■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  124 「ドイツはまだ平和?(1)」 

「アレ? もうドイツ?」

「はい。国境も越えてパスポートの提示もされましたよね」

「うん。けど早くない? 日本だと東京から神戸行くのに、丸半日かかったのよ?」

「まあ、ここはドイツと言っても、ドイツで一番西にある大都市だからな」

 座席のうたた寝をから目覚めたばかりの私の質問に、シズ、そして紅龍先生が答えてくれる。
 汽車で1日もかからずに、フランスのパリからドイツのフランクフルトへと入った。
 フランクフルト言えば、二次元世界だと執事の名前としてだけで有名なセバスチャンの勤務地。日本全体で聞いても、海外の金融、経済関係に詳しくないと、知っている人が少ない街かもしれない。
 けど、フランクフルトは、近代に入る頃からドイツの金融の中心都市として大いに栄えている。

 ただ私の前世の21世紀と違って、この頃のフランクフルトはあまり元気がない。ドイツ全体が元気がないせいだし、ヨーロッパ経済がまだ一つになっていない影響だ。
 そんなフランクフルトに鳳財閥が支社を置いているのは、22年あたりからはスイスにある鳳宗家の隠し財産の口座管理の半ば隠れ蓑だ。本体はスイスにあるが、表向きはそうとは見られないように比較的近くのフランクフルトに支社を置いている。
 しかし小さな支社では無く、ロンドン支店のさらに支店くらいで、窓口にしかなっていない。殆どペーパーカンパニー状態で、本丸はスイスにあるからだ。

 それでもフランクフルトは、鳳グループがドイツで唯一の拠点を持つ街なので、今回の立ち寄り場所に選んだ。
 それに観光目的では無くお兄様に会うだけなので、特に接待などされなくても良いし、ドイツでは出来る限り余計な接触とかは避けたいので、地味で問題ない。
 だから出迎えも敢えて用意させていない、筈だった。

「やあ、遠路遥々ようこそ。玲子、それに紅龍も」

 私のお兄様である鳳龍也大尉殿が、歯をキラリとさせんばかりの笑顔で出迎えてくれた。

「お久し振りです、お兄様!」

「いや、公の場では叔父さんと呼べ。ともかく、元気そうだな龍也」

 私がお兄様にダイビングハグをして全身で喜びを伝えているというのに、紅龍先生は相変わらず無粋だ。

「そうでもないよ。色々移動している時に水が合わなかった時があって、胃腸をひどく悪くした時があってね。紅龍の開発した新薬のお世話になった」

 私の頭を優しく撫でつつ、結構怖い事を普通に話す。
 思わずギョッとして見上げると、私に笑顔を向けさらに優しく撫でてくれた。

「そんなに心配しなくても大丈夫。この通り元気だから」

 そうは言うが、言われてみれば少しやつれている印象を受ける。

「本当に大丈夫なのですか? それで、やはり胃腸を患われたのでしょうか?」

「ああ。細菌性の胃腸炎で高熱まで出たけど、経口補水液ってやつと、なんだっけサルファ薬? あれのおかげですぐに良くなった」

「いつ? もしかして、まだ病み上がりか?」

「ああ。まだ一月も経ってない」

「なるほど、それで私達は、達也が倒れた話を知らないわけだな」

「いや、大事には至ってないから、こちらから話は止めてもらっていた。まあ、止めてもらったのは、どちらかと言うと陸軍内向けだけどな。陸軍将校が胃腸でやられたなど広まっては、出世に関わりかねない」

 そう言って破顔する。つまり陸軍は半ばついで、半ばジョークだ。心根の健やかすぎる人だから、一族の者に心配かけまいとしたと言うのが真相で間違い無いだろう。
 それにしてもゾッとする話だ。
 ただの胃腸炎でも、経口補水液のお世話になっている時点でかなりの重症だった可能性がある。下手をすれば、極度の脱水症状だけであの世行きなのが、経口補水液登場以前の世界だ。
 その上、抗菌剤のお世話になっていると言うのだから、軽い胃腸炎という事もないだろう。

