■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  130 「海外での新年」

「アウグーリ・ボナンノ!」

「アウグーリ・ボナンノ!」

 ヴェネツィアで、1930年(昭和5年)の新年を明ける事ができた。
 加えて、ペルシャ湾での油田探しも必要最小限で切り上げたので、強行軍ながらエジプトのピラミッドやスフィンクスを拝む観光を楽しんだ上で、クリスマスイブにはローマに到着。
 「予定通り」クリスマスをヨーロッパで迎える事にも成功した。
 頑張ればドイツまで戻って龍也お兄様と新年を迎えられるかとも思い、一応電報を打って知らせておいたら、お兄様の方からヴェネツィアでの合流となった。
 欧米だと今も未来もクリスマスが一番大切な冬のイベントで、冬至と年越しの祝いを兼ねているので本当の新年は静かだ。
 おかげでこうして、お兄様と大晦日と新年を迎える事ができた。

 新年を迎える場所は、サンマルコ広場。ヴェネツィア市民も、新年を海外で過ごす旅行者も、多くがこの場所で新年とそして日の出を楽しむ。
 そしてイタリアの大晦日では、レンズ豆の料理を食べる。
 大晦日の昼にはお兄様と合流できたので、すでに確保してあったホテルにチェックインを済ませ、当然予約されているレストランへ。
 こういう時は、スーパーセレブ、もとい超ブルジョアな身の上は有難い。

「しかしなぜレンズ豆なのだ?」

「レンズをコインに見立てているからだそうだ」

「確か、来年も実り豊かに、お金が沢山儲かりますようにって言い伝えですよね」

「流石、玲子は博識だな」

「要は願掛けか。まあ、鳳は商人だから御誂え向きだな」

「ここに商人はいないけどな」

「そこにいるだろ、世界一の商人が」

 紅龍先生がそう言いつつ、豆料理に入っている大ぶりのソーセージがポイっと口に放り込む。
 世界一の商人とはどうやら私の事らしい。
 まあ、正直どうでもいい。イタリア料理といえば色々と他にも楽しめるが、これもまた良しと思い、期限も上々だから嫌味も口答えもする気は無い。

 また近くの席では、旅に同行していたシズ、八神のおっちゃんとワンさん、他十数人の使用人と護衛も席についてそれぞれ食事を楽しんでいる。
 大晦日から三が日にかけては交代で休暇と、こうして食事のご馳走を鳳の家からのお年玉の一環として贈ったからだ。
 もっとも私としては、見知った大勢との食事の方が楽しかろうという気持ちの方が大きいのだが、それでは護衛はともかく使用人が頑として席に着かないので、言い訳としてお年玉とした。
 それでもシズは、同席はあり得ないと拒み、他の使用人と同じテーブルで食事についている。

 そしてこのレンズ豆の料理は、ディナーを全部食べ終えた後での最後の料理。要するに、日本での年越しそばみたいなものだ。
 イタリア人は、これを食べないと年を越せないらしい。
 ただこれを食べるため、私の小さな胃袋では豪華なイタリアン・ディナーもドルチェも控え目となった。そうしないと食べられないほどボリューミーだ。
 話すより食べる方に、どうしても力を取られてしまう。

「それにしても世界一の商人か。ペルシャまで行っていたんだろ。ラクダは見たのかい?」

「あ、えーっと、ラクダはエジプトでピラミッドを見るときに乗ったわ。ペルシャ湾の方じゃあ、車で移動してばっかりよ」

「あのクソ暑い砂漠で、何百キロも走らされたからな」

「だから、船で待ってても良いって言ったじゃない」

「そうはいくか。それになんだあのデブは? 慇懃だが、やたらとお前に馴れ馴れしかったではないか」

「デブ?」

 お兄様が興味深げな笑みと共に首も傾げている。
 多分、その「デブ」より紅龍先生の反応の方が面白いんだろう。

「アメリカで雇った、私の次の執事候補よ。名前はセバスチャン・ステュアート。アメリカ人ね」

「ステュアートか。確かイギリスの過去の王朝の名前と同じだね」

「ご先祖様は関係ないそうよ。半分ユダヤ人だし」

「ほう。面白い血筋の人のようだね」

「どうかしら? まあ、頭は切れるし、仕事もできるし、度胸もあるわよ。ちょっとキモいけど」

「そう悪口を言うものじゃない。で、その彼は?」

「向こうで鳳石油の出光佐三さん待ち。帰る時は、インドあたりで合流予定よ」

「それにしても、アメリカで雇われてすぐにペルシャ湾とは、その彼も大変だね」

「良いのよ。私の側で使えるのが目的だって言うから、お望み通り使ってあげてるんだから」

 私の言葉に紅龍先生が処置なしとばかりに肩を竦める。そうして豆料理をつついていたフォークを私を指す。

「ところで、玲子が見つけた砂漠の油田、どれくらいの量になるんだ? どうにもあそこの連中とお前の言葉や態度の落差を感じてたんだが、世界一とはどの時代の世界一なんだ?」

