■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  125 「ドイツはまだ平和?(2)」 

「地形がね。まあ、職業病というやつだな。それで、こっちの様子はどうだった? 英国もフランスもそれほど変わらないように見えたが?」

 私が聞こうと思っていた事を紅龍先生に言われてしまった。
 私のセリフとお兄様との会話を取るなど、言語道断だ。

「フランクフルトも平静に感じましたが?」

「そうだね、ヨーロッパはまだ特に何もないと思う。でも、アメリカは大変らしいね」

「はい。今アメリカ中の株主と企業は、世界中からドルを回収する動きを極端化させています。恐らくですけど、ヨーロッパの国や企業のトップはそろそろ大慌てだと思うのですが、ドイツ軍の方から何のお話もなかったのですよね?」

 可愛く見えるように小首を傾げてみたが、お兄様の憂いた表情に大きな変化はない。ごく小さく笑みを浮かべてくれただけだ。

「ああ、手紙をもらってから少し聞いてみたが、軍には波及してないね。それに俺が知己を得た人達は、それほど高い階級じゃないから、まだ話が及んでないんだと思う。それで、手紙では濁されていたけど、どうなんだい?」

「確実に悪く、ううん、酷くなります。特にドイツはアメリカからの資金が根こそぎ引き上げたら、ハイパーインフレの時のような大混乱に陥る筈です」

「だろうな。止める手立てとは言わないが、何か出来る事はあるかな。あるなら知人には知らせておきたい」

「ないと思います。一瞬で300億ドルが消えて、戻る事はないから」

「300億ドルか、想像もつかないな。まあ、この話は止めておこう。手紙の通りなら、ドイツが急速に悪化するのは俺が日本に戻って以後なんだろ?」

「はい。それにドイツにはあまり関わらない方が良いと思うし」

「歯切れが悪いね。少なくともドイツの軍人は、任務に忠実で人としても信頼が置けると思えるんだけど」

「軍人の殆どはそうだと思います。危険なのは政治の方です。これからまた大きな不景気突入するから、それに乗じて勢力を拡大する勢力が一番危険です。潰れてくれたら良いんだけど」

「あまり悪くいうものじゃないよ。誰もが祖国を良くしようと動くんだからね。でも、その口ぶりからすると、どの政党、いや誰か分かっているんだね」

「はい。けど、お話しない方が良いでしょう?」

「ああ、そうだね。聞かない方が、誰の為にも良いだろうね。まあ俺の私見としては、共産党以上に危険な政治団体、政党はドイツには見当たらないんだが」

「現状ではそうだと思います」

 そう。ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)はすでに存在してアドルフ・ヒトラーが党首になっている頃だったと思うけど、この時点では小さな政党だった筈だ。
 それを十年、十五年後の世界平和の為だと断罪したとしても、それは狂人の行いでしかない。
 それに私は、前世の知識でナチスやヒトラーが危険だとは「知って」いるけど、何がどう危険なのかを問われても、人種差別とか侵略戦争とか、この時点では世迷い言の類の話しか知らない。

 そうした事を考えつつ、言葉の最後に小さくため息をつき、次の瞬間にはポンと手を叩く。

「それよりチェコとスウェーデンはどうでしたか、お兄様?」

「ああ、チェコの軽機関銃は確かに良いものだったよ。あちらさんのご好意で数丁試供品でいただいたので、陸軍に送ってある。そうしたら100丁を購入、それ以後はライセンス生産という事になる予定だ。海軍でも外地の陸戦隊が装備するらしい」

