Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.11.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『科学日本の先駆者 田中久重』(抄)その1
池田宣政

三省堂 1941

◇禁転載◇

大塩平八郎の乱(1)管理人註

 「お美津がどんなに喜ぶだらうな。」  儀右衛門はほく/\もので、大阪心斎橋通りをあるいてゐた。  そのふところに、美しい京人形がしつかりとだかれてゐた。  「そらおみやげだぞ。」  さういつて出してやつたら、お美津がどんなにうれしがるだらうなあ。あ のかはいゝ頬にこの人形をぴつたりとおしつけて、さぞ喜ぶだらうなあ……  儀右衛門は、自分までが嬉しくなつてしまつた。  夜であつた。二月の冷たい風は、土ぼこりをあげて、うづをまきながら、 街中を吹きすさんでゐた。  春の来るのはまだとほい。けれど、彼の心の中には、うらゝかな春霞が立 ちこめはじめたゐた。  時計と懐中燭台の売行きのよいおかげで、彼のくらしも楽になり、もう妻 には内職をさせないばかりか、かうして、娘にも京人形のおみやげを買つて やれる程にまでなつたのである。  儀右衛門は、娘の喜ぶ顔を想像しながら、あたゝかい気持で家路へいそい でゐた。  「おやつ!」  とつぜん、彼は立ちどまつた。どこかで、けたゝましい半鐘の音が聞えた のである。  「火事か、……近いぞ。」  さう思つた時、うしろの方からごうんごうんとぶきみなひゞきが流れて来 た。  わあつ、と、人々のさけびが、わき起つた。  「たゞごとではないぞ。」  儀右衛門は、胸さわぎがした。  すぐ眼の前の屋根のむかふに、もつくりと噴きあがつた入道雲のやうな黒 煙が、ばあつとわれると、真赤な炎がめら/\と立ちのぼつた。       う ち  「やつ、自宅の方角だつ。」  あわてて尻をはしよつて、草履をぬぎすてたが、火事場で釘を踏みふいて はあぶないと、気がつくと、いそいで眼についた下駄屋にとびこんで、一足 もとめて、走り出した。  こんな急な場合にも、これだけのことに気がつく儀右衛門である。  走つた、走つた。いつか懐の京人形をふりおとしてゐたのも気がつかない。  横町といふ横町から、人の流がうづまいて来る。しかも、だれひとり消火 の支度をしてはゐない。  たゞ、「わつ/\」と、のゝしりさわぎ、家財道具もそつちのけ、親子も わかれわかれとなり、女・子供は泣きわめき、、命から/゛\逃げようとす るありさまは、たゞの火事さわぎとは思はれない。  「ど、どこが火元です。」  走りながら、儀右衛門はたづねた。  「方々中だあ、ほら、あつちもだあ。」  ふりかへると、うしろにも、右にも左にも、火の手があがつてゐた。  火勢は、しだいにすさまじくなつた。大空に凍りついてゐた星も、焔にな められて熔け落ちてしまつたかと思はれるばかり、大空はくらく、盛りあが り噴きあがる火の粉が、上へ下へとうづまいてゐた。  がう/\と真赤な熱風が、東西南北に吹きまはり、荒れくるつた。  これは天保八年二月の夜のことで、大塩平八郎の同志の者が、大阪市中に 火を放つたからであつた。



儀右衛門は
田中久重の
幼名



『科学日本の先駆者 田中久重』(抄)目次/その2

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