Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.3.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


「梅非凡」

その6

足立栗園 1912.5

『陽明学 第43号』陽明学会 所収

◇禁転載◇

   管理人註
   

それで大塩が、京大阪の飢饉、見るに忍びないと云ふので、あゝ云ふこ とをやつた、実は此精紳は一方に於て尊王と云ふこと、一方に於て社会 民衆を救ふと云ふ事、即ち尊王愛民の精神があつたからであります。私 は実に是からの人は、頭に此の精神を持たなければならぬことと思ふの であります。ツマリ尊王心と共々、此社会を救ふと云ふ精神、殊に今日 の如き、総てが分業で、団体的の勢力と云ふものが甚だ怖ろしい世の中 では、同情心が一層なければならぬ。大なる勢力あるものは、其使ふ所 の雇人に対して、十分同情を以て使はなければならぬ。先頃も電車のス トライキ、あれがために如何に吾々は困つたか、 而して何のためにアノ騒が起つたかと申しますと、話る所は、下を使ふ 人に同情心が薄いといふことも、一の大なる原因、即ち遠因をなして居 ると思ふのであります。外国などで、此社会の軋轢、上下貧富の争を防 ぐには、皆同情心を以てする、此等雇主と雇人との関係は、何時でも申 すことでありますが、時計を見て判る、時計は、表面に現はれて居る所 では、短針長針だけで時間を示すのでありますが、然し裏面を見れば、 沢山の細かい器械があつて、アレが一々動いて居るのである。若しアノ 一つが止つたならば、どうでありませうか、長針短針、少しも動かず、 其の時計は用をしないのである。即ち此時間を知ると云ふのが目的であ るけれども、其大なる目的に向つて、小さいものが働いて、其目的を達 するといふことを了解せねばならぬ。 されば上に立つて居る人は、小さいものである、卑いものであるとて、 之を無視してはならぬ、寧ろ之をいたはる事がなくてはならぬ、兎角上 に立つて居る者が、何の詰らぬ者かと云ふのでは、間違つて居る、夫故 に社会が進めば進む程、世の中に分業が行はれて、共同的団体の事業が 盛んになりますれば、人を使ふ者、上に立つ者は、一層同情心、即ち温 き心を以て下を待つことにしなければならぬ、電車のストライキは、詰 り之を括めて申しますと、此同情心が欠乏して居つたのでなからうかと 思ひます。其人の職業に依つて、決して其人を賤む訳のものではない、 人には各ゝ人格を備へて居るのでありますから、職業の如何に依り、貧 富に依つて差別すべきものではない、夫故に、総てを愛する心を以て、 世に立たなければならぬ。其愛民といふ心が、即ち誠であらます。誠心 があつてこそ、総ての社会が旨く行く、 大塩先生は、此点に於てどうであつたか、此社会を愛すると云ふ心、民 衆を愛する心、不幸者に幸福を与へてやりたいと云ふ精神、之があつた から、かの一挙に及んだ、大塩と云ふ人の精神が、今の世に伝つて居れ ば、今日の我が国民は実に皆立派な人である。 此の如く、私は陽明学と云ふものに付きましては、十分に学説は究めて 居らぬけれども、陽明学者と云ふものに付いては、大に感心して居りま す。

   


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