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2001.5.22訂正
2001.5.10

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩平八郎と諸儒」

如来庵

『読売新聞』1896.2.24 より

◇禁転載◇


適宜改行しています。

読売新聞 明治二十九年二月廿四日

  ◎大塩平八郎と諸儒  如来庵

大塩平八郎の学術功業共に高く、其名隠然として天下を動かすに当りてや、世の指を人才に屈する者、必ず先づ平八郎を挙げて唱首となす、

王公大人は強て之を其の門下に致さんとし、或は幕府に薦めんとする者あり、或は大禄を挂(か)けて之を迎ふる者あり、碩学鴻儒は争て交を納れて其の(けひがひ)に接せんとし、或は書を寄せて益を請ふあり、或は簡を通じて親しからんを欲するあり、其の之を尊重すること恰も山鹿素行、熊沢蕃山の其の当時に於けるが如し、

而して平八郎は夙に世儒の敗徳、風を(やぶ)り俗を傷(そこな)ふを慨し、談苟も茲に至るあれば則ち大に罵て曰く、

我をして要路に在らしめバ、悉く此儕(ともがら)を斫(き)りて其首を街頭に懸けんのみ、と 故に諸老先輩亦皆後に憚りて之を避け、世の堕娼を受けたる亦尚素行、蕃山の如かりき、

其一旦事を挙げて死するや、嚮の憚りて避けたる者、乃ち争ていふ、

我、彼れの険人たるを知れり、是れ我の相語らざりし所以なり、と遂に其之と相交りたる諸儒をも併せ嘲るに至れり、是に於て曾て詩文を贈りたる者も其集を刻するに当りては皆之を(さんきょ)せしも亦尠なからざりしといふ

平八郎の如何に当時の人士に尊重せられ、又如何に当時に忌避されしかを知らんと欲せバ須く先づ其諸儒との関係如何を詳かにせざるべからず、 山陽 *1 の如き、一斎 *2 の如き、拙堂 *3 の如き、温山 *4 の如き、其学術功業に推服し下交を求めんことを欲せしハ既に先(洗)心洞箚記附録を読みし者の之れを知る所、殊に山陽に至りては満腹の精神を捧げて之と交り小陽明を以て之を称するに至れり、

其他幕府の明吏勘定奉行岡本忠次郎(花亭)或は矢部駿河守の如き、皆称して当代得易からざるの人物と為せり、

然るに世或は摩島松南 *5、中島棕隠 *6 の如きを挙げ、叨(みだ)りに平八郎を議する者あり、是れ錯誤の甚しき者にして平八郎を傷くること尠しとなさず、今試みに棕隠、松南二人の人物如何を説き、以て之を弁ぜん。

棕隠、名は規、字は景寛、別に画餅居士と号す、 人と為り、名節に拘はらず、猥紅倚翠、豪誕自ら分とし、好んで閨閤の事を記し、自ら「粋ハ文吉」と称す、或ハ余霞楼を銅駝坊に構へ、以て自ら得たりと為せり、其人蓋し知るべきのみ。

松南、名は弘、棕隠に比すれば稍儒士の風あり、然れども名節の称するに足る者なし、松南と相知れる水口藩老儒曾て予のために説きて曰く、詩人梅辻春樵 *7、人となり、支那を慕ひ、支那服を着し、其頭を弁にし以て自ら喜ぶ、松南春樵と交り尤も深し、而して一言の之を諌むるなかりき、一日磊落奇節の士仁科自谷、二士と某所に会し、春樵の風を見て大に之を面折して国賊となし、且つ松南の之と交りて一言の諷諌(ふうかん)なきを責めたりと、以て松南の如何を知るべき也、

平八郎の所謂名教に害あり、札々斫るべしといふもの、蓋し是等の儒を指して発したるならんか、

然るに丁酉の事あるや、松南は七律二首を賦して平八郎を罵り、棕隠は狂詩を作りて一斎、山陽をも併せ罵れり、是れ恰も豚羊の死虎を嘲るものにして会(たまたま)ま以て後人の一謔を発するに足るのみ、

是に因りて之を観る、松南、棕隠の徒が饒舌ハ以て毫も平八郎を動すに足らざる也。

森田思軒 *8 、曾て国民の友に於て田能村竹田と平八郎との事を記し、竹田は平八郎を目して険人とせりといふ、

然れども角田(つのだ)九華が平八郎に贈りし書に曰く

果して思軒の説の如ならしめバ、竹田は実に二枚の舌を使し者といはざるべからず、竹田豈斯の如きの小人ならんや、殊に思軒が親しく竹田より聞きたりといふにあらざれバ容易に信じ易からず、

或は松南棕隠の如く平八郎死しての後、得たり賢しと則ち其人を誹謗するの言なるやも知るべからず、

之を要するに思軒が記せる山陽と中斎とに関しての記事の如き誤謬も甚だ尠しとせず、彼の山陽の遺失したる杖の茶山翁が遺物たるは明なる事実也、是れ山陽生前に編したる詩集にも収めあるにあらずや、さるに思軒は之を抹殺せり、

又棕隠を棕軒と誤りたるが如き其杜撰知るべきのみ、尚諸儒との関係に就き記すべき事尠なからざるも他日を俟て更に之を録せん。



管理人註
*1 頼山陽 (1780-1832) 広島藩士の子。
*2 佐藤一斎 (1772-1859) 岩村藩士の子。
*3 斎藤拙堂 (1797-1865) 津藩士。
*4 川北温山 (1794-1853) 島原藩士。
*5 摩島松南 (1791-1839) 京都の儒学者。
*6 中島棕隠 (1779-1856) 京都の儒学者。
*7 梅辻春樵 (1777-1857) 日吉神社の神官の子、詩人。
*8 森田思軒 (1861-1897) 文学者。


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