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本心良心に従うということは 時とすると理性の判別と混同し易い故 注意せねばならない 「心身統一法」の根本である、精神生命の積極化を現実にする要諦である積極観念養成法という要項の中で、「正義の実行」ということが必ず示教されている。そしてこの「正義の実行」を確実に現実化するには、何をおいても、平素の言葉や行為を、如何なる場合にも、かりそめの気持ちで為すことなく、恒に本心良心に悖らぬよう、注意に注意して心がけなければならないということをも力説している。 が、特に省察を要することは、この箴言に記してある如く、自分自身ではその言行が確かに本心良心に従ったつもりでいても、時とすると、案外それが理性の判断に従っている場合が実際においては往々あるのである。 勿論、理性の判断するところのものは、ありふれた常識の判断や、軽率な感情本位の判断よりは、はるかに、論理的価値の高いものを多分に保有しているに相違ない。がしかし、如何に、その判断が論理的に的確厳正であろうとも、所詮、理性の判断なるものは、厳格な意味で論定すると、どこまで行っても相対的で、到底本心良心の許諾の如く、絶対的のものでありえないのが真理なのである。 ところがそれをそうと気づくことなしに、漫然として日常の精神生活を敢行すると、知らず知らずの間に本心良心の許諾よりも、理性の判断を本位とする精神生活を、むしろ当を得たもののように考えるようになる。そしてその究極の結果は理屈さえ間違いなければ完全な精神生活であるかの如く、考え断定するようになる。 この種の人に限って、何事を考察するときでも「常識的に考えてみて」とか「理性的に考えてみよ」とかと平然として言って、決してそれを「良心的にとか、或は本心的に」とは言わない。しかし、そうした考え方で行われる精神生活には、人間の一番価値の表現となるべき「正義の実行」という階級の高いものは到底実行され得るはずもない。 現実の人生の理想的処置というものは、飽くまでも現実が正しく解決するものであるということを、明瞭に心に銘記して生きることが何より肝要なのである。 だから一番適切な処置は、何らの後ろめたさ、少しの気とがめをも心が感じないものを言行とするのが最も優れた要訣なので、少しでも自分の言行を弁護したり理由づけることによって釈然たらんとするのは、とりもなおさず、理性の判断を直ちに本心的なもの良心的なものだと独自的に断定強調しようとする、極めて価値のない、いわゆる「独りぎめ」だといってよい。 独自的の決定は、如何に理論的に脚色しても、正義=真理から程遠いために、往々その心中に恐怖や躊躇という心理現象が発生する。 ただしくれぐれも誤解されたくないことは、この説明を軽率に考慮して、「理性を無用のものだ」というように解釈しないことである。 優秀な理性心は、当然大いに推奨尊重すべく、また、大いにその進展を啓発するべきである。 が、ただ戒むべきは、人間の言行の一切の何もかもすべてを理性心意のみに依存することは、人生真理より厳格に論断すれば、決して妥当な処置でないことを正しく省察自覚するべきであることに、正念留意されたいのである。 中村天風 『天風哲人箴言註釈』より抜粋 |
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2003 Yoshiaki Sugimoto |