Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.5.7

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大塩の乱関係論文集目次


『訓読 儒門空虚聚語』 (抄)

秋山青渓

教材社 1937

◇禁転載◇


訓読に就て/本書の構成と内容/特徴と功程/紹介状(西勝造)/凡 例


訓読に就て

 我が輩が西式健康法を聴いたのは。今より十年前であつた。親友片平七太郎君の指導を受け以て健康を維持して来た。親友なるが故に信じて之を順受した。爾来真実に実行した。石枕に木床に屈伸に摩動に総ての条件を実行して来た。親友相許すの間柄に於て。談偶々西式健康法の実施に就て其の出典を問うた。君曰く西先生を紹介するから親しく聞く可しと。君の紹介に依り会見した。夫れは昨年六月頃であつた。話中先生の心臓空虚論を聴き。直ちに解した。聖人孔子自から謂はれた空空如たりと。同一なることを認めた。即ち易に謂ふ貞。吉なれば。感は通ずと。此の機会に於て貞感は潜通せしものと見えて。儒門空虚聚語を訓読する事となれり。即ち言上動いて心中に応じ。聚語躍つて訓読と化せしものか。或は又儒学を習つたる務めなるか。或は又藤樹先生の致良知が。眠裡夢裡に感染せしか。或は又陽明子の良知が知行合一的に叱咤せしか。噫人性の淵淵たる浩気は自から之を為して是を知らず。或は空虚の電波が虚中より起り虚に感ぜしか。是れ又知る能はず。何れにもせよ其の動機は一息の間に起れり。………倩ら思ふ不学敢て方らず。訓読誤解なきを保せず。大方諸賢の是正を乞ふ。此の一念真性なり。茲に不学を告白する所以である。


本書の構成と内容

 本書は洗心洞箚記の姉妹篇であるが。箚記に比して幽淵の趣きがある。上巻の巻首に自序を立て。而して序後附載を以て藤樹先生の良知を致すを挙げ。而して大舜の大孝を説き。藤樹先生の大孝を掲げ。真の孝心は良知より発出する。良知は即ち空虚なり太虚なり。真忠真孝に良知的空虚が淵源を為して居ると論じ。自序を強固ならしめて居る。結局上下二巻は忠孝を基本と為し。其れが忠たり孝たる本源は。空虚に依りて完全すと説かれてある。而して忠中孝あり。孝中忠あり。忠孝は二つに非ず一つなり。即ち忠孝一致なり。千変万化皆一孝に帰すと論じ。而して此の空虚を論語・大学・中庸・易経より摘出し。経語十一則を以て。之れを礎石と為し。註疏九十七文を本柱に充て上巻を構成してある。

 而して孝は万業を為す要素なり。故に空虚に復す可しと結束してある。下巻に於ては諸儒の論説百十一文を以て外廓と為し。盛荘を尽してある。附録一巻は中斎門下及び他の質問に応じ。答弁してある。之れは上下二巻の補遺とも言ふべき者である。然り而して孝の一字は上下二巻の大主脳である。之れに配するに大儒数十名の大文字を借り来り。自からは敢て説かず厳正に巧妙に構成し。人をして侵迫の余地なからしめ。振心を聳動せしめ。二百余文を羅致して空虚の霊扁を啓いてある。爾かして箚記を富士山顛に埋め聚語を。……神宮に……奉納……せらる。即ち我が邦……を富岳の如く高く万世動かず。我が同胞を富岳の高きが如く向上発展を冀がふ愛国心の発露であり。忠孝道義の赤誠であつたと考へられる。……神宮に奉納せしは……国運の隆昌を神明に……祈りたる徴象であると考へられる。而して大成は空虚即ち良知に待つべく。指導精神を形はしたものと考へられる。而して仏教の革新を促がし。我が邦の傑僧として親鸞上人を讃揚し。日本仏教の特色は上人によつて築き上げらる。支那や印度の枯淡なる仏教とは。撰を異にして居ると断じ。更に又儒学の堕落を痛嘆し。自家本有の活物たる。生気の源泉たる。空虚を放下せりと断じ。而して聖人孔子の空空。顔子の屡空なるに説き到り。空虚の復活を唱導し。東洋精神哲学の根幹を掲表し。孔孟学は即ち良知学なり。良知学は即ち太虚学なり。太虚学は真忠真孝の母体なりと論到し。孝の一字に帰納して居る。此の如き意味に於て空虚聚語を編纂せりと考へる。唯徒らに漫然聚語を作成したる者に非ず。国恩奉謝の為めにせられたる。中斎先生の熱血なりと考へる。茲に本書の構成と内容とを略記したる次第である。


特徴と功程

 空虚は実学なり。信じて。之れを行へば則ち万機発生す。

 本書は東洋に於ける。心空哲学の根柢を成せる。原理が多量に含まれて居るが故に。意、必、固、我、あれば其の髣髴だも窺ひ得ぬ。即ち空虚を以て将迎すべく。其の空度により功程が発出する。即ち真忠ともなり真孝ともなり。心病療養ともなり。難関排斥ともなり。進展発祥ともなり。………

