全ての事物、全てこれから人間の経験することの実質は「今」という時の中にすでに「久遠の実在」として存在するのである。そしてあなたは今すでに全てが備わっている世界を動き回り、自由に欲するものを心に受け取り実現できるのである。
それはちょうど、大きな部屋に数多くの椅子が用意されており、それらの椅子はそれぞれ異なる角度をもって置かれてあるけれども、どの椅子もあなたが近づいて座ることができるようなものである。
このたとえのように人生と呼ばれるものには数多くの事物があって、これらは全ていろいろな位置をしめて置かれてはいるが、あなたは望み次第どの事物にも近づくことができ、一方事物のほうはあなたが選び出し、権利を主張するのを待ち望んでいるのである。
あなたはこのことに目覚めるとき、あなたは事物の真性を悟り始めるのである。あなたは事物の原因はあなたの心のみにあるのであり、それ以外のものは、心が決意したことの結果に過ぎないのであると、理解するのである。それゆえ、最初に心がどのような決意を下すかが最も重要な要素になるのである。
ある人は原因・結果の例証として、ボールは壁に向かって投げられるから跳ね返ってくるのであると論ずる。しかし本当は、球の跳ね返りの原因は、球を壁に投げつけた人の心にあるのであって、投球と跳ね返りは結果であるのである。
あまりにも我々は人生というものを、表面の事象を根拠に理解しようとしているのであって、真の原因は人間の心にあるのであるということが本当にわかっていないのである。全ての人生経験は心にその原因があるのである。万事は心から発するのである。
したがってあなたの願望を実現するためにこの世で起こってくる全ての事物は、あなたが創造的想像力を暗黙裡に行使して獲得したところの、あなたの意識の状態、すなわち自分自身の想念の結果なのである。それゆえ、あなたの住む世界はあなたの心の反映なのである。この真理は、はっきりしておかなくてはならない。
自分も永久にそのような心境になってみたいと願うような優れた意識の状態に目覚めることができ、そしてそうした自覚に切実に生きるとき、後は心の法則が自働的に願望を成就してくれるのである。
人間の心はしばしば生活の荒波に心を労するあまり困惑してしまい、本当は全く原因がないところに原因を読み取ろうと苦労するのである。我々はあらゆる人生経験の背後にある原因を知って、そこから動き出さねばならぬのである。
あなたはあることを人生経験として実現しようと決意し、心の中に明確にすでに事成就せりの自覚を持ったならば、その後はただ待って事物の展開を静観しておればよいのである。その場合はあなたは心を静かに保って自己に属するところのものはなんら無理なく、人様に迷惑をかけることもなく実現するのであると、堅く信じていればよいのである。
この世には根本的なたったひとつの実質があるのみである。万物はその基礎となる一定のパターンにしたがってエネルギーが具体的に形を現したものなのである。それゆえに、もし私が真に実現して体験しようと欲しているものの心象を明確に心に描きとらえることができれば、それを私はこの世の実質であるエネルギーを動かして自分の願望どおりの形に具体化させていることになるのである。
物質というものは事物をあらしめている大本源から離れて別個に存在するものでは絶対ないという真理の重要性は、我々の自覚がちょっと深まればすぐ理解できるのである。霊と物質は別個に存在するという考え方は誤りである。正しいものの見方は我々の住むこの世界、我々の見る全てのものは霊であるということである。
こうした正しい見地は霊一元の人生観を生む。我々が、この世界には霊というただ一つの実質があるのみであり、それが多くの具体的な形となって現れているのである、と理解するとき、我々は自分の願望に適合するような形で、霊なる実質を具体化できるのである。ただしその場合、自分の願望は内からの導きによって我々がいだくにいたったものであり、かつそれが関係者全てと正しい調和した関係にあらねばならぬのである。
もはやわれわれは物質が人間を支配するという観念に束縛される必要はなくなったのである。逆に我々は物質というものも、その実質は霊であると理解することによって、それを支配することができるのである。一旦これを自覚してしまうと、我々は心身ともに解放されて非常に自由となるのである。
霊なる心を実質とする我々の住む大海原は、一定不変のものではなく、絶え間なく変化を続けるものである。われわれが自分のいだく願望をすでに実現したと心で受け入れ確信すると、自働的に霊なる実質にその願望の具体化を命じることになるのである。あなたはこの真理をよくよく沈思熟考せよ。理解せよ。成就の扉は開かれ、人々は集まり来たり、あなたは言葉に発して語らずとも、必要に応じて機会は自ずと現れてくるのである。
あらゆる願望は反対観念の妨げのない限り、自ずから成就するものであり、それが人生の法則である。この真理を知れば、我々は目標を一層大きく持ってものを考えるべきである。
我々は内からの導きに心の扉を開かねばならぬし、また時というものに歩調を合わせねばならぬのである。このことを私は堅く信じるのである。今年は成功したアイデアも来年は情勢の変化で失敗するかもしれぬのである。それゆえ、あなたはできるだけ多くの人と強固な人間関係を保つようにして、予測せざる事態に対応する余地を残しておくことである。あなたは夢を描いて、それがすでに実現したと堅く心に信じて、その夢の方向に動き始めるとき、扉は開かれ、世の中はあなたに協力するようになるであろう。
あなたがある事業に従事して万事が都合よくいっている場合に、突然何かがその事業の進展を妨げるようなことになったとき、
--- その障害は競争者の出現、新情勢の発生、資金の欠乏、需要の欠乏であるかもしれぬが
--- あなたは自分は創造能力があるのであるが、進路を遮断されて希望は挫折したと思うかもしれぬ。
しかしこの種の挫折の唯一の治療方法は、障害のまっただなかを切り抜けることである。創造には周期があって、一張一弛のうちに目的が成就されるものであることを体験すべきである。
あなたは何回も進路を遮断されるとき、心を閉ざしてあきらめてしまう傾向があるのである。しかし、これは見せかけの、どうにでもなる障害に過ぎぬものを突破しようとせぬあなたの自己弁解なのである。
私の知っている成功せる人たちで、男にせよ女にせよ、ことごとくみな、ときどきは沈みがちな自分自身を鼓舞する必要のなかった人はひとりもないのである。正しい方向に着実に進んで行くということは必ずしもやさしいことではないのである。それは最も成功せる人たちでも、気が滅入って意欲が沈滞する時期があるものだからである。
あなたは気が抜けて意気が湧き上がらぬときには、なにか意欲を燃え立たせる動機となるものが必要なのである。そのようなとき、あなたは読書をするか霊感に溢れた講演を聴くがよいのである。そしてあなたの情熱が湧きあがって来るときまで、そういう努力を続けるがよい。
そして意欲が盛り上がって来たら、そのときには確実な結果を得る目的で、自分の計画の実行に忙しく立ち働くがよい。こうしているうちにあなたは必ず信念を持つにいたるのである。
『心の力の秘密』 ユージン・ロイ・デービス 1964年 伊藤正・谷口雅春共訳
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