Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.3.22

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『洗心洞箚記』 (抄)

その8

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

序 説

二 学風と学説 (3)

 中斎学説の第二は帰太虚なり。太虚説は古来之を説く者少なからず、中江藤樹、熊沢蕃山皆然らざるなし、而して中斎最も声を大にして之を説くは何故ぞ。「執中之難亦如此、安仁之難亦如此。是無佗。以太虚故也」の悟境に入りて、太虚の本然を悟了し、ここに至らざれば中も仁も共に語る能はずとは中斎の信念なり。然らば太虚とば何ぞ。曰く、

彼によれば太虚とは宇宙の霊明、形なきを以て虚と称し、而かも絶対の霊、即ち換言すれば霊明其れ自体に外ならず。故に之を太虚といひ、万理万有の本源亦た此に在り。人之を稟けて心となす、故に心も亦た虚に在して霊なり。虚にして霊なれば、中も仁も此処に具存す。故に人は其の心を太虚に帰せざる可からず、之を帰太虚といふ。中斎更に天を以て太虚を語りて曰く、

此処に於て中斎は二元論を奉ずるものの如きも実は然らず、「心葆有万有」といひ、「常人方寸の虚は聖人方寸の虚と同一の虚なり」といひ、「方寸の虚は便ち是れ太虚の虚にして、太虚の虚は便ち是方寸の虚なり、本と二つなし」といふ中斎の言を思索する時、天人不二、而して物心不二の中斎学説を窺ふに足らん。

 然らば中斎学説の二大枢軸たる良知と太虚の関係如何。

又た曰く、

即ち良知と称し、太虚と称するも、本と二にして一なるものなることは、王子以後、中斎之を提唱して余薀なし。

 最後に中斎は帰太虚の方法論として、

といひ、又た

 誠意慎独は、これ大学の訓ゆるところ、然して中斎はこれより帰太虚の境に入るべしと誨ふ。又た致良知は王子の教説なり、中斎はこれより帰太虚の境に入るべしと誨ふ。これ中斎が太虚説の枢軸なり。


『洗心洞箚記』目次/その7/その9

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