「何の話だ?」

「玲子が、いい武器があるから見て来て欲しいと言っていたのでね。それで見て来て、実際良いものだったから陸軍で買ったというわけさ」

「玲子、お前軍事にまで口出ししているのか? あまり感心はせんな。それでスウェーデンもそうなのか?」

 そう言った紅龍先生の視線が少し厳しい。
 やっぱり医者だからだろう。

「うん、そう。夢に出てきた良い武器だから、お話ししたのよ。日本の為になるんだから、伝えないわけにはいかないでしょ」

「そうか、そうだな。お前は夢を見るだけだったな。いや、すまん。それでスウェーデンでは何を買ったんだ、龍也?」

「良い物はあったけど、今の陸軍ではちょっと手が出なかったよ」

「自前で作るのも無理なのか?」

「自力生産だともっと厳しいな。日本の工業力、特に冶金技術が弱すぎて、あの精度を出すのは出来たとしても相当苦労するだろうし、大元と同じ性能が出せるかも疑問だな」

 冷静な目で、冷静な判断を口にする。そうしている時のお兄様は、本当に優秀な軍人にしか見えない。
 実際優秀すぎるくらいの軍人なのだから当たり前だが、見る機会がない私としては少し新鮮であり、同時に遠い世界の人のようにも思えてしまう。
 そしてさらに思うのは、私は色々考えて行動しているが、戦争や戦争に関わる兵器について、あまりにも知らなさ過ぎると言う事だ。しかも知ったところで、直接できることはない。
 出来る事と言えば、鳳グループを大きくして、他の財閥やできるなら日本の産業自体を少しでも発展させ、万が一の事態に備える事が出来るかどうかだ。

「せっかく教えてくれたのに、ごめんね玲子」

「いいえ、スウェーデンの兵器は日本には無理だと思っていたので、全然」

 慌てて首を振るが、何かしら顔に出ていたんだろう。
 まだまだ子供なので気を緩めて良い相手だと、どうしても油断してしまう。
 もっとも、お兄様には全部お見通しな感じで、さらに笑みとともにこんな言葉が出てきた。

「陸軍では手が出なかったけど、うちから寄付という形で幾つか手に入れた。訪れて何もなしでは、あちらさんにも悪いからね」

「どんな武器ですか?」

「玲子が話していた口径75mmと88mmの高射砲、それに野戦砲にも使える試供品の変わった軽砲をそれぞれ数門ずつ。賄賂代わりの割り増し代金だから、倍くらいの額を払ったけど構わなかったよね」

 そう言ってウィンクする。流石はお兄様だ。
 お金とかは鳳グループが用意したものだが、交渉やら見極め、さらには日本陸軍側の説得などをしないといけないので、お兄様でなければ、そんな搦め手の輸入は無理だっただろう。
 それに日本がドイツが極秘開発しているに等しい高射砲を手に入れるには、相当の交渉術が必要だった筈だ。
 特に、手に入れるには他国に話さないからというレベルの話も必要だった筈で、ウィンク一つで済む話じゃないだろう。
 しかしそんな裏話をお兄様が私に聞かせる必要ないと感じている以上、私の言葉は決まっている。

「流石です、お兄様!」

「ありがとう玲子。玲子のお陰だよ」

 そう言って撫でてくれる。ほっぺにキスのひとつも欲しいくらいだけど、まあベッタリ引っ付いているのを咎めないだけで十分だ。
 けど、お兄様は私が伝えた以上の事をしてくれていた。私は見てくれと頼んだだけで、それも高射砲だけだった。それをドイツ軍に渡るであろうもの、スウェーデンが他国向けに作った対戦車砲の元祖まで手に入れ、日本に送ってしまった。
 これで日本陸軍は、私の前世の歴史よりも早く現物と知識を手に入れたので、開発などが早くなるかもしれない。
 そしてこの話は、これで終わりじゃない。
 他にも私が蒔いた種が、違う形、大きな形で成長する可能性がある事を示している。
 これからは混乱の時代に入るのだから、今まで以上に慎重に伝えたり誘導したりしないといけないと考えさせられてしまう。

 それでも今は、お兄様の笑顔を堪能するくらい許されるだろう。

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口径75mmと88mmの高射砲
どちらもドイツが1917年に開発した88mm高射砲「Kw FlaK」の系譜に属する。
75mmは、ヴォフォースが独自開発した「75mm Lvkan m/29」。
支那事変(日中戦争)で中華民国が装備していたものを鹵獲し、その後リバースエンジニアリングして「四式七糎半高射砲」となる。
88mmはドイツ軍の「FlaK 18」。ドイツ軍の装備として有名なのは「FlaK 36」以後のヴァージョン。
(日本陸軍が鹵獲してリバースエンジニアリングした「九九式八糎高射砲」の大元の「8.8 cm SK C/30」とは別物。)

野戦砲にも使える試供品
ボフォース社が1921年に開発を始めた、世界で最も早く開発された対戦車砲の御先祖様。
47mmか75mmを選択式で搭載できたそうだ。
タイと中華民国が少数購入しているが、実戦で使われたという話は聞かない。
この開発を経て、優秀な37mm対戦車砲が開発される。

なんか、久しぶりにミリタリーな事を書いた気がする。

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