■「悪役令嬢の十五年戦争」
■ 062 「壮行会」
「それではお父様、お爺様、行って参ります」
「おう。良く学んでこい」
「息災で過ごせよ」
3月某日、そうしたやり取りを曾お爺様、お父様な祖父としているのは、私の『お兄様』の龍也叔父様だ。 4つの陸軍首席を見事達成し、陸軍中央に勤め、中堅将校の出世頭でリーダー格である永田鉄山に可愛がられ、さらに虎ノ門での一件以来陸軍の上層部にまで名を知られているお兄様は、依然として出世街道を驀進中だ。 そしてその証拠として、この春から陸軍将校の通例である海外武官に派遣される。しかも派遣先は、伝統的にエリートが派遣されるドイツ。 もっとも、この時代のドイツ陸軍は可哀想な時期ではあるが、通例とか慣例とかの方が大事な日本陸軍にとって、ドイツに行く事の方が重要だった。 そしてその日は、出立前の馬鹿騒ぎなども終わったので静かなものだが、馬鹿騒ぎと言った通りその前は大変だった。
「チェコスロバキアなら、隣の国だし休暇中にでも観光がてら行ってくるよ」
「お願いね、お兄様」
お兄様が駐在武官としてドイツに向かう壮行会をうちの屋敷を借りてすると言う事で、こうして望外にもお兄様とお話しする機会があった。 そして私は、とある頼みごとをしていた。 必要なければそれに越した事はないけど、しておいて損はないお願いだ。
「それにしても玲子が海外の機関銃にまで詳しいとは驚きだな」
「(夢で見たから)」
お兄様の言葉に、耳元で小声で答える。 周りはすでに壮行会の準備で忙しく使用人達が動き回っているので、万が一を考慮しての小声だ。 お兄様も小さく笑みを浮かべるに止める。
「そうか。けど、女の子が見てきて欲しい物が、兵器というのも考えものだな」
「それなら、もっとワガママ言っていい?」
「ああ、なんでも。お洋服かい? それとも西洋人形とかどうかな? 好きだっただろう」
(う、嬉しいけど、言いにくくなるものは言わないで)
私の心の声を聞いたのだろう、お兄様の顔に苦笑いが浮かぶ。
「まだ武器を?」
「え、ええ。チェコの方は出来れば試供品の入手。あとは日本に送って、最低でもライセンス生産。最初は、今後の事を考えて少しだけでも購入するのも有りと思うわ」
「で、ワガママはもっと別か。ドイツは今兵器を作っていないし、英仏どちらだい?」
「どちらもハズレよ。こっちは多分見るだけで終わるけど、スウェーデンに行ってきて欲しいの」
「それは意外だな。あそこは伝統的に中立国だろ」
「そうだけど、ロシアを常に警戒しているから兵器開発には熱心よ。それで条約で武器を作れないドイツと手を結んで、ドイツの企業や技術者があそこで兵器を開発しているの」
「ああ、その話は聞いた事がある。それを見てくれば良いのかい?」
「ええ。すごく優秀な兵器が生まれつつある筈よ。優秀すぎて、今の日本じゃあ生産は無理ってくらい」
お兄様がまた苦笑した。 兵器の開発では陸軍は特に苦労しているし、お兄様は陸軍中央で兵器調達にも携わっていた事があるので実感しかないんだろう。 しかしお兄様の苦笑はすぐに引っ込む。そして少し真面目になる。
「で、どんな兵器を開発しているか分かるかい?」
「飛行機を撃つ大砲よ。優秀だから試供品だけでも買えれば、有益だと思うの」
「なるほど、高射砲か。優秀な高射砲なら、これからの時代は必要になるね」
(まだ、殆ど複葉機しかないからその程度の認識だし、ましてや戦車に向けてぶっ放すとか考えてもないわよね)
「ん、どうしたんだい?」
「い、いえ、砲身の長い大砲は硬い目標も打ち抜けると何かで見た事があるのだけれど、高射砲も出来そうだなって。素人考えでごめんなさい・・・お兄様?」
何でもお見通しなお兄様だから完全に誤魔化すよりはと、近い事を言葉を探しながら話してみたら、言葉の途中で考え始めてしまった。
