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自分流があってこそ、人生は価値がある

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何でも人から教わったことを「はい、分りました」というのではなく、教えられたことをさらに発展させ、さらに創意工夫してやっていく人になるべきである。もちろん、人間の資質として『素直』というのは、非常に大事なことだ。しかし、だからといって人間は、何でも「ハイ」「ハイ」と素直なだけでいいわけではない。

たとえば、アドバイスや教えを受ける時には、素直に受ける。しかし、この段階に留まっているだけではダメで、次にそのアドバイスや教えをさらに発展させなければならない。つまり、より素晴らしいものにしていくことが必要なのだ。そのためには創意工夫が必要となる。それがオリジナリティであり、自分の中にある「御魂」を発動させる、ということである。

要するに、まず『素直である』ということが大前提。ただし、素直と単細胞だということとは違う。また素直だが創意工夫がない、というのでもダメなのだ。素直に教えを受け、さらに、それを創意工夫して発展させ、誰もできなかったような素晴らしいものにしていく。そういう人でなければ、本当の意味での御魂の進歩、御魂の発動、御魂の向上はない。

たとえば今、あなたが普通のOLならば、これからは特別なOLになることである。だから

「教えられたことを守るより、発展させて、創意工夫する人であれ」

なのだ。目前にやってきたものが、あなたの頭脳のフィルターを通ったら、より美しく、より高貴に、より素敵で、より良く変わってこそ、あなたの人生が価値あるものとなるのである。あなたの手に触れたら、またあなたの筆にかかったら、全てが2倍、3倍、いや10倍美しく変貌する。そうなったなら、あなたは世界中の人から尽きることのない愛と賞賛を受けることだろう。

あなたの値打ちは、あなたの中を通って出てきたもので、全て判断ができるのである。それが、「その人の足跡をみれば、その人が全てわかる」といわれる所以である。

私自身は、常々「平凡な人生を送るぐらいなら死んだほうがましだ」と思っている。道も真っ直ぐに歩くようなことはしない。左か右に寄って歩く。そういう人生を生きている。

カレーライスでも、普通のカレーライスを作って食べるのは誰でもする。だが、そこに何らかのオリジナリティがあり、食べた人が何か感心し、「生きててよかった」と思えるようなカレーライスは、簡単につくることはできない。たかがカレーライスでさえそうだ。

御魂の活動というのも同じ。平凡なことを平凡にして、平凡に終わってしまったのでは能がない。もちろん平凡にもいろいろあって、天才から見れば平凡だということもあるが、研鑚して自分なりのオリジナリティを出す努力が大切だ。

若いのに、努力を放棄し諦めている人がいる。若いうちから「平凡な人生でいい」などと言っていては、下の下の人生しか送れない。平凡にもなれない。

人はよく「高望み」というが、若いうちは目標・望みは高く持ったほうがいい。「最高・究極の天才の道を進むんだ。自分は天才なのだ」と思って、他人の何倍も努力する。それでも、40、50歳になったら平凡な人生かもしれない。でも、普通の人よりは多少は秀でた人間にはなれる。

60歳の人が「平々凡々の人生でもいい」というのとは、訳が違う。彼らは過去に非凡な人生経験をしているかも知れないからだ。研究一筋に生きてきた大学の教授であるとか、幾つもの会社を経営しているとか、女性と700人ぐらいおつき合いして全部振られたとか・・・・・・?そういう歴史は、その人の個性なのだ。

20代の時には、平凡なやり方は一切しない。すば抜けたことに挑戦していく。それだけの根性を持ち、努力に傾注することだ。

「平凡な人生を送るぐらいなら死んだほうがましだ」

それぐらいの気概・気迫を持ってもらいたい。個性もさほどなく、ごく普通であったなら、その人の人生の価値はいったいどこにあろうか。そう自分の心にいい聞かせてほしいものだ。

それでは、神霊界の法則からみた、人の一生(各年代)のペース配分をここに述べてみよう。

まず、10代後半から20代にかけては、一生懸命やったことが、それ以後の人生のベースになる。才能の根幹を形成するわけだ。

30代以後は、それにさらに磨きをかけて、世の中に問う時期。30代では20代で学んだことをどう表現していくか。同時に人間性や人間としての深みも試されることになる。

脂が乗ってくるのが40代。この時期には、自分の才能が社会に認められるかどうかが次第に明らかになる。そして脂が乗り切るのが50代。そういう長いタイムスパンで考えることが大切だ。

原則は、20代と30代で己をつくって、40代に円熟させる。さらに40代、50代で社会の表現が完成していく。つまり、40代が完成期であり、しかも未だ修正がきく時期でもある。20代で40代のことを考えて行動できるのは、相当に立派な人だといっていい。

20代は始まりの時期である。この時期に『これ』といったものがない人間は、30代でも自信が持てない。20代、30代がそうなら40代にも当然期待はできない。まあまあの人生でしかない。

その意味では、40歳を過ぎても頭角を現さない人間は、大したことはない。論語にも「後生畏るべし」とある。「後輩は恐るべきものである」という意味で、次々若い人が台頭し、自分を超えようとする新しい力が出てくる。

そのためにはいかに20代の過ごし方が重要かということだ。「平凡な人生を送るぐらいなら死んだほうがましだ」とギンギラギンに燃えたらいい。

平凡だから死にましたというのは最低。自殺者は、霊界で唐丸籠へ入れられたりして、ぴしぴしとしごかれる。自分で自分の命を殺めたわけで、己の行いの罪だからだ。寿命がある間は、御魂を磨かなければならない。それを放棄するのは最低の行為である。

もし今、腹の底と胸の奥にかぁっと燃え上がるものがあるなら、それは御魂の発動だ。その大和魂を奮い起こす時に、神様はその人の心に宿られる(合一して来られる)のである。だから熱く燃え上がるというわけだ。

『解決策』 深見東州 1996年 たちばな出版

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 2003 Yoshiaki Sugimoto