■「悪役令嬢の十五年戦争」
■ 127 「東地中海一周ツアー」
「なあ、姫よ。なぜ俺達の船の前を軍艦が先導している?」
「たまたま、だそうよ」
「たまたま、ね」
「まあ、道中はのんびりさせてもらえば良かろう。これも姫の人徳というもの」
八神のおっちゃんは胡散臭げに、ワンさんはさも当然とばかりに私達が借りた地中海クルーズ用の船の前を進むイギリスの軍艦、多分駆逐艦に視線を送る。 なんでも、ジブラルタルからエジプトのアレキサンドリアまで向かう途中に、「たまたま」ルートが重なったらしい。 確かにマルセイユを出て少ししてから姿を現し、そして「航路が同じなので」前を進むようになった。
しかし事前に連絡は受けている。 いや、こちらから連絡したらやって来たのが、目の前の軍艦だ。本当はもっと大きな軍艦を寄越したかったみたいだが、私の話が急すぎたので、あれが精一杯だったらしい。 それでもチャーチルと知己を得ていて良かった。 それがなければ、今回の突然の悪巧みを私は実行しなかった。
勿論だが、表向きの理由は少し違う。 アメリカのとある筋からの依頼をチャーチルが受けて、英海軍が少し過剰に動いたという事になっている。 そしてアメリカのとあるところにイギリス滞在中に話を通してあるので、私は世界のルールに違反はしていない。
それはともかく、エジプトはイギリスの半植民地だから、まあこちらが多くを言う事もないだろう。私をお得意様と考えているアメリカの人達にとっては、10億ドルをいずればらまいてくれる人に何かあったら大損なので、私のワガママに最大限の配慮を行なったと言う事になるのだろう。
「それにしても、軍艦の護衛付きで観光旅行する羽目になるなんて、思っても見なかったわね」
「海賊でも出るのでしょうか?」
「海賊も、こんな小さな船は襲わないでしょ。まあ、あれね。これだけしてやるんだから、絶対に買い物しろってアメリカ人の催促みたいなものよ。断るのも失礼だし、最高のエスコートと思っておきましょう。あ、でも、どこか買い物できる港に着いたら、あの船の乗組員に何か当たり障りのない差し入れしてあげて」
「畏まりました」
そんな感じで、チャーターした高速ヨットを使い、丸二日でアレキサンドリアに向かう。 地中海を行き来するのにどうしようかと思ったが、さすがヨーロッパ。金持ち用に、高速ヨットなんてものがある。しかもヨットと言っても、小さくはないし、帆を張って進むわけじゃない。1000トンほどある、かなり立派な船だ。それでいて中は、豪華な別荘といった感じに誂えられている。 乗組員も金持ち相手の商売をしている人が雇っている船員で、私達が東洋人でもお金を払う以上気にもしない。船長とは挨拶したが、軍を退役したと言う立派な紳士だった。 ただ、「護衛」にイギリスの駆逐艦が随伴するので、すっかり萎縮してしまっていた。彼らがコソコソ話すのを聞いたところでは、私はインドのマハラジャのお姫様らしい、との事だ。
「それで、エジプトには何をしに行く?」
マルセイユを出航して1日目の夕食後、私、紅龍先生、シズ、八神のおっちゃん、ワンさんと、ヨーロッパ旅行での私の幹部と言える会議で、八神のおっちゃんが聞いてきた。 私の返しは決まっている。
「いや、観光だけど。アレキサンドリア、カイロ、イスタンブール、アテネ、ローマ。古代遺跡を見まくるのよ。すごく文化的でしょ」
「本当にそれだけか? その為にご大層な船を丸ごと借りて、イギリスの軍艦が護衛に付くのか? 俺の知る限り、ヨーロッパでお前の知名度は大した事はない。知っているのは、アメリカで大儲けした事を知っている投資家と上流階級のごく一部だけだ。お前を狙うギャングや犯罪者、それに便衣(テロリスト)はいない。正直なところ、アメリカではともかくヨーロッパでは俺達の護衛すら過剰なほどだ」
(まあ、アレキサンドリアにカイロ、イスタンブール、アテネは行った事ないから行ってみたいんだけどね)
内心そう思いつつも種明かしの時間らしい。 八神のおっちゃんは、マルセイユに船丸ごとって辺りからこんな調子だったが、英国の軍艦を見てさらにただでさえ怖い顔が、さらに怖くなっていた。 それに私も、船の上で事情は話すつもりだった。
