■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  112 「悲劇の火曜日」 

 結局その日は、ウォール街になるべく近い場所の安全が確保できると踏んだホテルに滞在した。そして翌日の昼前、時田とセバスチャンを伴って昼の一時から始まるウォール街の大手株仲買人と銀行家たちが集まる会議に出席した。
 事前に伝えてあるので席も確保できたが、最初はかなりの人数から奇異の目で見られた。東洋人な上に子供が一緒なのだ。何も知らない者からすれば、色んな意味でふざけた奴らでしかない。
 しかし集まった人々のボス達が何も言わないどころか三顧の礼状態なので、有色人種と蔑んだり追い払う者はいない。案内人やガードマンも、最大級の待遇で案内などしてくれていた。
 そしてこちらが事前に提示していた200万ドルの数字は、セバスチャンの読み通り『適正価格』だったようだ。

「鳳のプリンセス、我々はあなた方が今回即時に参加を表明してくれた事を決して忘れない」

「ありがとうございます。ですが当然と考えております。また、今後もアメリカの皆様と良いお取引ができたらと、一族、グループ一同考えております」

「勿論だ。取引の際は、望む者に声をかけてくれたまえ」

「はい、その日を楽しみにしております」

「我々も楽しみしているよ」

 その会議の議長格の人と、そのようなやり取りを儀礼的に交わした。しかし彼らの言葉は本気だ。アメリカ人は、人種を問わず恩を忘れない。それが開拓民の末裔である彼らのルールであり美徳だ。
 私にとっての買い支えへの参加は、ごく僅かな免罪符に等しいけど、参加して損は絶対にない。

 そしてこの徒党を組んでの買い支えのニュースで、その日の相場は表面上は平静を取り戻した。ただし、あくまで表面上だけ。
 一方では全米の人々が、この週末に駆けずり回る事になる。全米の新聞が、株式市場の暴落を大々的に報じたからだ。この件を何とか冷静な報道にできないものかと、新聞王のハースト氏に連絡しようかと考えたけど、私などよりもアメリカの中枢部の人達が動いている筈、もしくは手を打っていて当たり前と考え直した。

 けどこれは、私個人にとって大失敗だった。
 ハースト氏の持つ新聞の一部に、民族衣装を着た東洋人の子供が呆然と市場を眺める様子がかなり大きく載っていたからだ。

 言うまでもなく私であり、アメリカに着いてから約束どおりハーストさんから派遣されてきた記者とカメラマンを同行させていた結果だ。
 大抵は取るに足らない話題ばかり提供していたけど、テキサスでの大油田発見はかなりのニュースになった。そしてそれで、新聞の売り上げに貢献してしまったらしい。
 他にも、ニューヨークでも紅龍先生がノーベル賞を逃したニュースとか、執事の時田がアメリカ財界の要人と会っているとかのニュースを提供していたので、あの決定的な日にも付いて来ていた。

 そしてその時に、一番絵になる瞬間を捉えられていたらしい。
 その写真付き記事の見出しには『東洋の少女すら投資していた株式市場が大暴落!』と打ち出されていた。
 それを見て失笑すらしてしまうが、「後で絶対文句言ってやる」と周りに怒り散らしたように、逆にちょっと元気をもらえたりもした。
 しかしこの写真、下手したら歴史の教科書にすら載りかねないんじゃないかと、嫌な予感が頭をよぎってしまう。

 そんな週末を過ごした翌月曜日。10月28日。本当の悲劇が始まった。
 だがその日は、私はもうウォール街には向かわなかった。
 それよりも今後どうするかを、時田、セバスチャンと改めて議論した。今までも散々して来たが、悲劇を目にして何かアイデアなりが出てくるかもと思ったからだ。
 しかしなーんにも出てこなかった。

 そして月曜の株式市場が閉まった頃、心がモヤモヤしていて、なんだかうつ病のように何もやる気のない状態だった。だから、リビングに寝そべる以外の事をしたくなくなっていた。

「結局、何でこんなにあっけなく暴落したのかしら」

「他人の受け売りでよければ」

 ぼーっと天井を見ながら半ば独り言を呟くと、色々な資料に目を通していたセバスチャンが、テーブルの向こうからいつもの低いバリトン気味の声で語りかけてきた。
 雑談でも気が紛れて良かろうと手で先を促す。