「いや、素人考えじゃないと思うよ。実験してみる価値はあると思う。ただ、高度数千メートルにまで砲弾を届かせる大砲が撃ち抜く対象となると、最低でも分厚いベトンのトーチカになるだろうし、硬い専用の砲弾も必要になるだろう。それに高射砲自体が軽くはない筈だから、戦場での運搬も考えると要塞戦に活用するのが限界かなと思ってね。 あ、専門的な話ばかりで済まないね。聡い玲子にだと、ついつい話してしまうようだ」
「いえ。半分くらいは理解出来ていると思います。けど、流石はお兄様。素人考えも、すぐに専門的に分析できてしまうなんて」
(私が自衛官やガチの軍オタならもっと話せるんだろうなあ。刀剣ならもう少し話せるのに)
そうして小一時間ほど現地の情勢などについても話して、実務的ながらお兄様との幸せな時間は終わった。 壮行会に参加するお客さんが、続々とやってきたからだ。 参加者は一部一族の者以外は、殆どが軍人。 お兄様と同期の陸軍士官学校33期を中心に、その前後の期生の陸軍将校さん、もしくは職場仲間。そのうち、帝都かその帝都近辺に勤務する人たちだ。 あとは陸軍省や陸軍大学でお世話になった上官。お父様な祖父も顔出しするので、若干数お父様の知り合いの軍人からの文も届いているらしい。
とにかくお兄様は有名人な上に、人格面からも人気者だから参加者は少なくない。 本邸の屋敷を使うのもある意味当然だ。 参加者ではないが、現天皇陛下、当時の摂政宮皇太子殿下の暗殺を未然に防いだという事で、皇族で34期の秩父宮雍仁親王と32期の賀陽宮恒憲王の使いの者に文を持たせたりもしている。 当然ながら大変名誉な事だ。 もっとも、それを持ってきたやつは、少なくとも私の中ではトップクラスの危険人物だ。 何しろ西田税だからだ。
しかも西田の同期には、服部卓四郎がいたりする。他にも、占守島で奮闘した池田末男もいるし、中退して文化人になった人もいた筈だ。とにかくお兄様の後輩たちは、後の歴史で多彩な経験をする世代だ。 あくまで、歴史が私の知る通りになれば、だけど。
けど、現時点でも危険なのは、やはり西田税と服部卓四郎のこの二人しかいない。両名とも今は陸軍大学にいるので危険度は低い筈だけど、西田はやんごとなき方々からの文を預かってきている。 しかも、お兄様の代にも臣籍降下したとはいえ皇族が同期におられたので、その人の文も秩父宮から託されていた。 そして何を言いたいかと言えば、これは西田と秩父宮殿下の仲が良いという証だ。 「西田、お前陸軍大尉だろ。何でここだけ歴史通りなんだ」と、思わず頭を抱えそうになる。
しかもネームド軍人はこれだけじゃない。お兄様の上官達も歴史上ネームドばかりだ。 特に一番お兄様に目をかけているのが永田鉄山。この時点で帝都駐留の第三連隊連隊長という出世街道真っしぐらで大佐殿。のちに「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と言われるほどの秀英にして傑物だ。 そして永田とバリューセットのように東条英機が一緒だった。 この二人、というか東条がめっちゃ永田好き過ぎるのは私の『おかず』に出来るし、永田が殺されたせいで東条は闇落ちしたんじゃないかとか思ってしまう。
そして東条は、お兄様の陸軍大学時代の兵学教官だ。 陸大教官時代の東条は、自分の嫌いな出身地域の将校の陸大入学に無理難題を出すのだが、それを天才と天然で難なく合格したのがお兄様だった。 特にお兄様は、東条が嫌う長州閥、華族、財閥、さらに3つの首席という役満状態なのでとびきり無理難題だったのだけれど、それを呆気なく突破していた。
聞いた話では、将校たる者いかなる時にも注意を向けるべしと言うお題目で、試験会場の建物の階段数を問題の一つとして出されたのだが、お兄様は緊張をほぐすためにたまたま数えていたので難なく突破。焦った東条から「何故知っている」と聞かれたら素直に答え、「こいつには敵わない」と悟らせたのだそうだ。 そんな話を東条は永田に、お兄様はお父様にしていたので私の耳まで届いたのだが、この話は陸軍中央でも有名な話らしい。
