Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.9.9
2003.2.11訂正

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大塩の乱関係論文集目次


今古民権開宗 大 塩 平 八 郎 言 行 録」

その9

井上仙次郎編

山口恒七 1879刊 より


◇禁転載◇

(句読点・改行を適宜加えています。)


彼の大塩勢の、一手の主領たる大井正一郎は、散乱の目足達者たる故、直に河内に走り、又、大和に至るに詮議最厳重にして、立ち休らふ木蔭もなかりけれハ、道を転して加賀国まて遁走しけれと、貯へ尽きていかんとも為す可き様なく、大胆にも、又、京都の知己にたとりしを捕へられしなりとそ。斯くて、八月に至りて、御城代土井大炊頭には兼定御力(刀)御定番遠藤但馬守には、御鞍鐙を拝領せられ、同しく九月に至り、大塩平八郎以下処刑せらる。

今其文を左に掲く

  大阪町奉行東組与力                大塩平八郎                養子                大塩格之助

或ハ云ふ、平八郎、性質惆党にして大志あり、深く浮世の汚風を慨歓(歎)し、潜に計る所ありしと。其平生の所行、復観る可き者なきにあらす、其言行の記事ハ之を次号に説かん。

大塩平八郎言行録 終
『大塩平八郎言行録』目次/その8

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