■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  232 「満州事変終息へ」

 1931年12月1日、満州臨時政府は日本軍(関東軍)の全面的な支援のもと満州全土を統治下に置いた事を宣言。
 溥儀を政府のトップの執政として、改めて満州臨時政府の設立を宣言した。私の前世の歴史より3ヶ月も早いのは、私にとってかなり予想外だった。

 ただし「独立」や「建国」とは言わなかった。言わない事こそが肝だからだ。あくまで「政府」を立てたと言う建前だ。
 また私の前世の歴史と違い、溥儀に名乗らせた「執政」はあくまで自治政府首班という事にしてある。これには二重の意味があった。

 溥儀に対しては、正式に独立した暁には別の座を用意するという事で納得させるという目的が、中華民国と諸外国に対しては、帝でも大統領でも主席でも首相でもない名称を使う事で煙に巻くという目的がある。 
 旗については、私にとっては前世の資料で見たことがある、黄色い地の左上に4色の横帯を入れた五色旗だ。これも中華民国が5本線の旗を使っているから、その派生だと周りは見る筈だ。

 だから満州臨時政府も、臨時の文字を取ったりはしない。独立するという人達にとっては、臨時を取る時は独立宣言をする時だからだ。もしくは、溥儀や一部の人は「帝国」を冠する事が目的だ。だから今は「臨時政府」でいい。
 それに中華民国も、最初は中華民国臨時政府だったから、先例に従うと言う姿勢を内外に見せる向きも作れる。

 それなのに、長春を新京と改めた上で新たな都とするとか宣言している。加えて元号が大同とまでされた。
 もっとも元号などは、欧米にとっては「なんだかよく分からないもの」なので、案の定気にもされていない。

 諸外国から見れば、新しい軍閥が日本の全面支援のもとで確立した、という以上ではないという風に見える筈だ。
 そして張作霖との間は暗黙の了解に近い状態。勿論、軍閥、地方政府として認めているに過ぎない。
 しかも日本は、張作霖への資金援助を中央政府への納税という形で続ける形に変更されるので、いざとなれば脅す事もできると、日本側も楽観視していた。

 そして中華情勢全体は、張作霖率いる中華民国政府の統制が弱いので、蒋介石をはじめとした軍閥が各地で睨み合っている状態。そして共産党を叩くと諸列強からお金がもらえるので、各軍閥は共産党をモグラ叩き状態で潰して回っている状態でしかない。
 その挙句に上海では、追い詰められた共産党が暴発して、諸列強が神経を尖らせてしまった。満州どころじゃないというのが、当事者以外の偽りない感想だった。

 ただ、海外から見るとよく分からない状態なので、私の前世では「中華市場の門戸解放」とか言って突っかかってきたアメリカのスチムソン国務長官が、駐米日本大使に「満州どうなってるの?」とマジ顔で聞いてきたくらいだそうだ。
 諸外国は、「激しくどうでもいい。それより日本は上海をしっかり押さえろ。上海で手抜いたら国際外交で殺すぞ」としか言ってこない。

 国際連盟も、中華民国が何も言ってこない以上、動く理由がないし、軍閥と日本の連携くらいで文句を言う気もない。
 ちょっと動揺しているのは、満州の日本軍が増えて困っているソ連くらい。そのソ連も、満州に一時的であれ日本軍が増えた以外だと、北満州の鉄道などの利権の意味が無くなったのでどうしよう、という程度の反応だ。

 転生前の歴史を知っている上、今回は土壇場で色々と姑息な策を弄した身としては、なんとも拍子抜けする状態だ。
 けど、日本国内は意外に荒れていた。満州情勢が、中途半端だったからだ。

 私としては、独立とか建国とか勝手に言っても、現状では誰も認めてくれないし波風立つだけだから、適当にごまかして実質だけぶんどればいいじゃん。ゲームじゃないんだから、イベントフラグなんか後回しでもいけるだろ、と言うのが今回の騒動の根底にある。
 クソ真面目に帝国主義する必要なんてどこにもないと言うのが、妙に真面目に満蒙分離とか唱えている軍人さん達を見た、私の偽らざる気持ちだ。
 そしてそれを汲んでくれた、お芳ちゃんの策を多く取り入れた。
 ただ、それで済まない人たちがいたと言うわけだ。

 メンツが立たないとかの下らない理由だけど、周りから見て下らないだけに当人達にとっては譲れない理由だ。
 しかも関東軍の中の急進派は、3重の意味で現状が気に入らなかった。
 一つ目は、中華民国から満州を政治的に完全に切り離せなかった事。二つ目は、満州臨時政府に勢いがあるから、自分達の言う事を十分に聞かせられない事。三つ目は、政府の言うことを一応は聞いた影響で、陸軍内で大言壮語したくせに口だけかと意外に低く評価されてしまった事だ。
 要するに、全部中途半端なままなのが気に入らない。
 関東軍に連動して、陸軍中央で主要な実務ポストを牛耳っていた永田鉄山ら一夕会も、評価を落としていた。
 どうにも軍人は、白黒ついてないと気に入らないらしい。

 そして一方では、中途半端な満州での行いを後押ししたと言う理屈で、若槻内閣が各方面から突き上げを食らっていた。
 世論の一部も、新聞に煽られる形で『自治政府など言語道断。満州の完全独立を日本の支援によって勝ち取らせるべきだ』などと言う論調が一部で強まっていた。
 喚いているのは、右翼や国士の皆様と一部新聞だ。この人達も、主に左右だけど色分け、区分けが大好きだから、日本の勢力拡大が中途半端なのが気に入らないらしい。

