蚤々起きて湯あみ、礼服を着け、例の如く寝に祭り、朝餉たうべ、
五ツ時登殿、局に入んとすれは、坊主来りて、被為召候旨を伝ふる
により、直に大奥へ罷出、 御前に伺候しけれは、公の仰に、今日
三家登城これなく候はんには、芙蓉の間へ出べき家老登城せられよ、
昨日老中より沙汰あり、今日登城するなれば、その事あらかじめし
りてありたし、我等おもふに、御代替りに付而は、三家ども御為を
存じ、存意無遠慮申上候得と被仰出る様のことにあるまじき哉、さ
あらんには、我等兼而存る旨をも申上べきとよろこばしく思召し候
との御事ゆゑ、彪かしこまりて申上る様、仰の通りにも候はんには、
いと心よき御事に候へ共、何事も当例先格のみ仰出され、少しも非
常の御政令は絶てなき世に成行候へば、今日の御用も先つは尋常の
事におはし候はん、しかしながら、かくの如きことは、御用部屋に
而は、兼而心得侍り候半と申上ければ、早速承り申聞よと仰に付、
御前を退き、御用部屋へ参り、月番遠山氏へ 御意の趣もて尋ける
に、たしかなることは存せされども、昨日御城付の申聞に、先つは
大樹御転任のことにつきてのことと承り及ぬるよし、御用部屋に
ても、外に心当りもなきよしなれば、その旨いそき封書を以て言上
す、程なく五ツ時にて御出に付、例の通り、中奥に而御目見仕りぬ、
○奥御殿中園、欠席を輔し、又亀井を新に老女にせんと、この頃し
きりに老女共より、御側御用人へ願ひありけるが、後宮の人別、去
年以来減少せしを、未だ一年ならですぎざるに、又もとに復するは、
以ての外よろしからず、其よし今日執政鵜殿氏え演述、戸田氏えも
申のべ、老女共より出しおきたる書付を返しけり、
○九ツ時前、帰御、
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○此日、峰寿院夫人誕辰 実の誕辰はすぎたり、御祝のみなり の御
祝とて酒肴を局中に賜ふ、人々打より杯酒くみかわしければ、余は
絶杯ゆゑ、一滴をものます、又々被為召けるゆゑ、大奥へ罷出、交
代を多くし、定府を減し、定府ならでは叶ふまじき者をは別屋敷へ
をし置、小石川屋敷へは妻子持一人も居らぬ様に被遊度との御意、
其外介川土木の事女子御下りの事抔、種々御議論被為在、それ/\
御応接申上、退出、
○跡部原田二子と同道、北郊に逍遥飛鳥山王子に至る、春は過ぎ、
花はちりにし跡なれども、四方の畠に麦青々とひいで、やうやう穂
も出で、去年以来、凶荒のみに心を苦しむる折なれば、いと頼しく
覚えぬ、帰途田畑村八郎左衛門の家に至る、この八郎左衛門は、三
百年余田畑村に住み、昔しは大家にてあるよし、義公、曾て立寄ら
せ玉ひ、馬五匹飼置たること御賞ありて、万一の節は馬を出して、
御供仕候へと仰を蒙り、それより此かた邸中の御用馬勤る事になり
ぬ、百余年の久しき邸中も古記散失、八郎左衛門も家門零落、今は
*
たゞ月々廩米の駄送等の勤め、それも何のゆゑに而勤るをもしらず
なりゆきけるを、近頃武備のこと、さま/\と御世話被為在けるゆ
ゑ、小荷駄も御手当なくては叶ふまじいで、八郎左衛門御用勤来た
るゆゑを尋んとて、さきごろ御用部屋より其筋を経て尋ければ、八
郎左衛門一通の書を出し、大略のゆゑよし分りたり 公暇漫録に記
置、扨義公は、新にこの八郎左衛門の先祖へ小荷駄の手当を命ぜら
れたるを、後の世には其ゆゑ、よしもしらぬ程に成行たるあさまし
さよと、この頃公へ申上れば、さらば我等近々王子へ遠乗に出て、
其序に義公の旧を逐ひ、八郎の家に至り見んとおもふ、汝先つゆき
て様子を見よとの仰付ありける折柄ゆゑ、今日跡部原田と共にゆき
て見るに、昔には、はるかに衰へたる如く覚ゆれども、尋常の民家
にあらず、何分公の被為入たりともくるしからぬ様子に見えたれば、
八郎左衛門父子に逢、しばし物語りを聞、誰といふものといはず立
帰りけり、厩を見るに馬二匹ありけり、五ツ時過帰 舎、
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