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夫れ歳寒うして堅松古柏の節を見る、士盤根錯、節に遇はずんば、争で
か利器を分つを得ん、茲に幕末の偉人大塩平八郎後素と聞えしは、元と
大阪天満の与力にして、出でゝ訟を聴き、獄を断ずれば、上権勢に訶ね
らず、下孤独を侮らず、裁決流るゝが如く、奸臣妖巫に至るまで、何れ
首を縮め肝を寒うせざるはなく、恰も霜鶻の鴉群に入り、猛虎の羊群に
在るにも似て、市民皆其堵に安んじ、府中の静謐、前後此時の如きはあ
らざりける。
抑も大塩平八は、身分は軽き与力の役にありながら、其心術は、夙に王
陽明の学風に承け、洗心洞に帷を下し、専ら知行合一を以て、自ら諸生
を導きつゝありければ、少陽明の名は高く、一時の翹楚多く其門に集ま
りぬ、扨ても此頃の天下如何にと見てあれば、太平茲に二百年、流石関
ケ原に名を揚げし増荒猛夫の子孫さへ、奢侈風流に打荒さみ、士風次第
に衰頽して、只これ桃源裏に酔生夢死するばかりなり、辺塞の風早く、
対岸に吹き靡け、高麗唐土の民草は、虜とやなるらん、形勢も夢とも知
らず、あはれ国人徒らに、外には武士の蹂躙に任せ、内には富限の兼併
にせばめられ、血は涸れ、骨は削らるゝ世の有様は、乱世か、将た太平
か、乱世の代にも稀れなる政道は、何の世にか改めん。
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霜鶻
(そうこつ)
鶻は
はやぶさの
異名
翹楚
(ぎょうそ)
才能が衆に
ぬきんでて
すぐれてい
ること
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