米穀の出
入を取締
る
凶作に付
きての訓
示
斉昭親ら
粥を食し
て士民の
食を励す
|
或は富める者の、貧しき民を救ひたらん者には、其多少に従つて、恩賞を
行ふべき由を喩し、或は邪なる民、大利を貪らんとて、竊に穀を隠し蓄ふ
るをば、これを罪し、其穀を出し、或は貴く糶し、賤しく糴する類、或は
入穀を許し出穀を禁ずる類に至る迄、
我藩には入穀の禁有りて、其法尤も厳なり、これは穀の価賤しければ、
士民の難儀となるる故、平年には一粒たりとも、他邦の穀を境内に入るゝ
事を禁じ、境内より出す事は禁ぜず、扨領内穀価の貴きを患ふる時は、
他邦に出す事を禁じ、又凶年に至りては、平年に引更へ入穀を許し、出
穀を禁ず、出開閉し依りて、自ら古の謂はゆる常平の意に叶へり、是れ
畏くも始祖威公の定め給ふ所にして、不易の良法とすべし、総べて古の
人は、大体を知りて、制度を定むる事、後人の及ばざる事多し、政をな
す人、仰ぎ慕ふべき所なり、
残る処なく施し給ひけるにぞ、申の年・酉の年、世の中飢ゑて死ぬる者多
き中に我水戸の領内のみ、一人の飢 なきは、有難き事ならずや、此時、
是れ彼れと、御心をも御身をも苦しめ給ふ事、大方ならず、戌の年の六月
五日の日、家中に示し給へる御染筆の写、畏くも左に記す、
巳年・申年両度の凶作にて、米穀も乏しく候処、此気候にては、此上何
とも計り難く、万々一今年も凶作にては、国中士民の扶助、如何はせん
と、日夜心思を苦しめ候、天地の変災は、人の力に及び兼ね候へども、
人は万物の霊と之有り候へば、上下一致して、人事を尽し候はゞ、其心、
天地に通じ、変災甚しきに至らずして止みぬべし、譬へ変災止まずとも、
人力を尽したる上にて、上下諸共に飢に及ぶは天命なり、君は民の父母
と是れあり候、仮初にも国中数十万人の父母と仰がれぬる身にて、如何
で子の飢に迫るを見るに忍びんや、之れに依りて、今日より七日の間、
潔斎して、鹿島・静・吉田等へ五穀成就、万民安穏の大願を立て候へど
も、日々平常の食を用ひ候ては、恐懼の事故、我等竝に簾中初め一同、
今日より粥を食し、上は天怒を慎み、下は民の患を救ひ度き心得に候、
此上何程凶年にても、国中の米穀にて、我等の食物には差支是れ無く、
又粥を用ひ候とも、其余りたる米、国中の潤にもならず候へども、重役
より初め、国中の人、我等が心を推察致し、人々心次第に米穀を余し候
はば、国中に飢餓の民は有るまじき道理なり、譬へばこゝに兄弟十人あ
り、一人は富貴にて珍味美食を用ひ、二人は相応の勝手にて、十分に飲
食し、二人は平常の食を用ふるに、其余の五人は、飢ゑて死なんとする
時、初めの五人、各の食を分ち、平常より少しく 食を用ひなば、十人
の命は全かるべし、我等愚なる身にても、国中の士民の父母なれば、国
中の士民、互に兄弟同様に思ひ、貧しき者は愈々倹約して、富める者の
救を受けざる様に心掛け、富める者は、我れ独り富まず、一粒づつにて
も余して、世の中の人の潤に成る様心掛け候はば、国中に飢民は是れ有
るまじく候、貴賤上下によらず、心有らん者は、夫夫其所の鎮守氏神に、
実意を以て、五穀成就の祈誓を籠め、一粒づつも食を余して、一人づつ
も人を助けんと志し候様致し度き事に候、
六月三日 御花押
斯くの如く喩し給ひければ、家中諸士より農民に至る迄 後に承はるに、
此時庶流連枝の方々も、君の誠を感じ給ひて此御書の写を其領中に布き給
へる由、されば君の余沢に潤ひぬる者、本藩の士民のみにあらずと知る可
し、思ひ/\に 食を用ひ、余り有る者は足らざる者を助け抔して、飢饉
の患を免かれぬるぞ有難き、我封内の民、仮初にも君の深き御恵を忘れず、
耕し作る業な怠りそ、
|
糶
(うりよね)
糴
(かいよね)
売り米(よね)
と買い米
威公
徳川頼房
初代藩主
申の年・
酉の年
天保7・8年
巳年
天保4年
食
(そしょく)
|