Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.9.9
2003.2.11訂正

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大塩の乱関係論文集目次


今古民権開宗 大 塩 平 八 郎 言 行 録」

その8

井上仙次郎編

山口恒七 1879刊 より


◇禁転載◇

(句読点・改行を適宜加えています。)


是に於て、余党追々捕られ、今ハ大塩父子と、大井正一郎のみ行衛知れす。種々の風説ありて、三十余日間を過しけり。茲に、油掛町に、更紗染を業とする美吉屋五郎兵衛方に奉公せし、平野在の者、在所の親元にて、寄合はなしに、吾奉公せし美吉屋にてハ、春がはきとやらんにや、二月の末より、人員も増さぬに、この高直の米を、常より多くたく、と云ひけるを聞とかめ、村役所え訴へ出けれは、村役人も、こは打捨置き難しとて、早速陣屋へ出訴しけれハ、早打を以て御城代え注進あり。

是に於て、土井家の剱術師範役たる岡野孝左衛門を頭とし、西組与力内山彦次郎等、数人会所に至り、五郎兵衛を呼ひ寄せ、種々證拠を引て詰問しけれは、遂に、遁れ難しとや思ひけん、二月廿三日より、平八郎父子を隠くし置きたる段、白状におよひける故、五郎兵衛の女房を案内として、朝飯を送る体にて戸を叩けは、例之通り食事を運ふならん、と格之助、戸を細目に明けて見けるに、女房の後に捕手の人数詰めかけたれは、戸を閉ちて入る故、捕手の輩、之を見届け推入らんとす。

内にて、

と罵る声聞へけれは、衆進ます。岡野、声をかけ、

と呼はりけれハ、

と斗り荅へて、立騒くけハいするにそ、今ハ何程の事かあらん。打破れとて、一同に力を合せ、板壁を打破り、第一番に進ミしは、御城代の家臣岡村万蔵なりけり。間口狭隘にして、縁側もなき小座敷なる戸を締め切りあれハ、之をも打破るに、寄かけたる疊倒れて、格之助け死骸そ、現ハれけり。

平八郎は小座敷の四方に火薬を下け、其中に立て、肌おしぬき、将に割服せんとせしが、捕手の乱れ入るを見て、其閑隙なく、刀を逆手に取直し、二刀まて咽をつき、三刀めに頭まてを貫き、其刀を引ぬき、入り来る捕手を目掛けて投けヽれは、万蔵は、棒にて請け留めたり。平八郎は、其儘俯伏して倒れけるに、兼て仕掛け置きたる火薬に火うつりて、一時にもへあがり、黒煙立上れハ、人々之れに驚き、先つ火を消さんと立騒くうちに、両奉行出馬ありて、消防方馳せ付きけれは、屋根に焼ぬけしまてにて鎮火せり。

斯くて、両人の死体を検するに、格之助ハ焼爛れ、胸元及ひ腰に突疵あり、自殺の様にあらす。平八郎の手にかけて殺せしならん。平八郎も身体焼たヽれ、面部も判然ならされとも、懐中に往来券ありて雷門とあれハ、平八郎なる可しといへり。両人の死骸を駕籠に乗せ、大塩平八郎、同格之助死骸、と木札を付け、美吉屋五郎兵衛夫妻以下を引き、東町奉行所に退きたり。


『大塩平八郎言行録』目次/その7/その9

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