Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.11.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大 塩 の 乱」

雄浦小史

『日本歴史百話』立川文明堂 1913 所収

◇禁転載◇

 管理人註
  

    ○大塩の乱          おかくれ             時の主上光格天皇崩御になり、仁孝天皇御位に即き給ふたが、将軍家斉此 の時代に職にあること五十余年、国内は太平のように見へたけれども、次第 に暗雲は天の一角から見へ初めた、太平の風は漸く奢侈淫逸を生み、奢侈淫   やが 逸は軈て財政の紊乱、万民の疲弊を促すようになつたのである。  其内に文化文政も過ぎ、天保の世となつて諸国は大雨つゞいて五穀実らず、 所々に餓死するもの日々数へがたきまでに生じたと云ふ程の大飢饉があつた、     大阪で彼の有名な大塩平八郎と云ふ人、町奉行等が窮民を救はふともせぬ様 に憤慨して、蔵書を売つた金で一般を賑はし、同志と党を結んで大阪の富豪 を焼き亡ぼそうとしたのは実に此の頃であつたのである。                 にく  夫ればかりか今まで幕府の専横を悪んで居つた諸国の志士は、俄かに騒ぎ 立たふとする有様で、天下の形勢は頗ぶる穏かならぬ様となつた為め、家斉 は世子家慶に将軍職を譲り、又た老中に水野忠邦を挙げて、専心治国の事に 力を尽くしたけれども、意の如くなりかねたから間も無く、阿部正弘と云ふ 人に老中を代らせた。  折柄英国船が来航するとの風説次第に高くなつて、諸国は是けが為めいよ /\騒ぎ立ち、沸儀止む処無き内にも幕府は世論に動かされて、若し来航す             はら るようなことがあれば討ち攘はふと云ふことに一定し、諸藩へ其事を令する に至つたが、幸いに風説に止まつたから事なく止んだものゝ、其際渡辺崋山、                          とな 高野長英なぞと云ふ志士は天下の形勢を見て大に反対を称へ、書籍を著はし て不可なことを充分に述べた為めに幕府に捕へられて刑に処せられた。

  
 


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