朝浅利徳操来る、徳操南上後、飲酒過度、頗る放蕩になりたる故、余
屡禁酒の事を勧む不 可、其父之を患ひ、余に又忠告の事を乞、余因
て徳操を激励せんと、昨夕徳操を訪、不逢、今朝来訪、談話の余微諷
す不 可、更に弁難す、徳操怒て不 可、余亦憤激、至誠を以て之を激
す、徳操翻然として悛心あるに似たり、余因て相約し、共に禁酒せん
と云、徳操、余が甚飲を嗜む事を熟知せるゆゑ、感激、許諾す、期す
るに三年を以てし共に一書を以て契とす、嗚呼先君子の門学問行状、
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一世に表見するに足る者、先輩には会沢伯民等二三子あり、余が同学
年齢の者に至ては、一人の自立する者なし、独り徳操、学問は浅しと
雖も、人品凡ならず、忠勇群を出づ、余因て深くこれと親むこと二十
年一日也、斯挙一は親朋の義を立、因て以自激励せんと欲するなり、
○登殿
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会沢伯民。会
沢正志斎
1782〜1863。
水戸藩士・儒
学者。名は安、
字は伯民
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