 また日本国内での混乱の元凶は、あまりにも上手く事が運んだので、簡単に甘い果実が得られると考えた人達が、予想より多い影響と見られていた。

 逆に「大アジア主義」な人達からは、今回の『満州事変』は高く評価されていた。大アジア主義な人達とは、かつて孫文やビハリ・ボースを支援した人達だ。
 あの犬養毅も大アジア主義で、今回の件では政治舞台の裏で精力的に頑張っていたそうだ。お父様な祖父は、「事前にもっと教えてくれていたら、わしめっちゃ頑張ったのに」と言われたそうだ。
 在野でも、大川周明が絶賛しているらしい。

「知らない人達は、気楽でいいわよね。ここまで捻じ曲げるのに、人がどれだけ苦労したと思ってんのよ」

 新聞を読んで、思わず愚痴も出てしまう。
 私の前世の歴史では、『満州事変』を軍事的には華麗に、政治的には醜悪に演じた結果、満州は日本人の目から見れば独立を果たす形になる。けど、日本の国際連盟脱退、国際社会からの孤立という結果になるという事は、『夢見の巫女』の話を聞いた鳳の中枢の人達が僅かに知るのみ。
 この話を可能性としてぶちまけたとしても、何を世迷言を言っているんだと、小馬鹿にされて終わりだ。

「……けどまあ、これでいいのかな」

「そうなの?」

「日本が国際社会から突き上げを食らってないだけで、私的には万々歳。私の知る限り、民政党内閣は倒れるしかないんだし、気にもならないわよ」

「あっ、そう」

 屋敷での朝の食事中、お芳ちゃんが相槌をうつ。
 今の鳳の屋敷は、お父様な祖父とお母様な祖母と私、それ以外は書生扱いの私の側近候補3人で暮らしているので、私の話し相手はお父様な祖父かお芳ちゃんが多い。
 みっちゃんと輝男くんとも話すけど、内容は他愛のないことばかり。食事中は込み入った話はしないけど、こうして食後のお茶を片手に新聞に目を通している時の話し相手は、大抵その二人だ。

 そして今日は、お父様な祖父は早朝からお出かけなので、時事ネタの話し相手はお芳ちゃんしかいない。
 もちろんシズは必ず側にいてくれるけど、お芳ちゃんがいると私の相槌は打ったりしなくなる事が多い。
 ただ、反応が薄い事が多いから、私は軽く半目で見返す事が多いような気がする。

「……次の内閣は気になる?」

「なるけど、犬養毅でしょ? 今回の件でも頑張っていたから、株も上がったし」

 そう返すけど、犬養毅は原敬より1歳年上だから、この時代の寿命を考えたら総理になる年じゃない。やっぱり60代前半くらいの人が欲しいところだ。
 そう考えを巡らせたところで、お芳ちゃんが薄く笑みを浮かべる。

「総研の分析だと、そうでもないらしい」

「じゃあ誰?」

「床次竹二郎」

「あの人か。確かに、いい加減総理になりたいわよね」

「うん。でも、陸軍も巻き込んで競っているって」

 その言葉で色々とつながる。

「あー、お兄様からもちょっと聞いた。永田鉄山の一夕会と宇垣一成の派閥が争っているって。満州での騒動で、一夕会は今ひとつ存在感を発揮できなかったから、宇垣一成が巻き返しを図っているのよね」

「うん。一夕会が荒木貞夫、宇垣閥が阿部信行を推してる」

「宇垣一成って、今回も陸相しているわよね。よくやるわ」

 言葉通り呆れつつ、言い終えた口の中へパンを放り込む。
 鳳は基本が洋風生活だけど、たまに朝はご飯が恋しくなる。

「宇垣陸相は、自分が政友会からは好かれていないから、代わりに腹心をというところだろうね」

「ウヘーっ、お兄様も大変だろうなあ」

「この2週間ほどが勝負だろうね」

「そっかー。時期を見て、お兄様を交えてみんなで話さないとね」

「話してどうなるの?」

「……床屋談義で終わるって?」

「うん。ねえ、ミツ、輝男」

「えっ? あっ、ハイ? 難しくてよく分かりません!」

「右に同じです」

 みっちゃんと輝男くんに突然振るとか、お芳ちゃん空気読まなさすぎ。
 思わず苦笑してしまうけど、二人の反応に笑うお芳ちゃんを見て、ピンときた。

「午後に総研に聞きに行きましょう。最近総研行けてないから、行きたかっただけでしょ?」

「バレたか」

 そう言って小さく舌を出す。
 幻想的な外見なのに、クソ可愛いったらない。
 そして可愛く見せるということは、言葉以上に大当たりということだ。

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満州占領:
史実では、1932年2月初旬にはほぼ占領。3月1日、満洲国の建国が宣言された。
ただし、熱河省(満州南西、北京に近い地域)は、その後の別の軍事行動で1933年3月に占領。

大アジア主義:
この頃だと、日本の優位を前提にした、アジアの革命勢力を支援する思想。活動はかなり衰退している。
頭山満が主宰する玄洋社が有名だろうか。犬養毅、石原莞爾、大川周明もこの考えの人。

傀儡前提の満州国や「大東亜共栄圏」は、この悪しき派生型。

床次竹二郎:
史実の1920年代と違い政友会が分裂していないので、普通に重鎮のまま。
ただし原敬がいるから、どうやってもトップにはなれない。

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