Я[大塩の乱 資料館]Я

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「成 正 寺」



成正寺の開山は増長院日秀聖人で、慶長九年(一六O四)三月の創立である。

大塩平八郎の先祖は、駿河今川家の一族であったが、今川家の滅亡後は徳川家康に仕 え、 大塩波右衛門義勝と言った。小田原合戦の時、家康の馬前で敵将を打ち取り、そ の勲功 によって弓を拝領した。義勝は尾張徳川義直の家臣となり、代々徳川家に仕 え、名古屋 自壁町を本拠とした。これが大塩の本家であって、今なお拝領した弓を家 宝としている。 身延山直末大光寺を菩提寺としている。

本家の大塩波右衛門義勝の末子が大阪に出て町奉行組与力となったのが大塩六兵衛成一 と言う。菩提寺を本家の縁故で、同じ身延山末の成正寺とした。

成正寺には享保九年(一七二四)以後の新寂帳が現存し、この中には大塩家の戒名が十 九人記載されてある。また「諸屋敷宗旨改帳」も二冊現存し、大塩家に関する記載があ り、大塩家が成正寺の檀家であったことが証明されている。

有光友信「大塩平八郎と大阪天満成正寺」より


所在地◇大阪市北区末広町1−7

史 跡◇大阪市顕彰碑・大塩の乱に殉じた人びとの碑・大塩中斎先生墓 ほか


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