Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.4.11

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「大塩の乱関係論文集」目次


「平八郎奉行に説く」
上田万年(1867〜1937)解説

『日本歴史画譚 』文王閣 1910 所収

◇禁転載◇

大塩平八郎管理人註
   

名わ後素、中斎と号し幼より読書を好み、長じて大阪の町奉行を助け、                          のち 罪人を捕え訴訟を断じ、威名一時に高くなりましたが、後職を辞して、 生徒を教授して居ました。天保八年の飢饉に米価が高くなり、諸方に餓 死する者多く、平八郎之を見て奉行に説き、倉を開いて貧民に米を与え 度いと云いましたが、奉行わ容易に承知しませんので、自分の蔵書を売 つて飢民を助け、摂津河内和泉播磨等の百姓を煽動して、火を市中に放      やかた                         うち ち、城代の館を攻めました。所が城代跡部山城守わ平八郎の軍を散々撃              くら       かく 破り、為に平八郎わ一時姿を晦まし、一商家に匿れて居りましたが、捕 吏に囲まれて潔く自殺したのです、平八郎わ、常に王陽明と云う学者を                        えら 慕い、其学を研究したばかりか、役人としてわ実に豪い人でした。死す る時四十六。   紀元二千四百九十七年













跡部山城守は
城代ではなく
東町奉行








挿絵は
名和永年か
   


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