■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  203 「上海狂詩曲(4)」

 上海2日目。まずはバンドへ。けど、観光は後回し。まずは、バンドのほぼ真ん中にあるジャーディン・マセソン商会の、ごっついビルへ。
 けど、ここに対しては私は、お子様、鳳当主の名代という建前を崩さない。
 だから支店長にご挨拶して、鳳の当主からのお手紙を渡しておしまい。後ろ暗いことは、日本に帰国してから色々とする事になるだろう。
 向こうも、特にツッコミ入れてくる事はなかった。上海が支店で大物が滞在していなかったからかもしれないけど、両者にとって単なるご挨拶でしか無いからだ。

 そしてそれが終わるとバンドの各建物の見物。ここは治安も万全だし、川沿いで見晴らしも良いので、のんびりと朝の散歩がてらに歩いて散策する。
 目立つのは、ジャーディン・マセソン商会の近くにある、とんがった緑の屋根が特徴的なサッスーンのビル。それと時計台のあるビルと、その横のドームを持つビル。どれも見覚えのあるものばかりだ。

 ただ、私の前世の記憶と幾つか食い違っていた。
 違うのは、21世紀まで残っている建物が足りない点。特に、有名な大きな建物が幾つか足りない。百貨店が3つか4つかという話しもあったけど、多分まだ建てられていないからだと思われた。
 そしてそれでも大半は見た事ある建物だった。少し違うのは、川岸などに銅像が結構建てられている事。
 本当に、見栄を張り合う場だ。

「こうやって眺めてみると、ただのビル街ね」

「当たり前だろ」

 八神のおっちゃんのツッコミが早すぎるけど、誰もが思う事なんだろう。ビルマニアとかじゃないと、すぐに飽きる。お城や宮殿じゃないから、21世紀のようにライトアップでもしないと気持ち的に盛り上がらない。

「うん。それにビル同士の見栄の張り合いで、ちょっと食傷気味になりそう。こういうのは、船の上からぼんやり眺めるくらいが良いのかもね」

「フッ、そんなもんかもな。それじゃあ、競馬場に移動か?」

「うーん、どれくらいで着く?」

「すぐだ。子供の足でも、30分はかからんだろう」

「えっ? そんな近くなの? じゃあ、さっき通り過ぎた南京路って短い?」

「案内地図を見てないのか? 距離は1キロかそこらだ。それに競馬場の近くに、明日行く百貨店もほとんど並んで建っているぞ」

「そうなんだ」

「……案内がいるからと、頼りすぎるな。上に立つ者は、如何なる事態にも対応できるように努めろ」

「ハーイ」

 確かにこれは反省だ。だから提案をする。

「じゃあ、お昼には少し早いから、どこかでお茶しましょう。そこで情報詰め込むから」

「まったく、危機感が足りてないぞ。それに普通は昨日か事前にしておくものだろ。そんなに忙しいのか?」

「……まあ、そんなところよ。何しろ、今の私は日本一の現金持ちだからね」

「そんな奴が、こんな危ない街に来るとはな。大胆なのか馬鹿なのか、いや単なる考えなしか」

「そこまで言う事ないでしょう。もっと早く来るべきだったかもだけど、今を逃したらしばらく来られそうにないって思ったから来たのよ」

「そこだけは正しい判断かもな。おっと、リズが店を見繕ってきたぞ。さすがアメリカン、フットワークが軽いな」

「美味しいものが食べたいだけじゃない?」

「なら、一層良いだろ。さあ、行きますぞ姫」

「ハーイ」

 と、そんな感じで近くの喫茶店に入る。バンドの近くにあるので、普通に洋風。嬉しいことに、イタリア風のカッフェだった。
 早速カプチーノを楽しみつつ、シズが持っていた観光案内用の地図のパンフを頭に詰め込む。そうしていると、周りの雑音が一時的に遠くなる。そして多分数分後。

「準備オーケー。細かい路地とかはともかく、把握完了。本当に競馬場と百貨店街って近いのね。時間もまだ早いし、今日全部回っちゃおうか?」

「明日はどうする?」

「リズがチャイナの文化を感じられる場所ってある?」

「上海にか? ないと思うぞ。そもそも街の大半は、阿片戦争以後にできたものだ。昔の町もあるにはあるが、大した事はない。他となると、南京は流石に一日じゃあ行くのは無理だ。またの機会にするんだな」

