Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.14

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「仙石騒動の事 並に大塩騒動の事」(抄)佐藤為三郎編

『袖珍絵本徳川十五代記』 此村彦助 所収  1886

◇禁転載◇

   読点を加えています。

○仙石騒動の事 並に大塩騒動の事

管理人註
  

   【前 略】                                おこ 七年、天下饑饉す。同八年二月、大坂町奉行組与力大塩平八郎、乱を作す。                              ときのひとさんせい 平八郎、初め高井山城守奉行たりし時、勤仕頗る政治の功有て、時人賞成 す、平八郎、王陽明の説を信じ、兵学に通じ、隠居の後は文武の学を教授            かね して門人多し、平八郎、予て大謀を企て、密かに党を集るに、百人計り荷                 なつけ       うりはら 担す。天下饑饉すを幸ひに、人民を懐んと我所持品を売却ふて、時の窮民                       おもひ  なせ   おとしぶみ 一万人に金一朱宛施行す、諸人、之に依て聖人の思を為り。大塩予て落文  なづ        かけついんちう                 なけ と号け、当時の幕吏を夏桀殷紂に比し、己は湯武の勢ひ、孔孟の徳は無れ                     きけうろくだい           ぞく いだ 共、天下の為に下民を虐たげる幕吏を誅し、鉅橋鹿台の財を散し、粟を出                     べき  より          おこら きたつ せし如く、大坂冨商の金穀を窮民に分ち与ふ可に由て、大坂騒動起ば来て                      かく 取べしと、摂河泉播四州の所々に密に貼付る、斯て十九日は町奉行堀伊賀                 なさ 守、跡部山城守同道にて大坂巡見を成ば、其時両奉行を討取、豪富の金穀                  いちみのもの を貧困に分与し、猶城内に乱入せんと一味者と議す、其席へ門人宇津木短        いさ       いかつ 之丞来り、之を諫む、大塩怒て斬殺せり、爰に又一味中、平山助次郎反し、 跡部に忠告を因て巡見延日す、大塩、之を聞、十八日、小泉淵次郎をして 跡部を暗殺せしめんとす、跡部の近臣、之を覚て小泉を殺す、是に於て大    なし 塩猶予成難と、十九日早朝に東天満の私邸を焼て、木製大砲を真先に引せ、                        はたのぼり 平八郎、其子格之助始め丗余人、人足二百人計り、籏幟を立押出し、寺社     ひ や        やしき 民家に火箭鉄炮を放つて焼、奉行邸へ進むに、天満天神之二大橋を、両奉                        しかる 行、命じ切落ゆへ、賊勢、難波橋より舩場に来る、然に城番遠藤侯の家士                       たすけ 畑佐秋之助、与力坂本玄之助等丗余人、跡部勢を助て、賊兵を支へ、阪本、              ことごとく 賊の隊長を討、之に恐れ、賊 悉皆 逃亡せり、其後大塩父子、並に余党穿                            かこみ 鑿厳しく、三月廿七日、大塩父子、靱に潜伏するを、幕吏取囲ければ、大               かはね 塩、其家を焼、自殺す、依て其屍、並に余党数十人、大阪にて磔刑に行ふ。 同九月、家斉、将軍職を辞し、大御所と称せらる







天保7年























宇津木短之丞
之丞
が正しい
 


 『袖珍絵本徳川十五代記』駸々堂 1887  は覆刻版
「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