梅非凡 (月次演説)
諸君、私は、陽明学と云ふことに付いては、未だ深い研究をしたことが
ございませぬ。それで皆さんに、陽明学の学説とか、総てのことに付い
て、御話をする程の材料を持つて居らぬのであります。併し陽明学者が
此国家社会に遺したところの実蹟、其歴史を見ますると、実に竪確なる
精神を以て、さうして其行動が、如何にも熱烈であります。私は、其点
に於て、始終陽明学者と云ふものは――他派の学者にもそれ/゛\偉人
もあつて、いろ/\な事をして居りますけれども、陽明学者其ものは、
実に精神が堅実で、其上に行が熱烈であつて、少しも他より侵すことの
出来ぬやうな行動をして居ると思ふのであります。
其点を大に感心をして居る次第でありまして、先づ一例として申します
と、かの有名なる熊沢蕃山とか、或は大塩平八郎とか、あゝ云ふ人の行
蹟を見ますと、如何にも陽明其人の精神が!全く国を異にし、時代を異
にして居りますけれども、其処に乗移つたもののやうに、私は思ふて居
るのであります。それで私は陽明学、殊に日本の陽明学者のしたことに
付いては、多大の興味を以て常に観察して居ります。
其の陽明学者の特色とも申す点は、第一に直截簡明とでも云ひますか、
実に竹を割つたやうな趣があります。是などは私の考ふる所では、かの
陸象山先生が、宇宙即是自家分内事、自家即是宇宙分内事、斯う云ふ所
より胚胎して居ると思ふのであります。殊にゴタ/\と面倒臭い理窟を
言はず、宇宙の大に合するを以て人間向上の直路字した事などが、実に
面白いと思ふのであります。
殊に第二には知行合一といふことであります。知つたことゝと、云ふこ
とゝが、始終一つになる、知れば、直に行ふことが出来る、行ふことが、
即ち知つたことである、此に於て、直ちに実践躬行と云ふことに効験が
著しいのであります。此実践躬行と直截簡明、此二つが陽明学の最も特
色であります。
更に日本の陽明学者は尊王愛民……愛国と申すよりも、私は尊王愛民と
云ひたい、尊王と申しますのは、申すまでもなく、我国家を尊ぶ、皇室
を尊んで、何処迄も一天万乗の陛下に忠を尽すと云ふこと、愛民は、社
会民衆を如何に幸福ならしむべきかといふことに付いて、始終其頭を悩
まして居ることであります。世往々にしまして、学者は其時代の権力者
に阿り従ふ。ところが陽明学者は、蕃山にしましても、平八郎にしまし
ても、国家を愛するため、又我皇室を尊ぶために、其眼からして、社会
と云ふものを最も愛すべきものと見て居りますから、悉く権力者の都合
ばかりに従ふて居りませぬ。即ち彼等は、当時の権力者なる幕府の忌諱
に触れても、自分の行はんとする所を断行して居る。それが私は陽明学
のえらい所だと思ひます。
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