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【前略】
大塩中斎(1764-1837.A.D.) 彼は大虚を説いて大虚(Vacancy)にきす
ることを以つて道徳の根本として居る。『天は独り上にあつて蒼々たる大虚
ばかりでない。石間の虚、竹中の虚といへども亦天である。然るに是れ啻に
外物に就て言ふべきのみでない。又直に身内でもさうである。方寸の虚は口
耳の虚と本と通一である。而して口耳の虚は即ち大虚と通一である。而して
極りなく四海を包括して宇宙を食容して捕捉することはできない。故に一片
の障礙がおこつて方寸の虚から宇宙に通することを杜絶されたならば直に生
命の妙機を失ふのである。これ他なし、大虚は即ち心の本体(Entity)であ
る。人の気質は変化することができるといつた。方寸の虚は是大虚の虚で
あつて大虚の虚は方寸の虚である。たゞ気がかりをつくつてゐるだけである。
両者はもと不二である。故に人は学んで聖人にいたることができる。その変
化の及ぶところは宛然として編布照燿して包涵せざるはよく貫徹せざるはな
いやうである。死もつまり大虚(Vacancy or Non-wesen)にきすることがで
きると、不生不滅の域に入るのであるから死してもほろびない。たゞ心の死
を怖れるのみであります。』と。
【後略】
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大塩中斎の生年は
寛政五年(1793)
『洗心洞箚記』(抄)
その8
啻
(ただ)
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