「クリスマスまでにヨーロッパに戻るのは本当よ。できればローマでクリスマスミサに参加して、ヴェネツィアあたりで新年迎えてから、日本に戻りたいわね」
「それはいい。それで、これから3週間でどこに行く?」
「どこだと思う」とは答えないが、代わりにニコリと笑みを浮かべてから答えを告げる。
「アラビアンナイトの世界まで。シェヘラザードって、少し私っぽくない?」
「千夜一夜と未来予知のどこが同じだ? しかし、アラビアンナイトだと? バクダッドにでも行くのか?」
エジプトではないだろうと見ていたのか、あまり乗ってくれない。 話しつつも、私に次を言えと顔で急かす。
「イラクには行かないわよ。行くのは、その南のクウェートとアラビア半島のど真ん中あたり。今は、ヒジャーズ・ナジュド王国って呼ばれているらしいわね。あと数年したらサウジアラビアって国に変わるけど」
「姫よ、そこに何があるのですか? 行き先がペルシャ湾となると、真珠くらいしか思い浮かばないのですが?」
ワンさんが意外な博識ぶりを披露する。本当にこの人は、見た目に反してインテリだ。
「その天然真珠産業は、御木本さんの養殖真珠に駆逐されつつあるわよ。私が探しに行くのは、掃いて捨てるほどの石油ね」
「テキサスよりか?」
「あんなの目じゃないわね。探しに行くのは、世界最大の油田。人類が四半世紀は水より安く石油を利用できるわよ」
「……」
スッゲー胡散臭い奴を見る視線で私を串刺しにする。 まあホラもよく吹くけど、ちょっと酷いと思う。
「いや、マジ、本当に本当だから。そこにツバつけに行くのよ。だから、イギリスの軍艦が付いてくるってわけ。あれは先導兼共犯者よ。日英米共同の、世界最大の青田買いが目的って事ね。現地には日英米の担当者がそろそろ着いていて、現地の政府や部族の人達と私達を待っているわ」
「こんなご時世に石油なのか?」
「むしろこんなご時世だからよ。日本が、というより私が手を出せる数少ないチャンスだし、こんなチャンスは二度とあるか分からないくらいだからね」
「さっぱり分からんな」
「いい? 私は金持ちになって、どん底に突き進みつつあるアメリカは、何としても私にお金を使ってもらいたいの。だから下手に出てくれるわ。そんで、不景気入った上に東テキサスで大油田見つけたら、アメリカの石油は余りまくり。世界中で石油がだぶつくわよ。だから石油に価値はなし。ここまではいい?」
「ああ。だからこそ訳が分からん」
「だから青田買い。先行投資だって言っているの。十年後はともかく、二十年後には、石油はここの石油のあるなしで世界経済が大きく変わるわ。その大きすぎる利権の幾らかを、日本が、いいえ鳳が押さえてしまうの。しかも、ちょー安く。しかも油田全部を私が今から見つけるんだから、一番でかいツラできるわよ!」
言い切って、まだない胸を逸らしてドヤ顔だ。 東テキサス油田の時からなんとなく思っていた事だが、チャーチルが向こうから会いにきた時にほぼ実行を決意していた。 まさにあの場でのチャーチルは、私にとっての分岐点に立っていた御仁だったのだ。 オタク同士だったら、『問おう、あなたが私のマスターか?』とでも聞いていたかもしれないくらいだ。どっちかと言うと、あっちが召喚する側の魔法使いだけど。
ちょっと現実逃避しつつドヤ顔から直ると、八神のおっちゃんの姿はなくなっていた。 仕方なくシズに目線をやると、「納得されたご様子です」と小声で一言。多分呆れたんだろうとは、シズの微妙な表情の変化で窺い知れる。 だから私は嘯(うそぶ)くだけだ。
「いつの世も、先を行く者は理解されないものなのね」
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御木本さんの養殖真珠 真珠の養殖の成功と商業化で、世界の宝石市場を激変させた。 それまで天然真珠は最高峰の宝石の一つだったが、養殖の成功と普及によって一気に廉価な宝石となる。 一方で天然真珠の産地だったペルシャ湾のクウェート、バーレーン辺りの国は財源を断たれて大変な目にあう。その結果、産油国への道へと向かっていく事になる。