「結論から言うと、優良株は意外に脆弱なものだったのが原因だそうです」

「GMみたいに? 確かにGMもダメだったわね。続けて」

「はい。証拠金取引において、一般投資家が買う株が優良株です。プロの投資家ではない者から見れば、優良株なら下落は無いから安全に資産を増やせるだろうと考えます」

「妥当な判断ね」

「ええ。ですが、借金で買った株が下がれば、証拠金の請求がやってきます。そしてその請求を払う為に保有している優先株を直ぐに売らざるを得ません」

「そうなると、優良じゃない株の事とか考えたくもないわね」

 思わず手を額にペチンと当てる。

「全くです。しかし、今日起きたのはその特大版ですね」

「約100億ドルが露と消えたんだもんね。想像も付かないわ」

 本当に想像がつかない。日本の国家予算の10年分以上だ。アメリカの国家予算すら上回っている。
 そして私が想像がつかない以上に、他の人はもっと想像できてないだろう。アンニュイなまま目線を向けたセバスチャンも、そんな表情が半分くらい浮かんでいた。今回の事は予想以上だったらしく、流石に肝が冷えたらしい。
 強キャラ過ぎる奴かと思っていたけど、案外脆いところも見つけて人として少し安心できる。そう思いつつ私が少し笑みを浮かべたら、セバスチャンも冷や汗を一筋垂らしつつ笑みを返してきた。
 そして気丈に聞いてくる。

「まだ、落ちますか?」

「逆に落ちないと思う?」

 私のさも当然という素っ気ない返しに軽く息を飲むが、話す事を止めようとしない。話さないと不安なのかもしれない。

「思いませんが、鈍化して欲しいとは心底思います」

「そうよね。けど、残念。まだまだ落ちるわよ。あのウォール街中の人たちが、近くの教会という教会に足を運んで同じ祈りを捧げるくらいにね。ちょっと早いハロウィン・パーティーってとこかしら」

 私が淡々と告げた言葉に、セバスチャンは流石に返す言葉がなかった。
 顔もさらに青ざめている。
 ただ私も、少し露悪的になり過ぎていたかもしれない。それくらい神経がやられているんだろう。

 そして私の『予言』通り、10月29日火曜日、再び暴落。約140億ドルが消えた。
 木曜から1週間で消えて無くなったドルは、総額の約3分の1、実に300億ドル。21世紀の価値で225兆平成円。しかもこれは、世界人口や世界経済が、21世紀と比べ物にならないくらい小さな時代の話だ。
 しかも1929年の資本主義の経済システムは、21世紀に比べると未熟で脆弱だった。

 株式市場自体は、そこまで世界経済に影響しないと考える学者も少なくない中で、アメリカはとにかく突然消えて無くなったドルをなんとか補填するため、世界中に散らばっていたドルと黄金の回収を急速にかつ無慈悲に実行していった。
 そうしなければ自分達(の経済)が文字通り死んでしまうと考えたからだが、助かる者がいれば息絶える者も出てくる。しかもアメリカは、回収した金を後生大事に金庫に収めて自らの不安を少しでも鎮めようとした。
 金は天下の回り物という言葉を忘れたかのような所業は、当然、さらなる悪影響を世界中にもたらしていく事になる。

 もっとも、私が何かを言えるわけがない。
 そもそも私に経済の素養はない。勿論、転生してからそれなりに勉強したが、前世の記憶で知っているのは21世紀経済の表層のごく一部だけでしかないので、この時代の経済について偉そうな事は何も言えない。
 私が出来る事といえば、私と私の周りの為に日本を助けるべく動くだけだ。
 だから、お金をドブに捨てるのを最低限にしたし、これから起きる歴史の流れに対して足掻いていくしかない。

 そしてある意味で世界恐慌の発生は、私の体の主(あるじ)との十五戦争の、次なる試合開始だった。
 少なくとも私はそのつもりだ。

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証拠金取引
株式投資のように売買の都度、代金を受け渡すのではなく、決済時に売買により生じた損益(差額)のみを受け渡す。このような取引を「差金決済」と言う。

差金決済では、新規建て時に受渡金額は必要ないが、取引により損失が生じた場合でも決済ができるように一定額の金銭を預けておく必要がある。この預け入れる金銭を「証拠金」と呼び、証拠金を使用した取引のことを「証拠金取引」と呼ぶ。

一般的に、取引に必要な証拠金は、取引金額よりも小さくなるので、少ない資金で大きな金額の取引を行うことができる。これをレバレッジ効果という。
例えば、1万円の証拠金で10万円の取引ができる場合、レバレッジ効果は10倍となる。
だが、レバレッジは信用創造。その信用が逆流すれば悲惨だ。

なお、受け売りをそのまま書いているので、書いている当人も理解した気になっているだけだ。
要するに、素人は手を出さない方が良いと言う事だ。
うまい話なんてそうそうない。

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