■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  241 「血盟団事件」 

 1月末日の日曜日、鳳一族としては鳳蒼一郎の一周忌の法要がしめやかに行われた。
 ただしテロリストを警戒して、できる限り近親者のみでしたいと言う理由で規模は縮小した。本来は命日の2月3日にするべきだけど、減らしてもなお出席者が多いので、前倒しの日曜となった。
 そして十分に用心していたし、狙われるほどの要人は訪れなかったので、特に問題もなく終える事ができた。

 一方では、スイスのジュネーブで海軍だけじゃなくて陸軍を含めた全体の軍備を縮小しようと言う「ジュネーブ軍縮会議開催」が始まったと言う話を聞いた。
 そんな数日後、事件は起きた。
 場所は魔都上海じゃない。帝都東京だ。

 前の大蔵大臣井上準之助が、拳銃を持ったテロリストに襲われ暗殺されたのだ。
 行ったのは、井上日召を指導者とする右翼カルト集団の『血盟団』。

 前世の記憶で事件を知っていた私は、これに対して可能な限り手を打っていた。
 民間のカルト集団だから、警察と憲兵、それに鳳が手配した探偵や新聞記者などで徹底的にマークさせて、行動を抑え込むようにした。
 そしてこの世界では、陸軍のクーデター未遂が起きていないし、前世の歴史ほど景気が酷くないので民衆の不満の声も小さいし、不満分子はいても行動への大きな兆候は見られないので、何とかなるんじゃないかと淡い期待を抱いていた。
 けど、何もしないのも愚策だから、狙われやすい人への注意喚起、外出の際の防弾着の着用などを強く勧めていた。

 『正義の味方』を気取るカルトが狙うわけない子供の私自身も、冬のコートなどの下には必ずチョッキ状の防弾着を付けて、護衛も普段の三倍に増やしていた。
 鳳の者も同様だ。特に、当主のお父様な祖父、グループ総帥の善吉大叔父様、鳳商事とフェニックス・ファンドを預かる時田、この3人は特に厳重に身辺も周囲もガードしてあった。
 警護の密度は、首相すら越えるほどにしてあったほどだ。
 何しろ鳳は、多少の善業を積んだところで基本的には悪徳財閥だから、注意するに越した事はない。
 歴史が私の前世の記憶と違ってきている以上、予期せぬ時代にも対処出来るよう警戒もするべきだ。
 けど、私たちに鉾が向く事はなかった。

「防弾着、着ていなかったのね」

「こちとら、コートすら特注の重いやつなのにな。これだから見栄っ張りは度し難い」

 事件当日の夕方、鳳の本邸での夕食後に資料を見つつの話題としたけど、あまり話題にしたい話じゃない。

「死者に鞭打つのは、流石にどうなの? それより他は?」

「うちが掴んでいる情報は、色々な経路から全部警察と軍に渡した。今、競争で一斉拘束に動いている。その場で犯人を現行犯逮捕できたのが良かったな。犯行に軍の拳銃が使われたのが明らかだから、関係者もふん縛る口実が出来た」

「けど、連中も馬鹿じゃないでしょ? 拳銃が見つからなかったら?」

「それでも共謀したとか唆したとか、理由はなんでも付けられる。特高と憲兵様達だぞ」

 特高と憲兵。今の所ご縁はないけど、前世の歴史で知る限り、決して親しくしたくはないご職業の方々だ。

「ま、まあ、そうか。けど、なんで井上準之助が一番に狙われたのかな? 他にも居るでしょうに。三井の総帥とか」

「政治家は講演会とか、どうしても大衆の前に出ないといかん職業だし、狙いやすかったのかもな。三井は、次は自分達だとやっと気づいて兵隊集めてるよ」

「自業自得ね。それで、うちも狙われていたの?」

「少なくとも監視されたりはしてない。日頃の行いのおかげだな」

 嘯(うそぶ)くと同時にニヤリと人の悪い笑み。本当にお父様な祖父らしくて、苦笑しか出てこない。

「良く言う。それに今回の件では、鳳は特に善人面はしてないでしょう。けどまあ、来年度もうちが国に金塊を献納するって話、もう外に漏れているんでしょ?」

「ああ。またするのかって、方々の財閥はオカンムリを通り越えて呆れているが、うちが今回のドル買いしてない事を世間に言ってないから、連中も文句を言い難い」

「そこはまあ、読み通りね。それにしても、最低でももう一回は献金するのに、その時はどう言う反応するのか楽しみ」

「さあな。俺なら、もう笑うしかないな」

「笑うの?」

「もう笑うしかないだろ。敵わないんだから」

 そう言って肩を竦めた。

「そうかな? たかだか、金塊を合わせて3000万ドル分じゃない。うちがアメリカでしている買い物に比べたら、全然可愛いものでしょ。関税で、どれだけ納めると思ってるのよ」

