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女の子というのは、ある時は調子よく「頑張りま〜す」とか何とか言っていても、次の瞬間には「しゅん」と沈んでしまうことがよくある。どうしたのかと聞くと、

「悩みがありまして・・・」

という。彼女たちは、家の問題、結婚の問題などのほか、「あの人のあの言葉が胸に刺さった」とか、「あの人のあのやり方についていけない」とか何だとか、多くの悩みを抱えている。そういう悩みや相談が、私のところにもたくさん持ち込まれる。気持ちはよく分かる。

「そうか。そういう気持ちでやったんじゃないだろうけれども、あなたのようなおとなしい人は言われると牛耳られちゃうよね」

「そうなんです」

「そういう時には、その人よりもうちょっと強い人とチームを組めばいいんだよ」

「ハイ・・・・・・」

「ふたりでやると、その迫力の強いほうに負けるから。どんな人間にも天敵があるからね。コブラでもマングースには負ける。だからマングースを探せばいい。マングースとお友だちになって、いつもその友だちと一緒にやれば、マングースが怖いから、コブラは来ないじゃない」

そんなやり取りを、これまで何万回となく繰り返してきた。今でも連綿と続いている。あまりにもグチャグチャな悩みを聞く時には、今でも「面倒くさい」と思うことがどれほどあるか ---。しかし、その思いは一瞬のうちに消してしまう。それを嫌がっていたら、絶対に『神様の道』やその考えは分からない。だから逃げるわけにはいかないのだ。

女の子の場合は、特に心の浮き沈みが激しい。今日浮いているかと思うと、明日には沈んでいる。一日の間にも浮き沈みする。それは、感情の豊かさの裏返しでもあり、女性の特徴でもあるわけだ。

その点、男性の場合は浮きっぱなしか、沈みっぱなしのどちらか。はっきりしている。もちろん、時々は浮いたり沈んだりするわけだが、その振幅が女性とは全然ちがう。

こうした男女の違いを考慮することなしに、人と人が協同してやっていく組織や仕事、プロジェクトは成り立たない。成り立たせるためには、上に立つ者は、当然のことだが、その悩みのほつれた糸を解くという膨大な雑用をこなしていかなければならない。これは大変なことなのだ。

しかし、それを「大変だ」と思ってはいけない。繰り返すが、雑用こそが『下座の行』。その人間が『下座の行』を行えるのは、『上位の心』を持っているからで、実はそこにご神業の本質がある。そこにこそ、より素晴らしい御魂を目指す、大きな夢と理想と希望があるわけだ。

ただし、誤解して欲しくないのだが、よく、

「大きな夢と希望を叶えるためだから、これぐらいのことは辛抱しなければいけないだろう。」

と言う人がいる。これは間違いである。というのは、「大きなもの」というのは抽象的な事柄、抽象的なビジョンに過ぎないからだ。具体的なご神業とは、ほかでもない「これぐらいのこと」である。『下座の行』である雑用こそが、ご神業そのものなのだ。

膨大な数の雑用をひとつずつこなしていく、そのプロセスがすべてご神業なのである。相談にのる。そしてまた相談にのる。そして、また同じようなことをぐずぐずと・・・・・・。その11回目の「ぐず」、2度目の「ぐず」、そして3度目・・・・・・とちゃんと聞いて受け止めてあげて、解決に骨を折ることがご神業(修行)なのだ。

よく「私は毎日修行をしております」といって、お経を毎日唱えている方がいる。確かに、お経というのは、ポリシーと明確な方向性を持っていて、それを唱えることで功徳を積むといわれる。したがって、数多く唱えるほどいい。つまり、数や数値に換算できる。しかし、お経を唱えることがご神業かというとそうではない。ご神業の実体、いわば「本当に生きたご神業」とは、雑用をこなす際に直面する『ぐちゃぐちゃのプロセス』なのだ。

葛藤とジレンマ。人間が生きていく限り、揉めごとや対人関係の些細なことが連綿と続く。それは逃れることができない『人間の宿命』と言ってもいい。そこにご神業の実体がある。だから、雑用をこなすことを時間の無駄と思ってはいけない。それで時間をとられてしまうというなら、それこそ有効な時間の使い方とは何なのかを考えるべきだ。

雑用の間隙をぬって本を読んだり、仕事をしたり、ご神業をしたりする。実際、最初のうちは私もそのようにしていた。ところが、あまりにも悩みや相談事が多く寄せられるので、発想の転換をした。ご神業の実体が、そうした雑用をこなすことにある、と気づいたのだ。

だから今では『グチャグチャのプロセス』を慎重に見ている。自分の会社のスタッフの、試行錯誤する「ああでもない」「こうでもない」というプロセスを見守っていると、ぱっと閃くものがある。神様が教えているわけだ。その神様が教えてくれるものを読んでいけば、おのずから解決策は見つかる。神様のお導きだから、これほど確かなものはない。したがって、みなさんに対しても的確なアドバイスができることになる。

このことが分かってからは、ごちゃごちゃ・ぐたぐたの雑用のプロセスは、ご神示が下る瞬間だと思っている。そうしてごちゃごちゃ話をお弟子や会社のスタッフから聞いている時には、「ああ、神様がこの子の言葉を通して教えているんだ」と思う。そのように信じたとたん、みながぐちゃぐちゃしているのは、神様に使われているからだ、という価値あるものに変わる。そのぐちゃぐちゃの中に、神様はちゃんと教えを提示してくださっている。ぱっと閃く瞬間を与えてくださっている。そういうことが、すっと私の中に入ってきたわけだ。

それからは、本当に雑用・雑務が楽しくなった.今も掃除や片づけものをしているとぱっと閃きがやってきて、物事が整理されていく。頭の中が整理されて、自分が今まで気づかなかったところが分かる。そのように神様のお導きがあるのである。

だから、雑用・雑務、人間関係のごたごた・ぐちゃぐちゃした問題などを「こんなこと」とは思わず、一生懸命に取り組む。それが、実は一番日常生活で大事なポイントなのだ。

その一刻一刻の中に、神様は、人間 --- 同性・異性を問わず、現代の人たちの気持ちや魂や心 --- を理解するための、格好の教材を与えてくださっている。そこに教えがある。この点を自覚することが、究極の神業なのである。

『解決策』 深見東州 1996年 たちばな出版

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 2003 Yoshiaki Sugimoto