■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  222 「リンドバーグ訪日」 

「明日、リンドバーグが霞ヶ浦到着だってさ」

「大西洋単独無着陸飛行の?」

 資料に目を通す私にシズが問いかける。
 いつものやり取りだ。

「うん。『翼よ、あれがパリの灯だ!』の人」

「なんですかそれは?」

「えっ? そう言ったんじゃないの?」

「さあ? 私は聞いた事がございません」

「そうなの? ともかく、リンドバーグが今度は太平洋を横断して来たんだって」

「無着陸でですか?」

「まさか。大西洋と太平洋じゃあ距離が違いすぎるわ。色んなところに寄りながらよ。霞ヶ浦に着く前も、日本でも根室と国後島に着陸しているらしいわね」

 お盆から一週間ほどしたある日、チャールズ・リンドバーグが日本に空からやって来た。
 (陽キャのくせに空気読めよ、このクソ忙しい時期にわざわざ日本に来んなよ)などと、益体もない事を思いそうになるタイミングでの訪日だ。

 関東というか、この当時の関東地方の空の玄関口となっている霞ヶ浦まで来たのは8月26日。アメリカ西海岸から北太平洋沿岸を飛行して、カナダ、アラスカ、アリューシャン列島、千島列島を経て国後島に23日に到着。そして根室で一休みしてから、霞ヶ浦へとやって来た。
 当然ながら、自分で飛行機を操縦して。しかもナビゲーターとして、世界初の女性飛行士の綺麗な奥さんと一緒に。
 本当に、21世紀の00年代ならリア充、10年代なら陽キャの極地のような人だ。

 日本には、霞ヶ浦以外に大阪と福岡に立ち寄っている。乗っているのが水上、海上で離着陸する水上機だから、滞在場所は水辺か海辺になる。
 だからこの8月に開港したばかりの羽田空港には立ち寄らず、海軍の霞ヶ浦に降り立った。立ち寄った大阪も、この頃の飛行場は海岸沿いにあった筈だ。
 まあ、それはともかく、大西洋無着陸横断で有名なリンドバーグの来日という事で、日本中で大歓迎された。
 アメリカでも人気者だから、日米の政府が色々と動いて便宜も図ったみたいだ。

 みたいと言うように、鳳は関係ない。鳳は日本の他の財閥の中ではアメリカの財閥と関係が深いし、リンドバーグも有名人、21世紀でいう所のセレブになるから、アメリカの財閥関係者と無縁ではない。
 しかも、この時代のアメリカだと、ホワイトハウスサークルというアメリカで最高の社会的地位の集団に属している。
 けど、鳳とリンドバーグには接点がない。アメリカの王様達からも、特に何もお願いはされなかった。こちらも、お節介や割り込みをする気もない。帝都での滞在も、おきまりの帝国ホテルだ。

 そして私が用があるとすれば、リンドバーグ夫婦来日を取材に来ていた外国人記者達の方だ。こいつらは、まずは日本に居たけど、リンドバーグ夫妻が日本の後は大陸に向かうので、中華民国の北京にも訪れる。
 そして私の前世の歴史だと、満州事変での情報収集を活発にしたらしい。私の歴女知識には詳しい記録がインプットされていないので、かなり気になる。

 ただ、この世界の日本に来た記者連中は、上海の事が気になるご様子だ。何しろ私が滞在した7月末頃に起きた共産党が扇動した暴動が、未だに完全に沈静化していない。
 現地上海は、皆さん右往左往。
 しかも、共産党によるテロ事件が散発的ながら断続的に続いていた。どうやら大陸中原奥地の共産党の皆さんは、相当追い詰められているらしい。
 何としても自分たちへの圧力を減らすべく、張作霖や蒋介石の海外の評判を落として援助を減らす必要があるからこそ、大陸で一番列強の目に付きやすい上海租界で騒動を続けているのだ。

 しかも、その効果は覿面(てきめん)だった。
 何しろこの半月ほどで、蒋介石は頼りにならないと言う評判が列強の間で高まっている。何しろこの一件で、実質何もしてない。蘇州の軍閥を懸命に抑えているという噂もあるけど、それは列強からすれば当たり前過ぎて評価の対象にならない。

 一方、一応は中央政府を率いている張作霖については、拠点が北京だから多少は仕方ないと言う向きだ。
 蒋介石は南京、上海が拠点だから、列強にとっては大陸の番犬の筈が役に立たないのだから、評価を落とされても文句も言えない。仕方ないので蒋介石は、上海の租界以外に列強にお伺いを立てて警察を増強し、共産党を叩いている。また、上海以外での「掃共」にも採算度外視で臨んでいる。
 そのおかげで、奥地の共産党は一息つけたらしい。

