■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  113 「新たな決意と出発」

 金は天下の回りもの。

 けど、お金だけを回すだけ回してオーバーヒートさせた結果が、史上空前の株の大暴落。
 この後待っているのが、アメリカがお金を溜め込んで回さなくなった事で起きる歴史上空前の不況。
 さらにその不況の中から、次の世界大戦の序曲が始まる。

 この流れが起きるまでは、止められないまでも緩和できないかと思った事は何度もあった。けど実際目にして、出来る事など何もないと魂に深く刻み付けられた。
 以前から「歴史を見てくる」と公言してその場に立ち会ったけど、実際に見て正解だった。世の中には抗えないものがある事を、私は深く理解できたからだ。
 そして深く理解した上で、私は私自身の破滅、一族の破滅、財閥の破滅、そしてさらに日本の破滅を回避するべく、全力を傾けると決意できた。

 もはや奇跡を起こさないといけないレベルの難問だけど、日露戦争の当事者は6割は人の奇跡だと言った。『人事を尽くして天命を待つ』を、具体的な数字で表現したものだ。
 私もそれをすればいい。
 6割の奇跡を自前で用意すれば、運命の女神か何かは振り向いてくれる、かもしれない。
 そして私は、その6割の奇跡の幾らかを用立て出来るかもしれない立ち位置にいる。
 全部を奇跡に頼るのではなく、自分の力で、そして私に力を貸してくれる人、そうでなくても同じ方向に歩いている人、そうした人たち全ての力を結集して、私が望むように歴史を捻じ曲げてしまえば良いだけだ。

 もっとも、ここまで考えて決意するまでに、世界経済の鍋の底が抜ける様を見てから1週間ほど必要だった。その間の大半を、私はうつ病患者のように腑抜けた状態で過ごした。
 さらなるショック療法で、もう一度だけニューヨークの中心部に足を運んだけど、その前に何かに祈りたくなってトリニティ教会に行った時点で引き返した。
 何しろそこには、私以上に切実な人達で一杯だった。
 おかげで余計鬱になってしまうほどだ。

 自分がこうなるだろうという予感があったので、西海岸ではかなりハッチャケていた。テキサスでも気晴らしした。中ば景気付けに油田を掘り当ててみたりもした。ニューヨーク以外では、出来る限り株式市場の事は考えないように過ごした。
 紅龍先生をお供にしたのも、気兼ねなく話せる相手だからだ。
 だが、足りなかったらしい。数日間、色々と考えて決意を新たには出来たけど、動くきっかけが掴めない。
 だからすぐに帰国するのではなく、充電してから国に帰ろうとぼんやりと思い始めたのが、月が変わって11月に入ってから。
 今は、その充電の為の準備期間も兼ねている。

 そうした中で、11月初旬、明治節の翌日に来客があった。
 ロバート・スミスだ。

「先日は醜態をお見せしました。本日は、伯爵令嬢にご助言をいただきたく参上した次第」

 取り敢えずだろうけど、上っ面は取り繕えるくらいに精神は復活したらしい。しかし、プリンセスではなく伯爵令嬢と言った。かなり真面目な話のようだ。
s
「いいえミスタ・スミス。あの惨状で平静でいられる人などおりません。私もこの数日間、何も手が付きませんでした」

「そうでしたか。にも関わらず、お会いいただき感謝いたします」

「ミスタ・スミスを無下になど出来ませんわ。けど、ご助言と言われましても、私にお答え出来るような事があるとは思えないのですが?」

「いいえ。あなたは、今回の事を正確に予測なさっていました。今後も予測されているのではありませんか? そうでなかったとしても、外からの言葉をお聞きしたく考えております。勿論、それだけの対価も支払わせて頂きます」

 そうまで言われ、頭まで下げられては話す事などないとは言えない。
 少し考える素振りをしてみるが、私は色々と「知っている」。そして、これまでの事が私の「知っている」通り動いた以上、同じように動くだろう。

「あくまで予測になりますが、楽観論と悲観論のどちらが宜しいですか?」

「既に両方予測済みでしたか。我々が考える参考としたいので、両方をお願いします」

 贅沢なやつだ。まあ、何らかの形で誰かに話したいと思っていた事なので、こちらとしては渡りに船だ。
 そう少しだけ思ってから口を開く。

「まずは確認を兼ねて。今回、5年かけて急騰し続けたのですから、今回の暴落を差し引いいても、3、4年かけて落ちて行くのが自然でしょう」

「揺り戻しですね。しかし3、4年ですか。それで25年頃の100ドル辺りまで下落を続けると?」

「一時的に上がる時期もあるでしょう。株式市場ですからね。しかし、現状のままでしたら全体としての下落は止まる要素が見当たりません」

「それは我々と同じ結論です。それで?」

(同じじゃないけどね。何しろ40ドル辺りまで落ちるから)

 そう心の奥底で別の事を思いつつ、違う事を口にする。

「策という程ではありませんが、何をすれば良いのかは分かっているつもりです。ですが、どれもアメリカには馴染まないものです。特に共和党政権では、行われる可能性はかなり低いと見ています」

