕政批判を随処に示している点、実に驚 嘆すべき才能と洞察力を持つ青年であった。しかもこれが農村の十七歳の青年である事に深い驚きを感じる。

 尚これら大塩関連記事のみではなく、寺田村を中心に(畿内を含め)その刻々の物価及び世情の変移が実に克明に記録されておりこれ又、貴重な天保期の物価史料・民衆資料であるが此の面は与えられた紙数により割愛せざるを得ない。故に本稿は鉄蔵の経歴・生家寺田村(京・南山城地方)の地域的特性、記録文書の全数、特に大塩の義挙に対する共感と幕政批判の胎動を示す顕著な点の一部のみの油出に留めたい。

 尚、鉄蔵の執筆記録文書の全内容と解説は『大阪産業大学論集(社会科学編)』六十六号六十八号所収、中瀬寿一・村上義光 「農村青年堀鉄蔵の記録した天保期の物価と庶民生活大塩事件の衝撃−京都と大塩事件(中・下)新発見の堀家文書、(京都府下寺田)を中心に−」を参照され度い。

・傍点(管理人註−ここではゴシック)はすべて筆者が附した。


参考文献(注)
*1 [浪華異聞]・[大坂丁酉記]・[天保大坂市中乱妨始末記]他。[大塩平八郎伝]石崎東国・他。


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