 紅龍先生は私とよくつるんでいるだけに、私の事をよく見ている。そしてこの場は、店は事実上の貸切、店員は見当たらず、私たちは護衛と使用人の真ん中のテーブルという配置なので、万が一誰かが聞いている可能性もない。
 聞くにしても、一応そういう段階まで待っていたんだろう。チャーターしたヨットの場合、船員がどこで耳をそばだてているかは、確かに私も気になっていた。
 まだ盗聴器などない時代だし、窓からも遠いので口元を見られる可能性もない。
 それでも少し口元を押さえつつ口にする。

「でかいの二つで1400億、諸々合わせて1500から2000億バーレルってとこだと思う。けど、究極埋蔵量はちょっと分からないわね」

「ん? さっぱり分からん。なんだその究極埋蔵量とは?」

「究極埋蔵量は、原油価格が上がったら、採掘が難しい分を掘っても採算が取れる場合に計算できる埋蔵量ってとこかな。油層の深さ、地形、あと自噴かどうか、それと油の質とか色々な条件で採掘コストとか売却価格も変わるのよ」

「石油も案外面倒臭いものなのだな。つまりテキサスの油田が一番安く、遼河の油田が一番高いという事か」

「そういう事。今回見つけた二つの大油田も、掘りやすい何より量が桁外れだから安いわよ。このお水が馬鹿高く感じるくらいにね」

 そう言って、ミネラルウォーターのグラスを軽く掲げる。
 イタリアは、マジで飲料水が高い。薄いワインを子供でも飲むのも分かろうというほど高い。21世紀でも変わらなくて、なんなら露店で売ってるジェラートの方が安いくらいだったのを思い出した。

「それは現地でも言っていたな。どうした龍也」

「いや、あまりにも途方もない桁数だから、少し驚いてね」

 すっかり蚊帳の外で話していたせいもあるだろうが、驚くお兄様も珍しいので私的にはオーケーだ。

「そうなのか? ちなみに玲子よ、現在世界で消費されている石油の量とはどんなものだ?」

「えーっと、世界全体だと、1億5000万トンくらいだったかな? 6割くらいがアメリカ産ね。あとはベネズエラとロシアのバクーね。ペルシャ油田とか、まだ大した事ないわよ。
 それと日本は年間250万トンくらい。うちが掘り当てたから、ここ数年はモリモリ増えているわね。とはいえ、うちの遼河油田なんて、世界で見れば微々たるものね。石油の鳳とかお笑い種よ」

「そこに最大で300億トン近い油田群か。そりゃあ、隠さないと大変だね」

「でしょ。最低10年、できれば四半世紀くらい真相は封印して良いと思うわ。クウェートとバーレーンは、すぐにでも掘り始めるでしょうけど」

「掘っても売れないのだろ?」

「掘るのは少しだし真相を隠しもするけど、売らないと他に輸出できる商品がなくて、食糧危機の危険があるんだって。砂漠の国だから、食料自給できないから」

「今までは何を売っていたんだい?」

「天然真珠」

「真珠? そんなに高いものだったかな? あ、いや、ドイツに行く前、幸子にも真珠の首飾りを贈ったんだが、気兼ねなく買える値段だったよ」

「ああ、それは御木本さんの養殖真珠よ。御木本さんが養殖真珠を発明するちょっと前まで、天然真珠は有史以来ずっと最高の宝石の一つで、ヨーロッパへの供給先の一つがペルシャ湾のクウェートとバーレーンなんだって」

「なるほど。そこに安価な養殖真珠登場で市場ばかりか価値観までが崩壊というわけか。それは背に腹は変えられないな。でも、日本が生み出したものが世界を変える事もあるんだな。全然知らなかった」

 お兄様が心底感心していた。
 それにお兄様が知らない事もあるので、少しだがホッとする。ここまで天才イケメンすぎて、私なんか足元にも及ばないくらいに博識で頭の回転も早いから、お兄様も多少は万能じゃないと思えるからだ。

 そんな話を、お金を呼ぶレンズ豆料理を堪能しつつ話した。
 色気など全くない話ばかりだったが、私らしいのだろう。そんな数時間前の事を思い出しつつ、ヴェネツィア日の出を待つ。

「お兄様、三が日が明けたら、先に日本に戻りますね」

「ああ、玲子。俺も秋には帰国する。紅龍、俺の玲子をくれぐれも頼むよ」

「俺のね。まあ、道中の護衛はあいつらがいるし、俺は愚痴を聞くくらいだがな」

「えっ? 愚痴言ってるの、紅龍先生の方が多くない?」

「そうだったか?」

「アハハハ、二人は仲がいいな」

 怒涛の1930年代の幕開け日本以外で迎える事に何か因果があるのかもしれないが、ヨーロッパの混乱はまだ始まってもいないし、今くらいのんびりと新年を祝っても罰は当たらないだろう。

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石油消費量
1930年前後の史実日本の石油消費量は200万トン前後。
世界の産油地については、だいたい本文通り。
主人公は、これを引っ掻き回している事になる。
ダウ・インデックスでの荒稼ぎより、世界史に影響与えたじゃないだろうか。

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