■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  184 「帰国祝い」

「お父様お帰りなさいっ!」

「父上、お帰りなさいませ!」

「旦那様、無事のご帰還お喜び申し上げます」

 私のお兄様な龍也叔父様に瑤子ちゃんが抱きつき、龍一くんが敬礼し、奥さんの幸子(ゆきこ)さんが丁寧なお辞儀をする。
 それを私は、数歩離れた場所から見ていた。

(この景色が見られて、本当に良かった)

 場所は横浜港。龍也お兄様が、私費も足した上で鳳としての野暮用をするべくアメリカ周りでご帰国されたからだ。

 3月の後半、龍也お兄様がドイツでの3年間の留学を終えて帰国された。
 ゲーム『黄昏の一族』並びにこの体の主が3回繰り返してきた生涯の中では、恐らくこのドイツ留学中に病で命を落としていた筈なので、これはこの世界の歴史でも違う状況が起きた事になる。

 小さな変化なのかもしれないけれど、私にとっては大きすぎる変化だ。
 紅龍先生には、もう感謝の言葉しかない。
 勿論、紅龍先生に面と向かってお礼はもう言う気は無いし、今は異常なほど忙しくしているから会う暇もないし、遊びにも来てくれない。来るとするなら、陛下への御進講のネタをくれと言う懇願の時くらいだろう。
 それに紅龍先生は、スウェーデンから戻ってきたらお嫁さんを連れて帰って来た。その話はまたする事もあるだろうけど、そのせいもあってしばらく私と会う事も無いだろう。
 私としては、『研究馬鹿に幸あれ』と言ったところだ。
 そして、それはともかく、だ。

「龍也叔父様、無事のご帰国、誠に御目出度う御座います」

「お帰りなさい、で構わないよ玲子」

「はい。けれど、陸軍の方とブン屋もいますから」

 お辞儀の後、お兄様の苦笑に頭を上げてチラリと横見する。
 色々あって鳳の注目度が上がったので、鳳グループ系列の皇国新聞はもとより、大手の新聞までが駆けつけている。
 私自身も、鳳からの高額献金の一件などで知名度が上がっているので、ちょっとした有名税状態になりつつある。
 それに紅龍先生は、今や時の人だ。一月の帰国の際は、それはもう騒がしい状態だった。
 お兄様自体も、陸軍で数人しかいない4つの首席をとった秀才軍人で、陛下を皇太子時代にお助けしたヒーローでもあるので、それなりに知名度は高い。
 それに鳳一族の場合は、『見てくれ』と言う面も取材対象としては無視出来ないだろう。

 そしてブン屋はともかく、家族水入らずが終わると陸軍の人が前に出てきて、私達と入れ替わりでお兄様と話し始める。
 さらにこの後お兄様は、陸軍へと帰国の報告など諸々が待っているので、挨拶だけして一旦お別れだ。
 そして今夜は家族水入らずで過ごすから、次に私が会うのは鳳本邸への挨拶に来るときだ。
 これは、何事もなければ次の日曜日に予定していて、その後で近しい人、親しい同僚というか軍人さんを招いて、帰国祝いのちょっとしたパーティーを予定している。

「鳳龍也大尉の無事帰国を祝って乾杯!」

「「乾杯!!」」

 3月最後の日曜日、鳳ホテルの中規模程度のホールにはかなりの人数が集まっていた。
 ただし、視界一面カーキ色の軍服だらけ。
 パーティーの形式は立食でバイキングなので、座っての会食よりも多くの人を収容できる。そしてそれが必要なだけの人数が参加していた。
 お兄様個人の催しになるから鳳が全額出したってのもあるけど、それだけお兄様が人気者だからだろう。

 ただ、参加者に私は深い懸念を抱いてしまった。
 幸いというべきか、一番の危険人物の西田税は、陸軍大学を出てすぐにお兄様と同様に海外留学で、3年ほど帰ってこない。場所もフランスなので、現地でお兄様とは殆ど会っていないと聞いたし、まだ行って半年ほどだから当分帰ってこない。実に良いことだ。

 もう一人の危険人物と言える服部卓四郎は、海外留学はまだせず、しかも次は実戦部隊配備なので、ちょうど参謀本部で中途半端な立場でお手伝い中だそうだ。
 だから今日は、辻政信と一緒に顔を出していた。
 つまりこっちは問題ありありだけど、さらに問題なのは手下どもというか、お兄様をお慕いする青年将校の皆様を団体で事実上引率している事だ。
 『何人いるんだよ!』と言いたくなるくらい居る。多分、20人くらい。しかも後で聞いたけど、任地の関係で来られなかった者も多数いるとの事。
 もう、心の中で頭を抱えるしかない。

(お兄様、どれだけ慕われているのよ。人気者すぎでしょ。しかも、どう見ても危険な連中ばっかり。どーしよう!)

