Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.3.28

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「大塩の乱関係論文集」目次


「梅非凡」

その7

足立栗園 1912.5

『陽明学 第43号』陽明学会 所収

◇禁転載◇

   管理人註
   

茲に添へて申上げて置くことは、此尊王愛民と云ふ熟語は私が拵へたの でありますけれども、日本の国体は如何であるかと甲しますれば、  天皇陛下は、一方に於て神聖なる君である、吾々は其下の臣民である、 一方に君臣の分は、ちやんと立つて居つて乱れず、更に一方に於ては、 其一天万乗の君は、吾々の厳父である。吾々の大なる父様である、吾々 は赤子である、広き意味の父子の関係である。さればかゝる結構なる族 制約君主国体の下に成長したる吾等は、大に其鴻恩を感謝せねばならぬ ことであります。 不幸にも隣の国は、斯う云ふ歴史を有して居らぬ。それゆへに、今回あゝ 云ふ騒動になつてしまつた。堯舜以来、立派なことを言つて居るけれど も、代徳革命がアノ国の習慣風俗であるとは、情けないではありませぬ か、殊に終始一貫せる一国の歴史なる者なく、従て尊王愛国で固まつた 精神がない、其結果、強い者が起ると、朝廷を倒してしまふ。日本は小 さい国でありますけれども、神武天皇から数へても、二千五百何年続い て居る、歴史が立派である、此有難い国に生れた吾々は、十分其意味を 解さなければならぬ。尊王即愛国、愛国即尊王、英吉利あたりしに行き ましても、国を愛でる愛国心はあるけれども、朝廷は左程に思はぬ者も あるといふ。それで愛国と尊王とは一致して居ない、ところが日本はさ うでない、尊王即愛国、愛国即尊王、一つであります。国を愛する人が、 天子を尊ばぬことはない、天子を尊ぶ人は、国を愛することになつて居 る。此様な有難い国でありますから、吾々は一方に忠誠を抽んずると同 時に、又一方に、厳父慈母を慕ふ如く、皇室を尊び親しむ、此処が、吾々 の、国民としてよく心得て置かなければならぬ点であります。 さて大塩先生があの時代に、幕府の圧世時代に生れて、一天万乗の君を 如何にするといひ、更に陛下の赤子なる窮民を、如何にするかと叫んだ といふものは、実に立派な精神、日本の社会に斯う云ふ人傑が出たと云 ふことは、これぞ尊皇愛国の事の、万国に特殊なる故であります。かの 日露戦争でも、日清戦争でも、我国の勝つた所以は其処に在ります。さ れば吾人は、其尊王愛民の精神を何処迄も持つて、さうして、一方に於 て、国家の為に国富増進、国力充実の為に尽し、以て忠良なる臣民とな り、同時に社会民衆を愛する点から、互に相愛し合つて行かなければな らぬことであります。若し青年諸君にして、或会社の取締役監査役に後 来なつたならば、一層此精神を以て其下を愛して貰はねばならぬ、さう して行つたならば事業必ず栄へる、 かのカーネギー氏が言つて居ります、吾々は何十人の社員を使つて居る けれども、之を使用人とは思はない、皆な同僚と思つて居る、而して事 業を創める始に一々相談をする、それゆへに今日の成功を見たと、私は 此の同僚の積りでやつて行くといふカーネギーの精神が面白い、否、慕 はしい、之が良知、愛民の精神であつて、即ち同情心といふものであり ます。此点は現代の日本人に少し欠けて居りはせぬか、 ところが旧幕時代なる大塩先生は、ちやんと之を実行して居られるから、 えらいものであります。殊に熊沢先生などがさうであります。世の偉人 のえらいといふ点は、其処であります。それで今日は梅匪凡と云ふ悪口 を書いたのを、私が非凡と書改めまして、百花に魁して咲いた大塩先生 の功名が、馥郁として今尚ほ残つて居ると云ふことを、話の主頭とした のであります。(拍手)

 
   


「梅非凡」目次/その6

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