Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.5.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


「琵琶歌大塩後素伝」

その1

石崎東国 1913

『陽明学派の人物』藍外堂書店 所収

◇禁転載◇

初 段 (1)管理人註
   

夫れ歳寒うして堅松古柏の節を見る、士盤根錯、節に遇はずんば、争で か利器を分つを得ん、茲に幕末の偉人大塩平八郎後素と聞えしは、元と 大阪天満の与力にして、出でゝ訟を聴き、獄を断ずれば、上権勢に訶ね らず、下孤独を侮らず、裁決流るゝが如く、奸臣妖巫に至るまで、何れ 首を縮め肝を寒うせざるはなく、恰も霜鶻の鴉群に入り、猛虎の羊群に 在るにも似て、市民皆其堵に安んじ、府中の静謐、前後此時の如きはあ らざりける。 抑も大塩平八は、身分は軽き与力の役にありながら、其心術は、夙に王 陽明の学風に承け、洗心洞に帷を下し、専ら知行合一を以て、自ら諸生 を導きつゝありければ、少陽明の名は高く、一時の翹楚多く其門に集ま りぬ、扨ても此頃の天下如何にと見てあれば、太平茲に二百年、流石関 ケ原に名を揚げし増荒猛夫の子孫さへ、奢侈風流に打荒さみ、士風次第 に衰頽して、只これ桃源裏に酔生夢死するばかりなり、辺塞の風早く、 対岸に吹き靡け、高麗唐土の民草は、虜とやなるらん、形勢も夢とも知 らず、あはれ国人徒らに、外には武士の蹂躙に任せ、内には富限の兼併 にせばめられ、血は涸れ、骨は削らるゝ世の有様は、乱世か、将た太平 か、乱世の代にも稀れなる政道は、何の世にか改めん。










霜鶻
(そうこつ)
鶻は
はやぶさの
異名








翹楚
(ぎょうそ)
才能が衆に
ぬきんでて
すぐれてい
ること


「琵琶歌大塩後素伝 」目次/その2

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