Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.1

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「大塩の乱関係論文集」目次


「天保饑饉後日譚」

野村兼太郎(1896-1960)

『探史余瀝』 精華堂書店 1912 所収

◇禁転載◇

 管理人註
   

 時代の変化と共に、政治の態様は変化する。しかし人間の知識はさう急激に発展し 得ない。同じやうな経済状態を生ずると、似た政策が行なはれる。昔の人のやつたこ とと同じやうなことを、今人も亦施行かる。人間はこれを個個についてみれば、相当 進歩してゐても、これを全体の大衆について観察すると、あまり進歩してゐない。従 つて為政者としては、何時も同じやうな政策を採らざるを得なくなるのである。国民 の知識が江戸時代のそれとは比較にならぬくらゐ進歩してゐる今日でも、民衆に対す る法令や政策を比較してみると、相当類似してゐることが認められる。  今座右の資料のうちから、江戸時代の為政者が天保饑饉直後の米穀不足・物価騰貴 に際して、どんな政策を採つたかについて、一例を拾つてみよう。天保七年といふと、 四五月頃から雨ばかり降り、米不足、所謂天保の饑饉の年である。その翌年八年の正 月(この年二月十九日に有名な大塩の乱が起つてゐる)例の五人組帳で著名な代官山 本大膳がその手附渡辺玄蔵・河野愛助両名を、その支配村村に廻村せしめ、次ぎのや うな申渡しをしてゐる。   「前々被仰出候御法度は不申、去未年来御改正被仰渡候五人人組帳前書    之趣」  これは彼の編纂せる百四十七箇條から成る尨大な五人組帳前書である。未年は天保 六年であるが、この五人組帳を板行したのは翌七年である。                            すべ   「堅相守、月々小前末々迄不洩様為読聞、御年貢米都て諸納物は、御触日限   通、聊無遅滞、上納皆済いたし、公事出入無之、村方平和に相治候様可仕旨、   被仰渡候事」  租税は完納され、何らの訴訟事件もなく、平和に統治さるることは、支配者として 最も理想的な形態である。大膳は申渡しの劈頭に、先づその理想型を要領よく指示し たのである。   「一.近年いつとなく衣食住を始、雑具等に至迄奢を究め、音信贈答手重に相成、   たとへは小荷駄馬に真鍮鞍、染荷縄相用候様に成、花麗に押移、諸事不益之雑費   相嵩候故、困窮難儀は弥増、饑饉迄に無之年柄にも、及飢難候は平日奢に長   じ候故之儀に付、物毎質素倹約専ら心掛け、音信贈答手軽にいたし、前書真鍮鞍、   染荷縄等之類、都て右に准じ花麗無益之雑費は相省候様、常々心附、小前末々迄   急度可申付旨、被仰度候事」  先づ第一に奢侈禁止・倹約励行である。次いで米不足について、次ぎの如き事実を 指摘してゐることは注意すべきである。   「一、去申年之義近年稀成不作とは乍申」  これは前述の天保七年の凶作をいふ。   「一体に引平均候はゞ、不足は有之間敷処、奇特心無之、貪欲之ものは利益之 ために買〆いたし、又は無限先をも見越、買貯候故」  物不足とみると、買ひ込むこと、古今人情は一つである。   「貧家米穀払底、不融通、高値に罷成候哉に相聞、不届之事に有之、有徳之   ものは高直に候共、世上に米穀さへ有之候へば、買上方差支無之に付、貯有   之分は安値段等を以売払、或は救合力いたし、貧民共為相凌候は当然之筋に候   條」  富者の救貧義務を強調することは、当時の思想界一般の承認するところである。   「其外夫食に相成候品貯持候ものは早速売払、一体之融通に罷成、追々値段引下   け、貧民飢難之もの無難に相続いたし候様に可仕、万一其身不相当に夫食買受、   貯持候もの於之は、御吟味之上、急度御咎可仰付旨、被仰渡候事」  夫食とは百姓日常の食用のことである。不当の買溜めには処罰を以つてこれに臨ま んとしたのであるが、目前饑饉の惨状をみてゐる富者が金よりも物を尊重し、食料品 を買込むことを、果たしてよく防止し得たかどうかは疑問である。次ぎに物価の問題 である。殊に金銀で購入するやうな高価なものよりも、銭で買ふ日常必要品を注目し てゐる。   「一、去冬以来銭相場引上げ候に付ては、都て銭売之ものは、夫々値段引下げ可   申処、不作に不拘品をも格外高値に売買いたし候趣相聞、右は一体にて其所に   限り候儀に無之候共、貧民共及飢候程之年柄に付、救方一助にも相成候儀に候   間、都て銭売之品は勿論、其外売買不何品、夫々値段引下げ候様一同之申   渡、最寄限、商人仲間議定連印致之、村役人共調印之上、惣代共より御役所江   差出候様可仕、尤右之通相成候とも、諸色物柄是迄之品に劣候様にては、決て   不相済儀に付、能く商人共江心得遠無之様可申付旨、被仰渡候事」  物価を公定すれば、品質は悪くなる。そこで予めこれを防止せんとしたのである。  最後に大膳は村方の貯穀についての不正を指摘してゐる。凶年に備へるために貯穀 の命令あるに拘らず、「名目のみにて」役人の検査があると、各人の持米を出して、 見分を済ませる村がある。今後は命令通り貯穀するやうに、これ又厳罰を以て戒めて ゐる。  これらを実行させることは、当時未だ今日の如く営利心の強くなかつた時でも、な ほ単なる罰則だけでは不十分である。殊に一方自分持の米穀の売却を命じ、他方村全 体として貯米を命ずるとすれば、百姓達は容易に役人の目をくらますことが出来たら う。多くの場合において経済にかけては庶民の方が役人よりも利口である。しかも単 に「急度咎可仰付」といふ程度のものであつては、殆ど実行性がなかつたとみ てもよいくらゐである。                         (昭和十六年五月二十一日)
























有徳
(うとく、
ゆうとく)












夫食
(ふじき)
 


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