Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.10.30訂正
2002.9.30

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩事件イギリスでも注目」

中瀬寿一

『読売新聞』1980.12.11 より転載

◇禁転載◇

大塩事件イギリスでも注目
  −世界史的意義を評価、封建社会崩壊の”きっかけ”−

盛んな日本研究

 四月から最近まで産業革命・労働史研究で国際的に有名なシドニ−・ポラード教授の招待でシェフィルド大学客員教授として英国に滞在した。研究のかたわら、私はとくに産業革命や民衆闘争の史跡を丹念に歩きまわった。そして、地域史、民衆史研究の最新の成果を学び、各地ですぐれた研究者と討論する機会をもった。

 そのなかで日本研究の盛んなこと、最新の成果を摂取しようとする真剣な態度、ことに一八三七年(天保八年)に大阪で勃発(ぼっぱつ)し、明治維新へののろしとなった大塩事件に対して、予想以上に大きな関心をもち、その世界史的意義を的確に把握(はあく)しようとしている学者たちがいることにあらためて驚いた。たとえばオックスフォード大学ボドレイアン図書館など徳川時代史・地域史研究に精力をそそぎ、数万冊の日本文献を所蔵しているが、一九七五年に大阪で創刊された『大塩研究』(最近十号発刊)をいちはやく購読するなど、きわめて積極的・かつ意欲的である。その日本関係責任者で、近代史家のジョン・バン氏は、私の訪問を心から歓迎しつつ、三時間にわたって次のように語った。

 「『史学雑誌』や『地方史研究』で、『大塩研究』を知った。我々は最重要と考えてそれを選択し、困難な予算のなかで購入した。目下オックスフォード大学で日本研究の学生はふえつつあり、本年の卒業生は六人)私は近畿地方史を研究するうちに大塩事件に興味をもつようになった)これで徳川時代が終わるという事件だ。イギリスで同様の事件の比較はむずかしいが、ピータールー虐殺事件がそれにあたる」。

 これは大塩事件より約二十年はやく、一八一九年八月十六日、〃英国の大阪・船場〃ともいうべきマンチェスターのセント・ピーターズ広場でおこつた。つまり、周辺から六万人の住民・労働者がおしよせて行われた政治改革・経済窮乏化改善要求の大集会デモに対して、官憲騎兵隊がおそいかかり、数百人の死傷者を出した〃世直し〃事件である。

 「大塩事件ほど大きくなく、大塩平八郎のような強力な指導者もいなかった」というが、これを契機に暴動や干し草焼き払いから政治的討論と組織化、議会改革運動の時代に入り、一八二二年以降名誉革命以来の統治体制がガラガラと崩れ、選挙法改正(一八三二年)へと大きく発展していった。この点、大塩事件同様、世界史的に画期的な意義をもつものといえよう。

 おそらく「大塩事件は、あのときにおこさなければ仕方なかった。明治維新はたんに外圧によってではなく、内から打倒の力、経済の力があったのではないか。大阪の経済の不安は(マンチェスター同様)江戸より強かった。大塩事件当時の日本経済は、イギリス中世に似ている点もあるが、他方、いわば〃財閥〃みたいなものがすでに存在しており、イギリス経済にそんなにおくれていなかった面もあるのではないか。十九世紀はじめの英国にも封建社会の要素が多く残っていたし、当時、英国の金待ちは貴族だったが、大阪の金持ちは町人で、貴族ではなかったのではないか」

 新鮮で深い関心

 以上が、同氏の鋭い問題提起の一端であるが、ここにはたんなる日本ブームやそれにのっかった日本研究とは質のちがったものがあった。だからこそ、大塩事件への興味と関心が新鮮で深かったのにちがいない。

 数年前なくなったイバン・モーリス教授の興味深い著書『高潔な失敗―日本史における悲劇的英雄たち』では、大塩事件が三島由紀夫流に腹切り的美的行為としてとらえられていたが、ジョン・バン氏らにあっては、おそらく最近の埋もれた英国民衆史、労働史研究の発掘と創造的発展の成果のうえに立っていた。したがって、そこには、これまで歴史のなかで忘却されてきた民衆のさまざまの側面の究明、抑圧された人びとへの共感と社会のマージナルな部分への関心、そしてバンディット(山賊)やラッダイト(機械うちこわし)などまで再評価し、名誉回復しようとする動きがみられた。そして弾圧のあと、とらざるをえない改革への必然性、さらにグローバルな比較史的視角があり、十九世紀世界史を資本主義的蓄積の波のなかでとらえようとする、動態的、同時代的世界史認識が貫かれていた。

 だが、何ということであろうか。先日ボドレイアン図書館のロバーツ氏から、すぐれた日本学者のジョン・バン氏が突然なくなられたという悲報が届けられた。民衆史・地域史研究がいちじるしくすすみ、いまやイギリス史も、日本同様大きく書きなおされようとしているときだけに、また日・英学術交流が急進展しようとしているときだけに、残念このうえもない。私たちはそのすぐれた問題提起を、しっかりとうけとめていく責任をあらためて痛感する次第である。

     (大阪産業大学教授・経営経済史)


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