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精神科学では救われない

「求めよ、さらば与えられん」とはキリストの言葉ですが、実に求める者にのみ与えられるのは、事実なのであります。しかし、このキリストの言葉は、精神的な希求を言っているのであって、物質的な求めを言っているわけではありません。近頃の精神的科学的宗教の言葉にも、「思う通りになる世界」という言葉があります。これも真理の言葉です。だがこの言葉には、いささかの危険性が伴うのです。

それはどういうわけかと申しますと、確かにこの世界は、思う通りになる世界であり、自分たちの環境は、自分たちの想念行為によって作り上げたものであるのですが、これは過去世からの想念行為というものが大きく作用して、それに加えた今生の想念行為ということになるのです。

これを「現在の想念の持ち方で、自分の環境がすぐさまにも変わってくる」ものと、思いがちになったり、思う通りになるというので、物質的欲望の念力になってしまったりするのです。またその逆に、「一度思ったことは、必ず実現する」ものと、恐怖の念を抱いてしまって、かえって自分の想念に、自分みずからを縛りつけてしまったりしている人たちもあるのです。「求めよ、さらば与えられん」という常葉には、物資的な匂いはあまり感じられませんが、「思う通りになる世界」という言葉には、物質的なものも大分に含まっている感じがいたしますし、東際にそういう意図で言われている言葉であるのです。

宗教の言葉というものには、やはり物質的なものが含まれていないほうが本物だと思いますし、「真実に神だけを求めていたら、その人に必要な物質的環境は、必ず与えられるものである」ことは、私自身をはじめ、多くの人々の体験しているところであります。

全く人間の世界は、思う通りになる世界なのです。これは真理なのです。しかし、人間の想いというものは、自分勝手なものですから、どんな自分勝手なことを思うかわかりません。お互いが自分勝手なことを思い合って、それが全部思う通りになるとしたら、一体どうなるでしょうか? 神のみ心の愛と平和の世界が開けてくるでしょうか?誰しも、「否」と言わざるを得ません。ところが実際には、そのようになって、現在の不安混迷した人類世界になってしまっているのです。個人も国家民族も、お互いの都合のよい想念で事を処していたので、利害が相反する場合には、その想念が種々とぶつかり合い、反発し合って、想いの世界の波をすっかり乱してしまい、今日のような争いに満ちた人類世界にしてしまったのであります。自分勝手な不調和な状態が、この世界に現出しているのは、「思う通りになる世界」という言葉の通りなのであります。

人間が神のみ心を離れた、お互いの都合による、思う通りになる世界を作ったのでは、人類世界はついには滅亡してしまいます。そこで、「思う通りになる世界」とか、「信念の魔術」とかいう精神科学的な教えで、それがあたかも「新しい宗教の道である」かのような宣伝を、宗教者がしていたとするならば、これはやはり、神のみ心にかなった方法とは言いがたいのであります。そうした教えは、神と人間とをつなぐ道ではなくして、人間の「業想念世界の成功、不成功」に、人の想いを止めて置くような仕儀になってしまいます。

そこで私は、「思う通りになる」という真理を活用して、神様のみ心の中に、自己のすべての想念を投入してしまって、「神様のみ心の通りが自己に現れてくる」ようにする方法を、実行し始めたのです。「思う通りになる」と申しますのは、そのままでは宗教の世界の教えではなく、「業想念の三界の世界の教え」ですから、その「思う通り」を、「神のみ心の通りに」とまでしてゆかなければ、神の世界、宇宙大自然の神秘な世界の中に入ってゆくことはできないのです。業想念にわずらわされぬ人間生命の素直な、完全な生き方をするためには、どうしても、一度は素直に神のみ心の中に入り切らなければだめなのです。

私のいう世界平和の折りは、こうした原理から出発しているのです。すべての業想念は消えてゆく姿として、「人間の勝手気侭な思う通りになる世界」を全否定してしまって、その全否定の消えてゆく姿を、世界平和の祈りという祈り心の中に全託してしまうことなのです。神のみ心を離れた人間の想念行為はど、頼りのないものはありません。よほど立派な人でない限り、自分や自分の愛情のつながりの人たちの利益を、主にして考えるに決まっているのです。ですから、そうした肉体人間想念を、さらりと神様に全託してしまって、神様のほうから人類の全生活を頂き直したほうが、智慧のある生き方なのです。

神様とつながり切った人間が、悪い環境を抜け出せぬはずがありません。私はその体験者なのですから、間違いありません。しかし、神様に託せきるにしても、神様を自分の心で把握することができにくいので、神様の大愛による人類救済の世界平和の祈りの中に、自己の全想念、全生活を全託してしまう生き方を、私は勧めているのであります。

『宗教と平和』 五井昌久 1968年 白光真宏会出版局

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 2003 Yoshiaki Sugimoto