 もしかしたら、ゲーム上ではこの海外留学中に命を落としていたのかもしれない。
 あれだけキラッキラな経歴を持つお兄様なら、万が一に命を落とすにしても華々しい戦死こそが相応しいが、ゲームデザイナーの捻くれ具合からしたら病死は十分あり得る。しかも胃腸炎とか、死因のトップ3の一角とはいえタチの悪い部類だろう。
 そんなゲームへの理不尽な怒りと、もし薬を紅龍先生に作ってもらっていなかったらという恐怖、そしてこうしてフラグをへし折ったのだという安堵から、思わずお兄様にギューッと抱きついてしまう。

「玲子、大丈夫だから。それにホラ、ちゃんと足もあるし、こうして抱きしめても実感があるだろ」

「……はい」

「困ったな」

「まあ、好きにさせてやれ。玲子はお前に一番懐いているからな」

「そうかな? 紅龍にこそ懐いてないか?」

「ハ? そんなわけあるか。こいつは、二言目には悪態をついてくるぞ」

「一族の中でも、面と向かって玲子が悪態を付ける大人は紅龍だけって事だろ。一番懐かれている証拠だよ」

「……あの、本人の頭の上で、不適切な遣り取りはお止め下さい」

「ごめんよ、玲子。それと涙はちゃんと拭きなさい」

 私にとって聞きづてならない会話だったので、抱きついたままお兄様を見上げると、爽やかな笑みが返ってくる。
 そして言葉通り、右手にはお兄様のハンカチが握られている。これがギャグ漫画なら、手にとってハンカチで鼻までかんでしまうところだが、お兄様はそのまま自分で私の目元を優しく拭ってくれる。これが女性の扱いを弁えていない紅龍先生だったら、ゴシゴシされているだろう。

「それで、ドイツではどこに? 近場なら案内するよ」

 本日の滞在場所のホテルのスイートに落ち着いて、ようやくいつも通りの会話になった。
 いや、お兄様がいるのだから、いつも通りではない。3年近く会っていないので、こうして対面しているだけで嬉しくなる。

「玲子、ニヤついてないで、プランを提示しろ。私は特に用はないぞ」

「えっ、ああ、私も別に。ドイツに来たのは、お兄様にお会いしたいだけだったから」

「嬉しい事を言ってくれるね。なら、俺がどこか案内しようか。3日ほど休暇を取ってあるから、ドイツ国内なら大抵の場所は案内できるよ」

「ドイツか。名所と言われても、あまりピンとこんな?」

「そうだなあ。ここの近くだと、ケルンの大聖堂。あれは見ものだ。大聖堂なら、この町の大聖堂もなかなかのものだな」

「ノイシュヴァンシュタイン城は?」

「のい、どこだそれは?」

「ああ、スイス国境近くのアルプスの麓にある白いお城だね。うん、女の子らしくて良いんじゃないか」

 そう言ってお兄様は笑顔になったが、私は前世で行っている。外観は某灰かぶり姫のお城のモチーフになった白く美しいお城だが、中身は白人趣味全開。キンキラキンすぎて、日本人にはあまり馴染まないゴージャスさで彩られている。中を見て感じ入るなら、ケルンの大聖堂の方が余程良いだろうと思う。
 しかし二人は好感触のようだ。

「スイスの山々を見て、確か玲子はヴェネツィアに行きたいんだろ。南の方のその、ノイなんたら城が良いじゃないか?」

「次はスイス、イタリアに行くのなら良いコースかもね」

「はい。あとはマルセイユまで行って、そこから船でエジプトに行く予定です」

「なら、ノイシュヴァンシュタイン城、ヴェネツィア、スイスの山々と行って、ジュネーブからマルセイユって感じで良いんじゃないかな?」

「そうですね。ドイツではどうするか決めてなかったので、そのコースで良いと思います」

「地理の事は不案内だから、達也の言う通りで構わんぞ。しかしさすが陸軍だな。地図が頭に入っているのは便利で良さそうだ」

「地図を頭に入れるのは、本当に仕事柄って感じだな。まずそこがどんな地形か考えてしまう」

 紅龍先生の他愛ない言葉に、お兄様が苦笑する事しきりだ。
 そういえばこの二人は、意外に仲がいい。お兄様が、タメで話をする数少ない人の一人が紅龍先生だ。ジャンルの違う天才同士と言うのもあるだろうが、性格的にかなり違うから凸凹なのだが、それが良いんだろう。
 だから私もお兄様に会おうという気になった。そしてお兄様に会う目的は、一応別にある。
 そろそろ話を進めるべきだろう。

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