 ただ、蒋介石の力では、上海の騒乱は収まりを見せていない。
 最初に日本が海軍陸戦隊を3000まで増強したけど、民衆暴動が相手では十分に力が発揮できない。租界中の駐留軍は共産党のテロリストを追いかけ回しているけど、効果は今ひとつだ。
 鳳の上海支店からの報告では、上海を縄張りとしている地元結社の方が、共産党テロリストの掃討では余程成果を上げていて、黄浦江は毎日のようにドザエモンが見られるとの事だった。
 ただ、そのドザエモン達にお金を渡し、上海租界に手引きした奴が誰なのか、未だによく分からない。

 そして散発的なテロが続くので、それに勇気付けられた民衆の皆さんが、8月初旬に租界に向けてのかなりの規模の暴動を実施してしまう。当然、私がいた時より、随分と大きく派手だった。
 この結果、租界の境界線で銃撃戦が発生。
 一方的な銃撃ではなく銃撃戦だ。つまり、暴徒の中に共産党の工作員が入り込んだか、暴徒の一部が銃で武装していると言う事になる。

 当然、さらに蒋介石は、列強からお叱りを受けてしまう。
 そして列強は蒋介石が当てにならないと考え、上海へのさらなる兵力増強を決意。イギリスの音頭取りで、イギリス、アメリカ、日本が、27年の時のように兵力の増強実施を決定した。
 これに対して若槻内閣は、自らの政策の大陸情勢への不干渉と列強協調外交の狭間で悩んだ末に、上海租界に限ると言う7月の自らの決定を踏襲して、さらに兵力の増強を決定。
 それでもあくまで租界の警備増強という事で陸軍は出さず、海軍陸戦隊を大幅に増強。ただし中途半端な逐次投入は海軍どころか陸軍からも戒められ、その結果7000名の旅団編成という規模にまで膨れ上がる。

 旅団というのは、陸上戦力における一つの戦略単位で、海軍陸戦隊も軽装備の歩兵だけじゃなくなるし、指揮するのも少将閣下になる。兵力は7個大隊と特科隊を中心としている。
 特科隊と言っても、自衛隊でもSF的な装備を持つ特殊部隊じゃないらしい。この場合、街の防衛をするには少しばかり過剰な装備、重装備を持つ部隊になる。スチームパンクのアニメや漫画のように、蒸気で動くロボットがいたりするわけじゃない。小さめの大砲や機関銃、装甲車が精々だ。
 そしてこの陸戦隊は、お兄様な龍也叔父様がチェコで買ってきた軽機関銃をかなりの数装備している。役に立って何よりだ。

 日本軍以外だと、イギリス軍、アメリカ軍、フランス軍の増強、臨時の際の軍艦からの陸戦隊員の増員などを加えると、総数で1万名を超える。イタリアも、旧式の巡洋艦を1隻上海に持って来ていたので、今回は加わっていた。
 日本の海軍陸戦隊と合わせれば、少なくとも共産党が全市民を動員した暴動を起こしても鎮圧は容易い。圧倒するには、国民党の「路軍」規模の大部隊が必要とのことだ。そしてそんな戦力があれば、国民党というか蒋介石は共産党掃討の為にどこかに投入している。
 私が上海滞在中に近くの町にまで来ていた国民党の部隊も、8月に入ったら南京で共産党を探して回っているらしい。
 
 そんな状態な上に、アメリカではハーストさんの反共宣伝がかなりの効果を上げているらしく、大衆のかなりが共産主義に対して否定的だった。

 『共産主義者はインテリのお遊び。もしくは、共産主義を唱えるインテリは、自分達が取って代わろうとしているだけ。市民全員が善良で誠実で勤勉じゃないと成り立たない机上の空論。実際は独裁体制を敷いているソビエト連邦ロシアを見れば、ダメなのは一目瞭然。』

 などと、とにかくネガティブ・キャンペーンを熱心にしている。私が金を投じなくても、アメリカの王様達も支援しているのだから、そりゃあ元気に共産主義を叩くだろう。
 もちろん逆に共産主義に憧れ、理想だと唱えるような人達も増えている。何しろ、未曾有の不景気の真っ只中だ。

「けど、リンドバーグさんが大陸に行く頃には、満州で事が起こっているのよねえ」

「そうなのですね」

「私の『夢』と同じ日取りならね。それに、満州での殿下達の動きも一気に拡大して来たから、日時だけは同じか似た感じになるんじゃない」

「では、リンドバーグに危険が及ぶのでしょうか?」

「リンドバーグは、途中青島に寄って首都の北京に行くらしいから大丈夫でしょう。それより仕事仕事」

(そう、正直リンドバーグとかどうでもいい。今は満州だ)

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チャールズ・リンドバーグの来日:
史実と同じ。ただし大陸の行き先は、史実は南京(首都)になる。

『翼よ、あれがパリの灯だ!』:
自伝での言葉らしく、実際は言ってない。
しかも何故か、日本限定での言葉らしい。

この8月に開港したばかりの羽田空港:
1931年開港。しかし開港当初は、滑走路が僅か300メートルという、すごく小さな飛行場に過ぎない。
当時の小型機なら、この程度でも十分離着陸できた。

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