Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.5.6

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩平八郎」

鈴木直三郎・橋本光秋編

『大阪府史談』教育書房 訂正再版 1894 より

◇禁転載◇

  二十三 大塩平八郎


大阪落城の後は、人民戦争の声を聞かざりしが、二百年ばかりを経て、大塩平八郎の乱ありて、一時は大に騒ぎたりき、
平八郎は大阪の士なり、博学にして時務に通じ、兼ねて又豪邁果断なりければ、難事を治めて、屡功を奏せり、或時市内の奸商等、市民を虐げしことありき、此時当時の貴顕の家臣にも関係ありければ、人皆如何と思ひけるに、平八郎直に奸商等を執へて、悉く罪に処し、其私する所の金を市民に与へしかば、人々其剛直に驚きたり、其後官を辞し、子弟を教授せしが、天保八年米価俄に騰貴し、貧民の餓死するもの多きを歎き、平八郎町奉行に米廩をひらきて、民を救はんことを勧めけれども、町奉行これを聴かざりければ、自ら金銭米穀を擲ち、貧民に与へて人心を収め、摂津、河内、和泉の民を誘ひて町奉行等を亡ぼし、世を救はんとせり、中途にて事あらはれければ、平八郎急に党与を集めて、火を市中に放ち、城代と戦ひ、大ひに敗れて捕斬せられき、或は川口より船にのりて西国に走りたりとも云ふ、


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