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自力と他力![]() ![]() ![]() ![]() |
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瞑想というのは自分自身の潜在意識を磨く。もちろん、それは大事なことだ。ところが瞑想は潜在意識ばかり磨くのだ。いくら潜在意識を磨いても、これは大きな意味での自力を出すだけのことなのである。 本当に正しい道というのは、自力本願と他力本願が十字に組まなくてはいけない。人間が努力するのに合わせて、他力(神力、霊力)が動いていく。自分の魂も成長する。そうして他力と自力がピタッと十字に(どちらにも偏り過ぎず、バランスよく)組むのが、本当の道なのだ。 自力ばかり出すイメージコントロール(想念術)の反対に、「南無阿弥陀仏」の信仰がある。それは何でも神仏(阿弥陀如来)にすがっていく100パーセントの他力信仰である。私は、法然上人や親鸞上人のあり方に異を唱えるものではないが、どうも後世その真意を誤解して、祈りばかりで努力をしない人々が出てきてしまったように思う。それもまた努力不足で、魂の進歩がない。 逆に努力ばかりならばどうかと。人間の努力で何でもできると思うのは、人の勝手な思い込みであり、傲慢なことだ。すぐ行き詰まるものだし、限度がある。しかも、努力してだめだったら、反動で絶望に至ってしまうこともある。信念で生きる人間は、挫折すると絶望してしまうものなのだ。 確かに、挫折や失敗は絶望を呼ぶ。しかし、信仰で生きる人間にとっては、絶望は信仰の糧。試練なのだ。神様に目覚めた人・信仰をもっている人(他力本願を取り入れている人)と、信念で生きる人(自力ばかりに頼る人)とはそこが違う。 たとえば、信仰の人はやられればやられるほど、ぶつかればぶつかるほど伸びていく。ところが、信念のみの人は、どんなに強い信念を持っていたとしても、それだけで最後まで全うできるのは、それこそ一万人にひとりぐらいのものなのだ。「努力、努力」でやっても、必ず行き詰まりがある。結局は、神様を心の寄りどころとして寄りかかっていく、斜め歩きをするのがいいのだ。 大本教のお筆先(神示)にも、「神様に寄っかかって生きなされ」とある。あまりにも自力が強すぎれば我が出てしまう。逆に、あまりにも他力でやり過ぎると、依頼心が強くなって進歩しない。だから、他力に寄り過ぎたり、自力に寄り過ぎたりするのはよくない。 正しい道は、『自力の中に他力あり、他力の中に自力あり』 --- 自分と神様とが半分半分、どちらが神で、どちらが自分かもわからない状態なのである。すなわちこれが『神人一体』『神人合一』なのである。 だからこそ、人間の努力以上のものが出せる。努力ももちろんするわけだが、努力以上の結果が出る。十年かかるところを一年。一年のところが一ヶ月でできるわけだ。 『解決策』 深見東州 1996年 たちばな出版 ●カウンセリングとコーチング ●ビジネス・コーチング入門 ●社会人のためのカウンセリング ●ライフワーク・コーチングの奨め 主要メニュー コーチングを受けて見ませんか コーチングとは コーチとは コーチングの例(パーソナル) コーチングの例(ビジネス) 体験コーチングの進めかた 体験コーチングの申し込み |
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2003 Yoshiaki Sugimoto |