け う
大塩平八郎、京洛よりの帰途、夜舟に乗じて淀川を下りたるに、突然
つゝみ
堤防の上に声あり
『其舟、急いで之れへ着けよ。』
み そ ぢ
顧みれば、若党に提灯持たせて召連れたる三十路許りの屈竟の武士な
おそ
りければ、船頭は畏れて舟を岸に寄せんとするにぞ、平八郎、声を励ま
し、
よふけ
『この夜更に船を着けよとは、無法千万、我等は先を急ぐ者なれば、
さ
然ようの頼みを容るゝことは無用にせよ。』
しつ
と叱したるに、船頭も好んで船を戻すにあらねば、遠き岸上の士の命
を用ひんより、近き船中の士の説に従はんとて、其儘流れに添うて漕ぎ
下れり
よくてう あた
翌朝、守口辺りにて、夜は名残りなく明放れ、今一ト息にて大阪八軒
にわか
家に達せんとする時、平八郎遽に乗合ひの人々に向ひ
『船中に怪しき者あり、方々紛失物は無きや。』
いづ た あたり
と云ひけるに、何れも起つて四辺を探し、我は懐中物を盗まれたり、
我れは何々を紛失したりと、果せる哉、被害者続々現けれるにぞ、平八
郎は扨こそと許り、予て目星を着けたる怪しき男を
『御用ツ。』
の声諸共に召捕へて、忽ち其場に被害品を吐出させたり。
斯くて平八郎は船頭を呼寄せ
さむらひ なかま
『昨夜岸頭に立ちて船を呼びたる侍士は、この賊の伴侶にて、船の着く
かは
を待つて被害品を外に転す手段なりしなり、以後もある例なれば充分に
注意せよ。』
と諭されけるが、船中の人々は、皆平八郎の慧眼を嘆服したりといふ。
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