 万有ともなり。無中有を産す。要するに応用の如何により功程の浅深を起す。即ち太虚か太和か。大なれば以て天地を涵るべく。陽明先生の謂ゆる丈夫落々天地を掀ぐる底の高度に達し得べく。西式健康法の如きも。心臓は空なるも。心に挟む物あれば少效となる。千変万化。爰に哲学的真理の妙がある。真理には形がない。之を捕捉すべからず。されど化して有形となる。石壁上草木を生ずるが如く。山気化して草木となり。水気化して魚となる。道もと無形なり。人によつて行はれ形を為す。西式健康法も虚心以て行へば功程千万無量なり。噫、心はもと至虚至空なり。心は物に応じて迹なし。恰も鐘の鳴るが如し。鳴りやめば又空に帰る。爰に特徴と功程を掲げ参考に供ふ。

 昭和十二年六月二十日 

     東京高円寺信陽館に於て
               青渓
                識す


紹介状

             西勝造敬白

 青渓先生の人と為りに就ては。徳富先生。高瀬先生。葛城先生。三大家の推奨に観て充分に認識せられる。敢て予の喋々を要する迄もない。 先生は。可を可とし不可を不可とし、義に従つて行動する実行家である。一面には大日本報徳社の講師として令聞あり。儒学に対しては、克く其の精微を探り。其の底薀を窺ひ。一見識を有して居らるる。乃ち隠れたる篤学者である。然り而して居常極めて恬淡である。恰かも陶淵明に類して居る。「君に問ふ何ぞ能く爾る、心遠くして地自から偏なり、菊を採る東籬の、悠然として南山を見る」底の人である。年歯古稀を超えて矍鑠たり。爾も明晰なる頭脳を以て能く難文を解し。意釈することに於て巧みである。

 西式健康法に対しては。絶大の信念を寄せられ。平素之を実行し。又国家社会の為め、之れが普及を冀がふ同志の一人である。

 西式健康法は。嘗て「古文真宝」の訂頑に始まり。「性理大全」「近思録」「中庸」「洗心洞箚記」「儒門空虚聚語」及び孔、孟、老、周、朱、王、程、荘、釈、等の諸学及び、和、漢、医書の古典を斟酌衡量し。実験に徴し。同時に欧米医学を広く漁り。故きを温ね新しきを知り。西式健康法を創成せり。就中其の核心とも謂ふべく。特に重点を為す所の真空「古語に謂ふ、太虚、又は空虚、又は良知、又は太和、」此の問題に答ふる文献としては、儒門空虚聚語を措いて此の右に出づるものはない。爾も此れが東洋哲学の根柢を為して居る。

 西式健康法の。振発雷轟に就て。大に与かつて力あるものは本書である。

 本書は天保四年に成り。今日まで百十余年間。何人も手を着けざりし。難読難解の書物である。今夏幸に青渓先生に據り。訓読せらる。而して読み易く解し易く。空虚の本体は。西式健康法と共に啓かる。故に西式健康法の蘊奥を究め。心身の健康を得んと欲する。大方の諸賢に。本書を紹介する所以である。然り而して本書は。西式専用の書に非ず。西式は其の心を虚にし而して後。之を弁択し其の精を受けたるものである。故に一般的に万事に方り。斯の書に順応すれば万理出づ。豈に西式のみではない。心は万理の府である。孝弟忠信、万事万業悉く発出する。東洋哲学の根柢たる所以も亦爰に在り。故に予は有縁より無縁に及ぼさんとして。本書を紹介した次第である。


凡 例

一、聖人孔子は。今より二千四百五十年前。年七十三で卒せり。
一、近江聖人藤樹先生は。江州小川村に生る。享年四十才なり。日本陽明学の元祖である。今より二百八十八年前なり。
一、陽明先生は。今より四百六十四年前なり。支那明代の人なり。享年五十七なり。
一、頼山陽先生は。天保四年に歿せらる。大塩中斎先生と親交ありし。歴史家なり。中斎先生の死に先立つ四年前なり。年五十二
一、中斎先生は。寛政六年に生れ。天保八年に歿す。享年四十四。今より百十一年前なり。儒門空虚聚語は先生四十才の時大成せらる。
一、朱子先生は。支那宋代の人なり。今より七百三十四年前の大儒なり。其の他は人物伝記に登載し置けり。右は朱、王、二学に就て其の年代を知るの便宜上特に記しをけり。
一、本書は孔子の謂はれたる空空たりを。時代々々の諸儒が論説せられ。此の年間。明代に至るまで二千年。此の間に於ける大儒数十名の空虚学を聚めたる。集説であり、集論であるが故に。其の年代及び学位学歴を知る便宜の為めに。新たに人物略伝を添附せり。
一、訓読書中。書目地名には左側に一細線を添へ置けり。右側の一細線は人名を示す為めなり。一、本書の原本は木版なるを以て。返り点摩滅の所往々あり。訓読に影響せる点もあり。読者諸賢の高見により。意釈せられんことを乞ふ。
一、仮名遣ひに就ては正規に背きし点多々あり。再版の機を以て訂正せんと欲す。
一、本書訓じ方には特殊の訓意を発し置けり。上下の文字と全文とを検索し。意味を解し得る程度を以て訓し置けり。
一、本書は時代と学者と各々異れり。隨つて文法助字の配列も異なれる点多々あり。成語に就ても出典なき語もあり。故に一字毎に解説し。成語に合ふ程度に訓し置けり。
一、校正は五校六校を経て印刷に附せり。されど校正見落し無きにしも非ず。読者諸賢の是正を乞ふ。
一、訓読に就て写字の任に当れるは。清水市稲葉尚三氏である。記して以て其の労に酬ゆ。

   訓者誌す


井上哲次郎「大塩中斎


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