主要メニュー
コーチングを受けて見ませんか  コーチングとは  コーチとは
コーチングの例(パーソナル)  コーチングの例(ビジネス)
体験コーチングの進めかた    体験コーチングの申し込み
全方向ゴマすり
コーチング:風見鶏1 コーチング:風見鶏2 コーチング:風見鶏3 コーチング:風見鶏4
秀吉が仕えた織田信長という人は、世にも稀なほど自己中心的な人だったことは、あまりにも有名だ。天才は天才なのだが、こうだと自分が決めたら絶対に変えない。逆らう部下は殺すか解雇してしまう。配下の有力な武将、つまり今なら幹部社員はみんな、「困った殿様だ、やりにくい殿様だ」と思っていた。その中で秀吉だけが、信長に気に入られてトントン拍子に出世した。ということは、秀吉は信長をあやしきったということだ。

いいも悪いもなく、織田信長をあやしきったということだ。織田信長様はこういう人だと見切ったら草履を温める。柴田勝家殿はああいう性質だ、明智光秀殿はこういう性格だ。皆それぞれお侍さんだからプライドがある。けれど、自分は尾張中村の百姓から上がってきたからプライドがない。お侍はこういうところを尊ぶのだとわかったら、その侍心をくすぐるように、「私、猿でございます」とへり下って対する。武士のプライド、武士が求めているのはこれなんだとつかんで、頭を下げてあやしていった。あやされてる方は優越感にひたって「うい奴じゃ」と引き立ててくれる。

そうやって秀吉は着々と出世していった。もちろんそのためには危ない橋も何度も渡っている。信長が要求しても危険すぎるからと誰も引き受けなかった墨股城築城など、命がけの仕事もした。それもわがままな信長をたらし込むには必要だったからで、おべっかだけで出世したのではないのである。

現代のサラリーマン、OLのみなさんにとっても、秀吉流の人たらしは有効で強力な武器になる。人たらしというのは、男たらし、女たらし、いろいろあるけれども、どこまでたらし込むかという程度が問題になる。後で恨みを受けたり、奥さんとの決別が待っているようなたらし方は問題だ。たらすか、たらさざるかの微妙な雰囲気の中でたらし込む。たらし気味というのがいいのであって、これは全然平和だ。恨みも呪いもなく、夫婦円満だから、たらし気味がいい。異性を完全にたらし込んだとなると責任が発生するし、悲劇が待っている場合もある。

男性は男性をたらし込まなければいけない。たらし込む対象の人は、自分の目上、自分の同僚、自分の部下、つまり上中下、天人地とたらす。するとたらされた人間は涙をたらして、お前は素晴らしい奴だ、いい奴だと言う。男性の場合、まず男たらしでなければならない。女性をたらす場合はたらし気味にしておく。

女性の側からはどうなのかというと、男に対してはたらし気味にして、女同士でたらし込む。人間には男と女があるので、人たらしをするにも少し調節がいる。

人たらしの一番の早道は、ゴマすりだ。あいつはゴマすりだ、と言ったら誰もほめ言葉だとは思わない。ゴマすり人間は、世の中で軽蔑され毛嫌いされる。

しかし、これはおかしい。私に言わせれば、ゴマもすれない人間がゴマすりのことを偉そうに批判してはいけない。批判する前に自分で一回すってみよ、というのだ。ストレスが溜まるし、屈辱感は感じるから、胃潰瘍になりそうになったりする。

株式会社でも有限会社でも、学校法人でも財団法人でも、ボランティアのグループでも、絶対にゴマをすらずに出世できる社会はありえない。ましてやサラリーマンやOLであれば、実力の評価では上司や同僚や部下との対人関係がものをいう。いかにゴマをすれるかという表現力や咀嚼力も必要なことなのだ。現実に人間関係によって会社が成り立っている以上、多かれ少なかれゴマすり的要素がなければ思うように仕事はすすまないし、到底出世は望めない。

ゴマすりゴマすりと言うが、見方を変えれば、相手に心地よく喜んでいただけるようにあやしているということだ。ゴマすりに問題があるとするならば、偏ったゴマすりの場合だ。あいつはゴマすりだからと嫌われるのは、目上にだけおべっかを使ってゴマをすっている人の場合が多い。目上にだけペコペコするけれど、同僚や目下の人には横柄で人を人とも思わないような態度でいたら、それは嫌われるに決まっている。一方向だけにゴマをするからだめなのだ。

正しいゴマすりの法則というのがあって、私情とか私利私欲抜きに、すべての人を思いやる心、それを基礎とし、ゴマをすることである。こういう人はもちろん目上の人にもゴマをする。でも全方向でゴマをする人は、あいつがゴマすりで、と悪くは言われない。どう言われるかというと、腰が低い人だとか、人当たりの良い人だと言われる。人格者だとか人柄がいいと言われたりする。どれも最高の人物評価だ。

おべっかも同じだ。相手の気持ちを良くさせる言葉を、上にだけ言っているとおべっかになる。自分の同僚や、若い目下の人に対しても、声をかけてあげられる人は、おべっか使いとは言われない。

こういう素晴らしい人、全方向ゴマすり、全方向おべっかの人は、神様の覚えもめでたい。そもそも神様のお祈りの言葉である祝詞(のりと)をみたら、全部神様へのゴマすり、おべっかであるとも言える。神道だけではない。バイブルを見ても、イエス・キリストやマリアさんに対するおべっかとゴマの塊だ。

仏典を見ると、文殊菩薩や不動明王やお地蔵さんをほめたたえるお経がズラーッと並んでいる。観音経では観音様がいかに素晴らしいのかと、あの手この手で、よくもここまでほめちぎれるなというくらいほめあげる。それが観音経だ。それで観音様もその気になってくださるわけだ。バイブルも、コーランも、お経や経典も全部善意のゴマすりである。

ゴマすりやおべっかは、それ自体は善でも悪でもない。善か悪かはそれをどういう目的でやるかで決まる。要は、多くの人の幸せのためにゴマをすり、おべっかができるかどうかなのだ。

『超一流のサラリーマン・OLになれる本』 深見東州 2001年 たちばな出版

カウンセリングとコーチング
ビジネス・コーチング入門
社会人のためのカウンセリング
ライフワーク・コーチングの奨め

主要メニュー
コーチングを受けて見ませんか  コーチングとは  コーチとは
コーチングの例(パーソナル)  コーチングの例(ビジネス)
体験コーチングの進めかた    体験コーチングの申し込み
 2003 Yoshiaki Sugimoto