雪香( 〜1845)
長崎県国見町土黒(ひじくろ)光専寺住職月抱竜氏所蔵『石湖詩集』中のもの。解釈も同氏。
雪香(石湖)は、土黒の出身で絵師であり僧、文人でもあった。
しかも大坂の地にもなじみがあり、処刑に臨んで詠んだものと思われる。雪香は、島原藩士・川北温山や熊本の富田春山、筑前の亀井南冥などとも交友があった。
川北温山は、横山文哉を通じて『洗心洞箚記』を入手したことが『洗心洞箚記』附録抄の書簡に書かれている。
横尾文助臨刑所作也 肥前人
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読み下し
横尾文助刑に臨みし所で作る也 肥前人
誰か五十一の春秋、烟(煙)嵐に埋もれ去りしを憐れまん。
深処の丘、青雲遂げざる乎。
平日の志を同じくせしも空し、
身を後まで存(なが)らえば、呉を釣りしこと有るものを。
意味
横山文哉の処刑された刑場で詩をつくりました。 肥前人(石湖)
五十一歳の年に天下をくつがえす程の大事件の嵐のため、処刑された彼の心情を思う時憐れでなりません。
彼が胸中深く秘めていた平和な世の中の実現が出来ず無念です。
志しを共にした者も空なしい、無事生命を全うしたら、大望を果たすことが出来ただろうに。