「自由放任主義の逆を行うべきだ、と」

 言葉に出した通り、ミスタ・スミス、いやアメリカ財界も政府が何をするべきかは分かっているのだ。

「そうです。早急な無制限の金融政策か、政府による天井無しの積極財政による公共投資などが必要です。しかし、政府の対策だけでは足りません」

「無制限でも、ですか?」

「はい。皆様のこの1週間ほどの動きで確信しました。皆さん、必死でドルをお集めになっていますね」

「当然では?」

 何を言うんだと言わんばかりの声色と表情だ。
 だから私は言わねばならない。多分、伝える機会はこれを置いて他にないだろうと感じたからだ。

「アメリカ人の、しかも資本主義の寵児である皆様に今更言う事でないのは百も承知で言わせて頂きますが、金は溜めるものではありません。使うものです。使ってこそ意味があるものです。
 勿論、使い所は見定めないとドブに捨てることになります。ですが、皆様が金庫に貯めて安心するだけでしたら、アメリカ経済、いいえ世界中の経済が落ちるところまで落ちるでしょう」

 そこで言葉を切る。
 だいたい言いたい事は言った。しかし、私にはこれに対する適切で詳細なアドバイスが出来ない。21世紀にはある程度克服できる、もしくはもっと優れた金融システム、経済システムがある筈だが、私はそれを詳しくは知らない。
 それに、仮に知っていたとしても、そのシステムを構築する為に多くの努力と時間が必要になるだろうが、その時間があるとは思えない。
 私としては預言者の言葉のように、どうとでも取れる大雑把な言葉で、警告を発するのが限界だ。

 そして言葉を紡ぎながら分かっていた。
 溺れかけている者が藁にすがっているのに、その藁を手放す筈もないだろうと。
 ミスタ・スミスの表情も、ある程度の理解を示しているが、一方で落胆も僅かに見える気がする。その程度かと思っているんだろう。
 まあ、莫大なドルを溜め込んだ状態の私が言える事じゃないだろ、くらいに思っているんだろう。

「なかなかに含蓄のある言葉ですね。そのお言葉は、必ず我が主人にお伝えしましょう」

「お願いします。ただご理解ください。現状は、我々の予測を大きく超えています。言える事など、本当にないのです」

「確かにそうですね。私達も今、寵児と評価いただきましたが、伯爵令嬢のようにどこを向くかを少なくとも示せる者は誰一人いませんでした」

(まあ、そうだろ。いたら、私の前世のようなドン底になるわけがない。けど、答えがあるなら、私の方が教えて欲しいっての)

 返事を聞きつつ心の片隅で悪態をつきつつ、この話はここまでと心を切り替える。

「何の力にもなれず、申し訳ありません。ですが、金を使えと言った当人ですので、時期を見てアメリカで盛大にお買い物はさせて頂きます」

「何よりのお言葉です。しかし今は、という事で宜しいでしょうか?」

 私の言葉でミスタ・スミスも切り替えてくれた。
 そして事情も察しているので話も早い。

「一度本国に戻り、国内の情勢を見定めないとなりません。それに、今の私の妄言のようになるとも限りません。いつ商談が出来るかという件は、即答しかねるのをご容赦ください」

「とんでもありません。ですが、何をご用意すれば良いか、再考が済みましたら可能な限りで構いませんので、お知らせ願いますか?」

「勿論です。それと既に提示しているお買い物リストに、大きな変更はないと私自身は考えています」

「そう、なのですか? これから不景気に入るというのに?」

「我が祖国日本は、途上国もしくは新興国です。アメリカやブリテンのような先進国ではありません。ですから我々が欲しいものは、今回の件で多少の時期のズレはあるでしょうが必ず必要となります。この場で確約しても構わないくらいですが、我々がアメリカに留め置いているドルの最低でも70%程度は必ず使う事になるでしょう」

「そのお言葉、必ず皆々に伝えましょう。それにしても、この情勢でこれほど剛毅な言葉を聞けるとは、これだけでも伯爵令嬢にお会いした甲斐がありました。お恥ずかしい限りですが、本当に心が救われた気分です」

「私、口にした事は必ず行う主義ですの。ですから、これからも良い関係が続けられると大変嬉しく思いますわ」

「勿論です。またお会い出来る日を、心よりお待ちしております。それで、これは雑談なのですが、当面の今後のご予定は?」

 雑談と言ったが、これも聞きたかった事だろう。
 そしてこちらに隠す理由もない。

「本来ならこれから本格的な商談の予定でしたが、それも叶わなくなりました。ですので、空いた時間を利用してヨーロッパを少し回りつつ、国へ戻ろうかと考えています」

「そうですか。我々も残念に思いますが、それが宜しいかと。それでは良い旅を。そして無事の帰国をお祈り申し上げます」

「有難うございます。ミスタ・スミス。皆様に神のご加護がありますように」

 そう言いつつ立ち上がり、右手を差し出す。そして私の子供の手をミスタ・スミスの大きな手が握る。
 アメリカでの挨拶はシェイク・ハンド。
 これでアメリカともお別れだ。

__________________

トリニティ教会:
マンハッタンの中心街のブロードウェイとウォール街の交差点に位置している。

自由放任主義:
この場合、政府は企業や個人の経済活動に介入してはならないという考え方。政府が口出ししない方が上手くいくという、資本主義的な考えが強い。
一方の世界列強の大半は、基本的に真逆の国家社会主義に突進していく。
アメリカの「ニューディール政策」も社会主義的。この時代は、それしか手がない。

登場人物。ネームドについて:
「アメリカ編」とでもいうべきパートは、可能な限りアメリカのネームド(歴史上の人物)の登場をさせないようにしました。出ても、本編に当たり障りのない人が殆ど。
あくまで日本のお話に収めないと、収拾がつかなくなるかな、と思ったからです。
それに、この段階で「ラスボス」達を出すのも気が引けたので(苦笑)
色々な人の登場を期待されている方がいらしたら、申し訳ありません。

前にもどる

目次

先に進む