「だってさ、リズ。じゃあ、時間が余れば買い物。明日も買い物。それで行きましょう」

「私へのお気遣いは無用です」

「買い物ねえ。何か欲しいものがあるのか?」

「そりゃあ、上海に来たら、もうあれしかないでしょ。チャイナドレス!」

 言って少しドヤってやる。この時代に完成した事は、歴女知識としても知っていたし、転生してからの最新情報でも把握済みだ。
 ただ、首を傾げられた。表情も微妙だ。

「子供のお前がか? やめておけ。あと5年、いや大人になってからにしておけ。悪い事は言わん」

 えらい言われようだ。加えて手をヒラヒラされてしまう。
 八神のおっちゃんから見れば、11歳はまだまだ子供なんだろう。仕方ないので、シズとリズを見る。

「チャイナドレスとは、新しい旗袍(チー・パオ)でしょうか。それでしたら、私も八神様に賛成です」

「リズは?」

「お好きにすれば宜しいのでは?」

 さっきも生返事っぽかったけど、美味しそうにイタリアなスイーツを食べつつの気の無い返事。たまにこの人、本当に護衛なんだろうかと少し疑いたくなる。
 けど、その言葉のすぐ後だった。
 スッと目が細くなる。鋭い視線ってやつで、その視線が何かを探し始める。
 周りを見ると、他の二人も似た感じに変化していた。けど、剣呑な空気をまとってはいないから、いきなり銃撃戦などという事はなさそうだ。周囲の人達も、特に警戒したり騒いだりはしていない。
 とはいえ、私が聞くべき事は一つ。

「私、狙われている?」

「まだ何とも。……それに何かを感じたのは一瞬だけでした。もう何も感じ取れません」

「メイドの嬢ちゃんの言う通りだ。多分、近くをどこかのヤクザか工作員なりが通ったか、この店を覗き込んだと言ったところだろう。もう、気配もなにもない」

 そしてもう一人、リズを見ると、こちらは手持ちの革鞄を何かしている。多分、中に武器でも潜ませているんだろう。シズも、私には隠しているつもりかもしれないけど、東京の外に行く時の傘とかを運ぶ細長い鞄に日本刀を入れているのを知っている。
 オタク的には凄く格好いいとか思うけど、お嬢様としては気付かぬ振りが正解だから何も言わない。
 そして聞くべき事だけ聞く。

「ホテルに帰って、部屋の隅でガタガタ震えていた方が良い?」

 少し冗談めかした口調にしたおかげで、八神のおっちゃんがシニカルな笑みで返す。

「そうしたいのでしたら、お送りいたしましょう。その後わたくしめは、競馬を楽しませて頂きたく存じますが」

「一人で楽しむのは狡いから私も行くわ。問題ないのね?」

「ああ、問題なかろう。部外者の俺達などより、この街の連中、特に守りを司る連中が動いていない。ここのヤクザどもも、動いたって話は聞いてない。つまり、そう言う事だ」

「りょーかい。じゃあ部外者、いや観光客の私達は、上海を存分に楽しませて頂きましょうか」

 その道のプロである八神のおっちゃんが、ここまで言うのだ。これで私がホテルに戻っては、信頼していないと言っているようなものだ。
 シズは念のためと言った感じで周囲を見てはいるけど、表情は普通だ。リズも再びスイーツの攻略に戻っている。

 それに周囲の情景は平穏そのもの。
昼間の上海のメインストリート界隈で、暴力沙汰など考えられないと言った雰囲気。夜の上海はマフィアの世界と言うけど、一人で外に出なければ安全。だからこの街の大陸以外から来た住人達は、のんびりとしている。確か日中戦争中でも、第二次上海事変以外は比較的平穏だったと聞く。
 ここはそう言う意味でも『租界』、中華であって中華ではない場所なのだと実感させられる。

 そして周りが暢んびりしているように、私達も狙われたり襲われたりする事はない。
 
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チャイナドレス:
大体は上海発祥。ただ、歴史的経緯もあって、元は上海の人達が香港の服として広めた感じが強い。

現代で一般的なチャイナドレスの登場は、1930年代に入ってから。当時から日本にも伝わっていた。

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