「……玲子、お前の金銭感覚、訂正なり修正しといた方が身の為だぞ」

 お嬢様らしい演技でのジョークなのに、半目で見返されてしまった。分かっているんだろうけど、ちょっと傷つく。

「冗談よ。何しろ私個人では、びた一文使わせてもらえないのよ。庶民より金銭感覚には鋭いつもり。お小遣いくらいちょうだいよ」

「いらんだろ。欲しいと言えば何でも手に入るのに。まあ、これだけでも、うちは良いご身分だよな」

「それには激しく同意。お金でもばら撒かないと、罪悪感に苛(さいな)まれそうよ」

 最後の軽くため息。そしてため息で気分を変える。

「ハァ。それで、話を戻すけど、真っ先に井上準之助が狙われた理由って分かる? 私には、金輸出再禁止を渋った当人ってくらいしかないけど?」

「まあそれもあるが、蔵相だからだろ」

 身も蓋もない答えだけど、流石に可哀想になって思わず弁護の言葉が出てしまう。

「えっ? 緊縮財政を決めたのは内閣全体でしょ。蔵相の一存で決まるわけないじゃない」

「だが、首相の濱口さんは、すでに襲撃されて未だ病床の上だ。加藤さんや若槻さんも標的だろうが、井上準之助が襲われる十分な理由だ。少なくとも、襲う連中にとってはな」

「緊縮財政は確かに悪手だけど、酷い話ね」

「じゃあ、酷いついでにもう一つ。海軍の一部が酷く恨んでいる」

 その言葉に思い当たる事はある。
 緊縮財政の標的として、『統帥権干犯問題』で大失態を犯した海軍に、そこを突いて陸軍以上に予算削減していた。
 そして私は『血盟団』と関係のある危険人物に、海軍将校がいる事を前世の歴女知識で知っている。

 その話は、お父様な祖父と時田にはかなり前に話したし、今やセバスチャン、貪狼司令、お芳ちゃん辺りも十分以上に知っている。
 そして知っててお父様な祖父は改めて言ってきたわけだけど、言うという事は状況が違うのかもしれない。
 だから、続きを話せと視線を強めてやる。

「そんな顔で見るな。つるんでいる連中は、『夢』と似た感じだ。ただ、海軍自体は統帥権問題のゴタゴタが根強くて、民政党政権は憎いが動くべきじゃないって連中が大半だ。お前が随分前に話した、この春にあるっていう事件も、尻尾を探すのすら苦労する状態だぞ」

「それは朗報ね。このままずっと、分をわきまえたままでいて欲しいわ」

「俺達は、分をわきまえているのか?」

 表情は昼行灯のままだけど、目が少し違う。
 マジという程じゃないけど、ディスる気でもない。ちょっとお話しときたい、くらいだろう。

「私は動きを変える気は無いわよ」

「今の日本中、誰もがそう思って行動しているんじゃないのか?」

「少し先を見たからって、天狗になっている自覚はあるわよ」

「自らの死をも厭わず、捨て石となってもって連中もいるぞ」

「私は自分が本当に正しいって、確証も信念とやらも無いんだけど?」

「なるほど。その点は、連中との大きな違いだな」

 一応は合格点な言葉にたどり着いたらしい。けど、私にはまだ言いたい事がある。立ち位置についてだ。

「あともう一つ、違いがあるわよ」

「何だ?」

 面白そうに聞いてくる。答えを知っているけど、口にして欲しいんだろう。そう思う事にする。

「自分が悪役だって自覚よ。どこもかしこも自称正義の味方ばっかりだけど、これだけは譲れないわね」

「そりゃあ剛毅だな。で、悪役となって正義の味方に倒されるのか? 俺は嫌だなあ」

「だったら、足掻くしかないでしょ。往生際が悪いのは、悪役の役どころだし特権よ。それに正義の味方は、物語が始まるまで活躍できないんだから、それまでに勝ちを確定させればいいのよ」

「それでも倒されるのが悪役ってもんだが、そこは俺の好みだな。往生際が悪いのも、戦が始まるまでに勝負を決めちまおうってのも」

 お父様な祖父の笑みが、ますます深くなっている。
 そしてこういう会話をしている時、私も鳳の人間なのだと改めて感じる事ができる。もっともこれは、親子、もしくは祖父と孫のレクリエーションだ。
 だから私も笑みを浮かべて言い返してやる。

「でしょ。だから、これからも足掻き続けるわよ」

「心得た。じゃあまずは、今回おいたをした正義の味方どもを懲らしめてやるとしよう」

 そう言って、お父様な祖父、鳳伯爵家当主の鳳麒一郎は、今日も今日とて悪役としての活動を始めるのだった。

「私も、悪役らしく勤しむとしますか」

 その後、『血盟団』は潜伏先と逃走犯の双方から拳銃が発見されたので、拘束から一気に逮捕へ。しかもさらにタレコミもあって、属していたほぼ全員が逮捕される結果となった。
 彼らには民衆からの同情が集まったが、大臣を殺した者達を国として許すわけにもいかなかった。

 一方で大財閥は、結果的に実害こそ無かったが、自分達が相当のヘイトを溜めている事を痛感して、『財閥転向』と言われる改革を行って行くようになる。
 特に、世の中からの批判の強い三井財閥は改革や慈善事業を熱心に行い、その一環として最初に総帥の團琢磨が年齢を理由に全ての第一線を退いた。 
 それでも逃げたとか責任逃れとか言われるのだから、世間の財閥、特に一番前を走った三井への恨みや嫉妬が大きいのかが分かろうと言うものだった。

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正義の味方:
言い方が広まったのは、戦後「月光仮面」が契機。
用例自体は19世紀からある。徳富蘇峰、内村鑑三も多用している。

『財閥転向』:
世の中の批判を避けるための財閥改革。
篤志家としての活動、一族支配の希薄化、持ち株を一部改めた株式公開など。

團琢磨:
史実の血盟団事件では暗殺されている。

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