 そして青年将校より今は危険なのが、お兄様を目にかけている上官連中だ。しかも顔を並べた連中のかなりを、私はネットの海で見覚えている。
 そして一つのキーワードに辿り着いた。『一夕会』だ。

(前世の歴女知識が役にたった気はするけど、嬉しくねー)

 団体様を遠目で眺めつつ、げんなりとする。
 と言っても、私が知っているほど有名なネームドとなると数は少ない。

(永田鉄山と東条英機は鉄板として……永田鉄山と一緒にいるのが同期の岡村寧次。三羽烏の小畑敏四郎は帝都にいないのかな? うわっ、牟田口廉也じゃん。めっちゃ笑ってる。向こうは……アレっ? 根本博ってこの会に所属してたっけ? で、あれが小石原な武藤章か。武藤と一緒なのは、多分田中新一ね。あ、あれって、マレーの虎だ。まだ若めだから、映画評論家には似てないなあ。このグループだったんだ)

 隅っこで椅子に腰掛け、メイド達を盾にして周りから見え辛くしてあるのもあってか、形式的な挨拶をかわして以後は敢えて寄ってくる人はいない。
 シズだけだと、こういう時には突破してくる奴がいるけれど、白人赤髪メイドの威力は相当高いらしい。
 それに今日の私は、完全に脇役だ。

 お父様な祖父がホストをしているから、迂闊に娘である私に近寄る馬鹿はいない。たとえもうすぐ軍を退くと言っても、少将閣下の目の前で娘である幼女に迂闊に近寄ったりはしない。それが組織人というものだ。
 もし私に接近するなら、お兄様かお父様な祖父と一緒か了解を取ってからだけど、そういった事もない。辻もいるけど、型どおりの挨拶だけで辻ーんなムーブは一切なかった。西田がいないのも、私的には安心材料だ。
 だから安心して、ウォッチングと聞き耳に興じる事ができる。

 みんなの話題は、当人からドイツや欧州の現状を聞く以外だと、やっぱり大陸情勢だ。
 満州の話は出ないけど、それは敢えて話題にしていないからだろう。だから話題になるのは、大陸中央の情勢だった。

 何しろこの3月に入った頃から、蒋介石が上海など揚子江流域で「日貨排斥運動」を開始していた。しかも、他の列強には何もしていない。明確に日本に対してだけ行っている。
 亡命中の日本行脚が不調すぎたのが原因じゃない。鳳の総研の分析では、張作霖への肩入れを続ける事に相当怒ったと言ったところだ。

 大陸の民意をまとめるためのソ連の次の敵として、明確に蒋介石が日本を敵視し始めたという分析があるけど、それは現時点では違うだろう。日本が張作霖を支援しているのが原因でもない筈だ。
 単に、蒋介石の位置からでは世界の敵のソ連に手が出せないから、次の敵として丁度いい日本をターゲットにしたと見るべきだ。鳳が掴んでいる情報だと、蒋介石と日本政府や軍とのパイプは維持されている。
 駆け引きはあるけど、まだプロレスの段階だ。

 これに対して民政党政権の日本政府は、自らの政治方針もあって平和的に交渉でなんとかしようとしている。けど、今の中華民国政府は張作霖の北洋政府だ。国際法上での蒋介石は、単なる地方軍閥という扱いでしかない。
 だから日本政府としても張作霖を通じて、「地方軍閥」の動きを強く非難するしかない。
 張作霖に命じて何かをさせようにも、ソ連に負けてから大きく勢力を減退させ、長男が死んで意気消沈なままの張作霖に往年の勢いがない。金を渡しても無駄な状態だ。
 蒋介石はこれを見越しての行動だろう。

 一応他の列強は、日本を支持している。いつ自分も対象にされるか分かったものではないし、行っているのが「地方軍閥」だからだ。
 それにイギリスは、香港で共産主義陣営か国民党から追い出された左派による、テロや暴動などの害を受けているので警戒していた。

 そこで陸軍としては、何もしない張作霖は放置して日本独自に動くしかない、という話にどうしてもなってしまう。

(独自に動くって、やっぱり満州なんだろうなぁ)

 私としては、軍事力を用いて何かをする以上、もはや傍観するしかなかった。
 ある意味このパーティー会場での私と同じだ。

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一夕会 (いっせきかい)
1929年(昭和4年)5月に日本陸軍内に発足した、佐官級の幕僚将校らによる会合。
陸軍中央の実務を取り仕切る中堅ポストを牛耳り、好き勝手しようって連中の集まり。
高度国防国家という、要するに陸軍中心の日本の総力戦態勢構築を目指していた。

31年くらいだと、満蒙問題の解決というお題目で、満州全土を切り取るのを目的としていた。
32年か33年くらいに満州で動く予定だったらしいけど、石原莞爾によって31年秋に動いた。

この頃は、まだ統制派、皇道派には分かれていない。

なお、軍人は新顔をいっぱい出しすぎたので、一言メモは割愛させていただきます。

日貨排斥運動
要するに、反日運動。日本製品ボイコットをする。
大陸では1908年から度々している。

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