それ以外だと、お父様な祖父と同期でこの時点で陸軍次官の南次郎が、陸軍を代表して一筆届いていた。と言ってもそれは表向きで、麒一郎お父様との個人的な親交により、お兄様の箔付けの為に一筆したためてくれたのだそうだ。 父にとって南次郎は、数少ない同期の友人だ。時折うちの屋敷に遊びに来ているのを見る事もある。 そして軍人以外では、本邸に住んでいる鳳一族の者と龍也お兄様の家族も、あくまで脇役として顔を出す。私もその一人だ。
(それにしても、イガグリ頭とメガネの軍団ね)
会場にしている大広間の片隅でウォッチングしているけど、面白みはない。 帽子をかぶっていない昭和の軍人は、良くてお兄様のようにすごく短い短髪で、大抵はバリカンでガリガリ切っただけだろ的な頭が並ぶ。そして秀才軍人が多いせいか、メガネ率が高い。しかも質実剛健か合理性故か揃って丸メガネだ。 油断すると全員同じに見えそうになる。
しかし話している話題は、陸軍軍人らしいものが多い。 ソ連が第一次五ヵ年計画を開始した事。これが一番の話題だ。何しろ、ソ連はロシアにして共産主義という日本陸軍にとって天敵中の天敵だ。 だがそこからは少し剣呑で、これが終わるまでに満州の利権をより確固たるものにするか、満州の軍備を増強しないといけないらしい。
次が、最近日本政府が「日本は張作霖の支那統一に協力する。張作霖(統一後の中華民国)は、山海関以北(満州)は日本の行動を認める」と張作霖との間に約束を交わした事。 これで日本の大陸利権は安泰だし、張作霖の勢いと国民党の混乱ぶりから張作霖による中華民国統一も見えてきたと話し合っている。
最後は「三・一五事件」。つい先日、共産党系の活動家を大量検挙した事件だ。行ったのは警察だが、やはり共産主義が関係しているので関心が高いようだ。
(それにしても、もう少し話題があるでしょうに。お兄様は3年間も日本を空けるのよ!)
お兄様が大らかに周りと話しているのを遠目に見つつ、この秀才軍団がお兄様の壮行会という名目で単に集まって情報交換の機会にでもしているような状態が少し許せなかった。 そんな風に感情を高ぶらせていたから、発見が遅れた。
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4つの陸軍首席 地方幼年学校・中央幼年学校・士官学校・陸大、すべてを首席で通したのが歴史上4名いる。 しかし歴史上に大きく名を残した人はいない。昭和3年の時点だとまだ3人。 架空の人物がいるので、この世界では5人になる(予定)。
チェコの機関銃 ブルーノZB26軽機関銃 1926年にチェコスロバキアのブルー兵器廠で開発された軽機関銃。 旧日本軍ではチェコ機銃と通称された。 とても良い機関銃。中華民国軍からの鹵獲後、日本陸軍も使い始める。その後、自衛隊の銃器開発にまで影響を与えたりしている。
スウェーデン ボフォース社 この頃は、ドイツが自国で出来ない兵器開発をここでしている。 28年だと2代目の88mm砲が生まれている。 スウェーデンで産出する超良質の鉄鉱石で作った鉄を使うので、性能の良い銃や大砲が作りやすい。ドイツの武器が優秀なのも、スウェーデンの鉄鉱石が影響している。 逆を言えば、日本の質の低い鉄(満州・鞍山産とくず鉄利用)でボフォース社の武器を製造するのは大変。もしくは性能が落ちやすい。
服部卓四郎 優秀な参謀で世渡り上手。 ノモンハンから大東亜戦争の作戦立案に深く関わる。 戦後はGHQでも評価されるほど優秀。米軍から評価される参謀というのも珍しい気がする。 ただし、もれなく辻政信が付いてくる。
南次郎 満州事変の前後の陸軍大臣。そのせいでA級戦犯になり巣鴨プリズンに収監された。 大臣になった時期が悪かったというか、運が悪かったというか。