岩波書店 1940 より
序 説 |
中斎学説の第二は帰太虚なり。太虚説は古来之を説く者少なからず、中江藤樹、熊沢蕃山皆然らざるなし、而して中斎最も声を大にして之を説くは何故ぞ。「執中之難亦如此、安仁之難亦如此。是無佗。以太虚故也」の悟境に入りて、太虚の本然を悟了し、ここに至らざれば中も仁も共に語る能はずとは中斎の信念なり。然らば太虚とば何ぞ。曰く、
太虚は形無くして而して霊明なり。万理万有を括して播賦流行す。人之を稟けて以て心をなす、心は即ち虚らして霊なり。中是に於てか存り、仁是に於てか存す。而て万事出づ。故に横渠張子曰ふ、「虚は仁を生ず」と、東城林子曰ふ、「中は我の本体にして、我の太虚なり」と。故に中と仁との由て然る所を悟らず、而て謾に中を執り仁に安んずるの業に従事せば、則ち其の源を知らずして斃るる者蓋し尠なからず。(儒門空虚聚語自序)
彼によれば太虚とは宇宙の霊明、形なきを以て虚と称し、而かも絶対の霊、即ち換言すれば霊明其れ自体に外ならず。故に之を太虚といひ、万理万有の本源亦た此に在り。人之を稟けて心となす、故に心も亦た虚に在して霊なり。虚にして霊なれば、中も仁も此処に具存す。故に人は其の心を太虚に帰せざる可からず、之を帰太虚といふ。中斎更に天を以て太虚を語りて曰く、
天は特に上に在つて蒼々たる太虚のみにあらず、石間の虚、竹中の虚と雖も亦たてんなり、況や老子の云ふ所の谷神とは人心なり、故に人心の妙は天と同じ。聖人に於て験す可し、常人は即ち虚を失ふ、焉ぞ之を語るに足らんや。
此処に於て中斎は二元論を奉ずるものの如きも実は然らず、「心葆有万有」といひ、「常人方寸の虚は聖人方寸の虚と同一の虚なり」といひ、「方寸の虚は便ち是れ太虚の虚にして、太虚の虚は便ち是方寸の虚なり、本と二つなし」といふ中斎の言を思索する時、天人不二、而して物心不二の中斎学説を窺ふに足らん。
然らば中斎学説の二大枢軸たる良知と太虚の関係如何。
夫れ良知は是れ太虚の霊明のみ。
又た曰く、
真の良知は他にあらず、太虚の霊のみ。
即ち良知と称し、太虚と称するも、本と二にして一なるものなることは、王子以後、中斎之を提唱して余薀なし。
最後に中斎は帰太虚の方法論として、
といひ、又た
心太虚に帰せんと欲する者は、宜しく良知を致すべし。良知を致さずして太虚を語る者は、必 ず釈老の学に陥るべし。恐れざる可けんや――と。
誠意慎独は、これ大学の訓ゆるところ、然して中斎はこれより帰太虚の境に入るべしと誨ふ。又た致良知は王子の教説なり、中斎はこれより帰太虚の境に入るべしと誨ふ。これ中斎が太虚説の枢軸なり。