人には皆それぞれ悩みがある。自分の性格についての悩み、学業の悩み、仕事の悩み、男女間の悩み、金銭の悩み、人間関係の悩み。悩みがある時、人は当然苦しむ。しかし悩むということは、少しでも良くなろうということの現われであるから、進歩・向上の第一歩と言えるだろう。運の悪い生活、自分の性格の嫌な面、ネガティブなところをそのままにしていたのでは何の発展も望めない。みんな悩んで大きくなるのだ。とりわけ若い頃の悩みは成長の糧だとも言えるだろう。
私は教育事業にも携わっている。その関係で、若い人を多く預かっており、こちらでもいろいろな悩み事をよく相談される。そして、真剣に一人ひとりの悩みに向き合って、とことん付き合っているうち、悩みには大体パターンがあるということが分ってきた。
悩んでいる時は、皆自分だけが苦しいと思う。自分だけが特別な悩みを抱えていると考えがちだ。しかしよく聞いてみると、誰でも悩むような問題を、誰でも悩むような時期に、誰でも悩むような内容で、誰でも悩むような顔をして悩んでいるのだ。
女の子の場合は、気分の浮き沈みが激しくて、大体いつも何かしら悩んでいるのだが、
「そうだろう、そうだろう」
と聞いてあげると、それでおさまってしまう場合が多い。理解してくれたというだけで満足なのだ。
男の子の場合は、明確な指針が必要な場合もあるが、やはり分かってくれたということで大分精神の葛藤は静まるようだ。言っても仕方がない問題だと分かっていながら、それでも悩むというのが人間の悩みなのである。
また私は、よくお母さん方からの相談も受ける。
「先生、うちの子は最近どうも・・・・・・」
と始まるのだが、大体何を相談しているかが分かるまでに1時間くらいはかかる。しかし、ここは辛抱強く聞かなくてはならない。そして、話が3周半くらいして、ようやく
「それで、うちの子はなかなか勉強しないんですよ」
と本題に入るのだが、今度はいろいろ分析が始まるのだ。
「まったく、父親に似たのかしら、いえ、お父さんはあれでなかなか辛抱強いところもあるから、おばあちゃんに似たのかしら。もう飽きっぽくて。性格に問題があるんでしょうか、それとも・・・・・・」と。
「そうでしょう。お子さんのそういう性格は --- 」
と、お母さんが息子をけなし嘆いていることに同調すると、お母さんの態度はパッと変わってしまう。
「でも先生、うちの息子はとっても優しい子なんですよ」
「・・・・・・」
最初は私も真面目に考えて、お母さんとお子さんのために正しい知性で対応しようと懸命に頭を悩ませたものだ。しかし、だいたい要領が分かってからは、
「大丈夫ですよ。お子さんは才能がありますから、まだまだ伸びますよ」
と答えることにしている。すると、
「そうですか、先生、安心しました」
と2時間ほど話して帰られる。ああ、本当に良かった、という顔をしてお帰りになられるのである。
要するにお母さんの悩みごとというのは、自分が心配だということなのだ。本当はお子さんを信頼しているのだが、不安感があるために、ああでもない、こうでもない、といろいろ言うわけだ。いろいろ言った上で、「でも、やっぱり息子は大丈夫なんだ」と、内心答えはあらかじめ決めてあるのだ。
だから親身になって、そこで何か正論を言うと、必ず教育論の議論になって、「あの先生は問題が多い」ということになってしまうわけだ。
最初は私も真面目に考えていたのだが、これがひとつのパターンだということが分かった。別に学習の指導をどうのと言っているのではなくて、それについては信頼しているから子どもを預けているのだ。けれど、心配だから、分かって欲しい。心配だということを分かって欲しい。分かってくれたら、いい人だということなのである。
そこで適当に「なるほど」と言わなくてはならないのだが、これはひたすら忍耐の世界なのである。
女性の悩みをしょっちゅう聞いているご主人、若い従業員から相談を持ちかけられる職場の先輩方、経営者の皆さんなどにとっては、相手の悩みにどう答えるかも、悩みの1つかもしれない。受け応えのポイントは、
「ああ、なるほど」
と応えることだ。この間、感覚、タイミングが全てである。今夜の晩御飯のことを考えていても、明日のゴルフのことを考えていても構わないから、とにかく、
「そうか、そうか」と。
「・・・・・・というふうにしようと思うんですけど、いかがでしょう」
と言われたら、よほどの差し支えがない限り、
「うん、それがいいんじゃないの」
と賛成してあげる。すると、「ああやっぱり」と安心するわけだ。「ああ、相談してよかった」ということになるのだ。それが、
「いや、あなたはこうすべきだ」
と言うと
「えっ、でも私はこう思います」
ということになって、議論が始まってしまう。相手ははじめから応えを自分で出しているから、何を言っても納得しない。そして結局、最初に自分で決めたとおりにするのだ。だったら、はじめから相談に来なかったらいいと思うのだが、まあ、相談とはそういうものなのかもしれない。
もちろん、本人がぎりぎりまで煮詰めて、こうすべきか、ああすべきか、と知的に求めている場合もある。そういう時は真剣に話を聞いて、場合によっては徹底的に討論すべきだろう。しかし、人間の悩みの8割から9割までは、そうでないケースがほとんどなのだ。
だから、相談された事がらに対してはいちいち自分の考えを言うとか、力余って説教を始めるということよりも、とりあえず受け入れてあげるということが大切なのである。とにかく気持ちを分かってもらいたいというのは、男性、女性を問わず共通している。そういうことが、若い弟子たちに接してきたり、長年教育事業に携わっているうちにだんだんわかってきたのである。
『宇宙からの強運』 深見東州 1996年 たちばな出版
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