Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.3.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


「梅非凡」

その2

足立栗園 1912.5

『陽明学 第43号』陽明学会 所収

◇禁転載◇

   管理人註
   

例へて申しますと、蕃山先生は、大学或問を書いて罪を被つて幕府に嫌 はれた、嫌はれる筈だ、私はあれを読んで、最も感心した点は、初に人 君の天職と人臣の天職を書いて居らるゝが、其人君の天職は何であるか と云ふと、仁政を行ふのが天職である。人臣は、其君を輔けて仁政を行 はしむるやうにするのが其天職である、と斯う云ふ風に書いてあるので あります。是は無論のことで、どの学者でも申しますが、此以外に、私 は下の一点が蕃山先生の偉い所であると思ふのであります。ソレは彼の 蕃山先生時代は、徳川幕府が勢力を持つて居る、皇室なるものは、斯う 申すと畏多いけれども、僅に十万石位で、京都の方に奉つて置いた、決 して今日のやうな風でなかつた、それで、どうかして日本の国力を盛ん にし、日本の社会を安全にするには、尊王の種と云ふものを全国に播か なければならぬ、それには教育と云ふものが一番必要である。 其教育と云ふものを、全国の人民に施すならば、其処に自然に尊王心が 養はれて来る、夫故に斯うしたら宜からうと云ふことが、あの書の一番 了ひの方に書いてある、 其教育の仕方が面白い、先づ京都に学校を立てゝ、其京都の学校には天 子様の御胤から始め、公卿さんの子、総ての人を学校に入れて、之を教 育して、普通の人民と同じやうに学問を授ける、さうして其学問才智の 御ありになる御方、皇族の中の一番良い御方を天子様とする、それから 才智のある公卿の子を大臣宰相にする、さうして其外に文学とか、音楽 とか、総て教育上に於ける一枝一芸のある方は、全国の諸侯に割当てゝ 御客分にする、即ち茲に二十万石の大名があれば、其二十万石の大名は、 皇室の御続きの親王様を御客分として、一藩の御師匠さんにする、所謂 教育顧問です、其人には其附役として、公卿さんの子で、音楽とか文学 の出来る人を二三人御供に連れて行く、それが期が来たからと云ふので、 帰つてしまつては困るから、京都から王女とか、或は公卿さんの女を其 婦さんにして、地方の教育の主脳となる人を拵へる、さうすると全国に 勤王の精神が這入る。斯うして行つたならば、其皇族方に養成せられた 諸国の子弟は如何に尊皇の頭が堅確になろか、忠君愛国の思想となるか、 斯う云ふことを幕府隆盛の時に出したのでありますから、之が嫌はれる のも尤の事であります。ツマリ之が先生の忌まれた骨髄であると思ひま す。 兎に角蕃山先生一人を持つて見ても、斯う云ふやうに、尊王と云ふこと に付いては言はずして、実際上に行ふ。言論の上でやかましく言つでも、 之を実行上如何にするかといふことを考へなければだめである、此処が 陽明学の面白い所であると思ひます。 それで蕃山先生の社会民衆を愛したと云ふことは私の申すまでもない、 どう 何でせう、岡山地方の洪水を治められたことは、之を新聞や雑誌などで いろ\/御覧になつて居らませうが、私もあの人の治水法に就て、詳し く論じたことがあります。所があの人の治水法は、今日のへボ土木家の 短見とは、天地雲壌の差があるのであります。又饑饉のあつた時分に、 先生は独断で窮民を救ふた、これ皆な社会民衆を愛すると云ふ精神が無 かつたならば出来ないことである。幕府の命令を待たなければ何も出来 ないと云ふことでは、見て居る中に窮民は死んでしまふ、斯く云ふ場合 には断乎としてやる、其処が面白いと思ひます、之が先づ、私は陽明学 者の学問は知らぬけれども、歴史事実に於て実に感心して居る点であり ます。

   


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